2)足摺岬周辺の巨大遺構 最終総括


(七)最終総括
「最後のまとめ」

 1993年度より1995年度に至る、約3年間の研究調査は当初の予想をはるかに上廻る豊富な研究成果を得ることができた。よってその大要を下に簡要に集約した。

(1)1993年度は、研究の焦点を足摺岬(臼磐から大岩に至る海岸線を中心とする)付辺の「鏡岩」状巨石群に対し、その(太陽乃至月に対する)反射度の測定実験を行った。

その主なる測定対象は、
1 唐人岩
2 三列石(堂ケ森の鏡岩。「三列柱」とも記す。パシフィックホテル脇。)
3 大岩
である。

その測定場所は、
1 唐人駄場
2 臼婆展望台
3 パシフィックホテル、プールサイド及ぴ屋上
4 海上(船上観測。撮影)
である。

その研究目的は、次の一点にあった。

ーーこれらの「鏡岩」状の巨石類は、海上の舟(ことに黒潮に乗じて北上して来る舟、の人々の目にとって、一種の『灯台』的役割をもっていたのではないか。ーー

という問題意識の解明である。すなわち「縄文灯台」としての存在意義に関する、学問的仮説の検証であった。
(臼磐の岩壁の接近を知らす「赤信号」と、潮流<黒潮>からの脱出によって、陸地の近いことを知らせる「青信号」と、両機能を兼ねる。これが「縄文灯台」の概念である。)
 この実験結果は、明快に「イエス(是)」であった。
(リコー、ソニー及び高知大学。現地船主パシフイックホテル等、各位の手厚い御協力を賜わった。)

 

(2)1994年度は、次の3つの実験調査を行った。

1  茨城大学の岡本芳三教授・沼尾達弥助教授・黒川賢氏等による赤外線実験及びリコーの中重文宏・金谷志生氏等による色彩検査が行われた(4〜5月)。いずれも、速効的な結果は見られなかったけれど、後日の研究のための貴重な成果がえられた。

2  佐田山Bサイト(白皇山第二峰)の三列石及びそれをめぐる環状列石に対し、軽気球にとりつけたカメラによって、各種写真撮影を行った。(軽気球は、青高館<群馬県>による)、その結果、目的通りの全形写真を得ることができた。(11月)

3  城西大学の加賀美英雄教授・満塩大洸教授による岩石学的調査によって、上の佐田山Bサイドの列石の中の二石は「自然の節理」に合致せず、後に(地質形成期以後)、他の力(人工)によって付加されたものであることが判明した。さらにそれをめぐる環状列石もまた、二つの大石を除いては、すべて「自然の節理」に合致せず。「後時付加」によるものであることが判明した。<P23-1,2>

 以上の検査結果は、足摺岬周辺の巨石群の中で、代表的な典型のタイプをなす「三列石」群が、決して“偶然的”“自然的”状態によるものではなく?


   A 「自然状態の石」
   B 「後時の人工的付加」

   ー上の A+B の形で成立一

 を定式とするものであることが確 認された。

すなわち、当地に数多く存在する「三列石」群の中には、

(I)  大自然の力のみで、偶然に構成されたもの。
(II)  大自然の力による(原石)をもとにして、後に人工的に「プラス・アルファ」されたもの。
(III)  全部、後期、人工で構築されたもの。

の三種類があり得るけれど、上の佐田山Bサイトの場合のような、(2)に属するものが、その最大の典型をなすのではあるまいか。

以上の状況が判明した現在、同じく、足摺岬周辺に数多く分布する

(1) 男性と女性の性のシンボルの形をなす巨石群。<P.24一4>
(2) 大海亀の形を造型した巨石群<P.24一3>
(3) 「こよみ石」(冨田無事生氏命名)と呼ばれる、“太陽や月の出没(季節による)”に対応したごとく見える配石<P.24一5>
(4) 足摺岬周辺の巨石群中、ー番中心の位置を占める、唐人石。
(5) 上の前面に展開する広場たる、唐人駄場。

等についても、同じく、上と同じ構造、すなわち

(A) 自然の「原石」
(B) 人工の「プラス、アルファ」

による「構成物」と見なすべき可能性が極めて高い。そのように判断せざるをえないのである。

 では、そのこプラス。アルファコの時期はいつか。

 この問いに対して、厳密に回答するためには、当然ながら

「考古学者による、考古学的発掘・調査」

を待たなければならないのであるけれど、現在の「認識時点」において、次のような、“学問的予想”をのべることは、許されるであろう。

  (a)  後楽園球場(東京都、水道橋)の十倍・二十倍もの広大な領域(足摺岬周辺)に点在、もしくは「面在」する、巨大配石群は、これが「人工的付加」によるものとすれぱ、同じく相当「巨大な人ロ」を背景にしてこそ、はじめて成立しえたもの。そのように見なさざるをえない。
  (b)  ところが、現地(足摺岬周辺。唐人駄場・松尾・臼磐等)の畑等から出土するもの(表面採集)は、ほとんど縄文土器及び縄文の石簸類(大分県姫島産の黒耀石)であり、弥生土器及び古墳期の土器(土師器・須恵器)やその後の土器類は激減する。
  (c)  この現状から見ると、上の(II)を「実行」した人々は、「縄文期の人々」であった可能性がもっとも大である。
  (d)  上にのべた「男女の性のシンボル」や「大海亀の造形」や「こよみ石の配石」も、これらが縄文期に属する、と見なすとき、もっとも理解しやすい。(弥生期以降なら、もっと別の造形をもつ巨石群が現われるはずである。中・近世以降であることの明白な、高野山<真言宗>系の造作物のごとく。)
  (e)  リコーの坂木泰三氏は、上の佐田山Bサイトにおける環状列石に関し、天体(星座)との輿味深い。“対応”を暗示しておられる。これも、「縄文人の天文観」をしめす、将来の研究のための、貴重な一データとなるものであろう。

 

(1) 1995年度、2人の考古学者による足摺岬(土佐清水市)への来岬を得た。一は、椙山(すぎやま)林継教授(国学院大学、日本文化研究所)、一は、メガーズ博士(エバンズ夫人。スミソニアン博物館、アメリカ)である。
 椙山教授は、当地に対する「考古学的予備調査」の一環として、当地を「下見」していただいたのである(8月)。今後の本格的調査に至るべき一段階として、将来の好機に期待したい。
 メガーズ博士は三十数年前から「日本列島の縄文→南米(エクアドル)」の伝播をのべてこられた碩学であり、わたしたちは博士の来岬によって、当地が世界的学問的視野の光の中に入るべき、絶好の好運を得たこととなろう。もちろん、学問的に慎重な厳密性を固持される博士であるから、「速断」は得られなかったけれども、今後の学問的進展が期待されると共に、後述(3)のように、わたしたちの果すべき研究課題も、多く残されている


(2) 筆者(古田)は、1995年8月、(椙山教授と同道のさい)重要な「理論的発見」に遭遇した。付載された「縄文ストーンの公理一日英対照の論理一」がこれである。本報告書で展開された研究調査(事実関係)に対する、歴史学的、時代変遷上の、“理論的裏づけ”としての役目を果しうれば幸である。
(日文と英文の両者は、昭和薬科大学の紀要、第三十号<1996>に掲載)。


(3) なお一言すべきことがある。それは、足摺岬周辺領域の研究には、その、さらに周辺の大領域との関係考察が不可欠なことである。
 たとえぱ、上黒岩(愛媛県)、加世田、栫(かこい)ヶ原(鹿児島県)遺跡などとの比較である。南九州火山爆発からの影響による、足摺岬周辺における縄文草創期、草期、さらには旧石器時代の変動過程の研究が世の注目と共に脚光を浴びる日は必ず到来すると思われるからである
(この点、メガーズ博士の御注意による)

 「アジア大陸(の一端としての日本列島)と世界最大級の暖流(黒潮)との唯一の接合点」


 としての、当足摺岬周辺領域のもつ、地勢上の一大意義について、世界の人々が、“注目”し、そして、“納得”する日が来るのは、あるいは意外に近いかもしれぬ。本報告書がその一助となりうれば、望外の幸せである。

 最後に、3年間の研究調査が予想外の成果を得たこと、関係各位の御尽力のおかげであったことを特記させていただきたい。
 地元(土佐清水市・中村市)の郷土史研究会の関係者の方々(波多の国研究会。足摺縄文巨石文化シンポジウム実行委員会等)、リコー、ソニーその他の各会社の方々、パシフイックホテルの方々等に深甚の感謝をささげる。
 ことに、神戸大震災を経ながら、終始御協力の誠意を一貫して下さった室戸汽船関係の多くの方々には言い尽くせぬ思いをもつ。
 3年間を通じ、御協力賜わった坂木さん、測定実験に力を尽くされた谷本茂さん(YHP)、普喜満生助教授(高知大学)・金子豊氏(リコー)にも厚く感謝する。
その他、畑山昌博・宮崎茂・西沢孝・平石知良・谷孝二郎・青山富士夫氏、書き尽くせぬ多くの方々に御世話になった。現課長富田無事生氏の逸しえぬ御労力と共に、つつしんで深い謝意を捧げてここに筆をおくこととする。


<補>
 当地の「三列石」に関し、筆者「古田」は次のように考えた。

(1)古代人は、宇宙の構成要素として、「天・地・海」の三を考え、それぞれの神を「石神」として表現した。内陸型の中国的表現としての「天地」より、はるかに客観的。包括的な表現であろう。

(2)関東地方の「三本足の烏」(中国の古代に影響した可能性あり。別論文に詳述。)が上総・下総(千葉県の北部。茨城県南部)中心に(祭として)分布する。また井戸尻(長野県信濃境)の「三本指の神人」(縄文中期)も、考古学上著名である。さらに著名なのは、弥生期に「三種の神器」類の出土する博多湾岸周辺の弥生王墓群(吉武高木・三雲・須玖岡本・井原・平原等)だ。これらが、先行する、足摺岬周辺の「三列石」からの思想的継受関係をもつ可能件が存するであろう。今後の重要な研究課題として、ここに厳粛に提示しておきたいと思う。<P.24一1,2>



<追補1>
 足摺岬巨石群に対する「古地磁気」測定による、自然科学的研究が進行中である。(井ロ博夫<神戸大学>、森永速男<姫路工業大学>助教授による。)

<追補2>
 当地における巨石群(祭祀遺構)の全体像「地域的な広がり」の俯観的認識に関し、宇宙衛星写真等による検証が“企画”されていたけれども、「四年計画」が一年短縮されたため、その一端のみを冒頭写真として表現することとした。

<追補3>
 当地は、黒潮に乗じて来る大海亀の産卵地である。この事実が「亀状巨石」の造形の基礎であることには、疑いがない。この点、日本列島内の「亀ト神事」(豆酘。長崎県対馬)や中国周代の「令亀法」(三国志魏志倭人伝の記載)との関連と共に、大海亀の出発領域(太平洋上の南方領域。ミクロネシア・ポリネシア・メラネシア等)との歴史学的。民俗学的関連が、今後の本格的な研究課題となろう。

<追補4>
 当地の旧石器時代についても、今後の調査が必要と思われる。

ー以上ー

(報告者 古田武彦)

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尚、画像が重たいので、英語版の表示は時間が掛かります。十分お待ち下さい。

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番号 記号 説明
1 <P.23-1>

佐田山第二峰Bサイトの列石群(軽気球より直上から撮影)

-The Sanretsu Seki and its surrounding stone circle at Sadayama Site B (the 2nd summit of the Hakko mountains) were photographed with a camera attached to a hot air balloon-

2 <P.23-2>

佐田山第二峰Bサイトの列石群(軽気球より直上から撮影)

-The Sanretsu Seki and its surrounding stone circle at Sadayama Site B (the 2nd summit of the Hakko mountains) were photographed with a camera attached to a hot air balloon-

3 <P.24-1> 三列石 -Sanretsu Sekis (three-row rocks)-
4 <P.24-2> 三列石 -Sanretsu Sekis (three-row rocks)-
5 <P.24-3> 亀型 -Huge stones forming big sea turtles-
6 <P.24-4> 男根型 -"Nada-no-Ohiwa"Huge stones symbolizing gential organs of men and women-
7 <P.24-5> 暦石型 -Stones called "Koyomi (calendar) Stone "(named by Mr. Bujio TOMITA) that were arranged to correspond to the seasonal movements of the sun and the moon. -


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