2011年 4月 5日

古田史学会報

103号

1,新年賀詞交歓会
「古田武彦講演」(要約)
 文責 大下隆司

2,「筑紫なる飛鳥宮」を探る
 正木 裕

3,「逸周書」による
都市洛邑の規模
 古谷弘美

4,魏志倭人伝の読みに
関する「古賀反論」について

 内倉武久

5,入鹿殺しの乙巳の変
は動かせない

 斉藤里喜代

6,前期難波宮の考古学(2)
ここに九州王朝の副都ありき
 古賀達也

7,大震災のお見舞い
 水野孝夫

 編集後記

 

古田史学会報一覧

講演記録 「三国志序文」の発見ほか -- 古田史学の会交換会 見出しのみ(『古代に真実を求めて』第15集


新年賀詞交歓会

「古田武彦講演」(要約)

(文責 大下隆司)

 明けましておめでとうございます。
 最近も新しい発見があいついでいます。今日ここですべてを述べることはできませんので、要点のみの発表にして、詳しくは、著作論文で発表したいと思っています。
 現在の所はミネルヴァ書房から日本評伝選『俾弥呼』を書いている真っ最中でございます。

一「三国志序文」の発見

 この『俾弥呼』を書いている最中に、「三国志序文」の存在を見つけました。巻三十にある「東夷伝序文」が、実は「三国志全体の序文」であることがわかったのです。この巻三十にはもう一つ序文「烏恒鮮卑伝序文」があってこれが本来の巻三十の序文です。その理由は西晋朝史局の内部抗争(張華派と荀勗派、『古代史を疑う』の「陳寿伝」参照)により、序文の位置が変えられてしまったものです。
 序文の終わりには“東臨大海長老説有異面之人近日之所出”と書かれてあります。これは尚書に於ける周公の“海隅、日を出だす”ということは間違いで、自分たちは倭国まで行って、東南の方向船行一年、日出ところにある裸国・黒歯国まで記録した。史記や班固の漢書・安息国以上の成果を得たことを誇っている内容になっているのです。
 倭人伝の本質は魏の使いが侏儒国までいって、日出ところにある倭人国の情報を得たことにあるのです。女王国は中間地点です。私以外の学者はだれもそのことを言っていません。倭人伝を知らない、わかっていないのです。評伝選『俾弥呼』はこの新しい発見も踏まえて、今書いているところです。

二 男性と女性は同一人にあらず

 次に今日の本題にはいり、明治以降、現代に至るまでの日本の教科書はまったくダメであることをお話したいと思います。
 皆さんご存知のように『隋書』には当時の日本の君主は「多利思北狐」で奥さんもいると書いてあるので男王です。これを明治以降の日本の教科書には「推古天皇」をあてて、男を女としています。また、「聖徳太子」とする説もあって、日本の皇太子が王の名前をかたった偽の手紙を隋の皇帝に出したとしています。隋の使者は「多利思北狐」と対話しているので、中国側が男と女を間違ったり、摂政を王と騙されるようなことは考えられません。
 「推古天皇」が女であり、「聖徳太子」が摂政であることは私の説でなくて『日本書紀』に書いてあることです。“男を女という”のが明治以降の日本の教科書の説なのです。このようなことを信じるのは世界中どこにもいません、おとなしい日本人だけが丸暗記させられているだけです。
 新憲法の核心部分に十九条(思想及び良心の自由は、これを侵してはならない)があります。自分は“男を女”とするような嘘は生徒に教えられない、とした場合、文部省は憲法十九条に反してこの教師を批判することが出来るか、また生徒が“男性が女性”とは考えられませんとしても、教師はその生徒に対して憲法十九条に反してバツをつけることはできないわけです。
 そのような嘘が書かれた教科書をおとなしく百三十年も使わされてきたのが現在の日本人です。日本人の頭がおかしくなるのは当たりまえです。嘘であろうとなかろうと、教えられたことを忠実に覚え、試験に優秀な成績をとる人が、東大なりに受かり、高級官僚になっているわけです。教えられたことに疑問をもったり、悩んだりする人は脱落したり、あるいは悩んで頭が変になるわけです。日本でうつ病・自殺が多いのは当然なのです。明治以降、建前と本音を器用に使い分け出来なければ生きてゆけないような世の中になっています。検察の問題も、証言があり無実とわかりつつも上司からいわれたからといって、無実の人を罪におとしいれているわけです。彼らは日本の社会の優等生です。
 このような“建前と本音が矛盾する社会”を国家が公然と押し付けている現状を正して、“本当のことは本当だ”と敢然と言える社会にすれば、自殺やうつ病はただちに減ってゆくと思います。(参考:『神の運命』古田武彦著、明石書店一九九六年)

三 水戸光圀の発掘祈念文

 那須国造碑の近くにある上侍塚・下侍塚古墳発掘に際して水戸光圀が「墓前祭」を行っています。その発掘を祈念した光圀の文章を英米仏など八か国に翻訳して谷本茂さんの英文雑誌「フェニックス」に掲載するということを一昨年の八王子セミナーでお話してご寄附などいただいたのですが、その後順調に進み、最後のフランス語の翻訳も昨年末に出来上がりました。八か国語が出来たら、今紛争を起こしている中東のアラブ・イスラエル語も加えたいという気持ちになり、アラブとイスラエルの大使館に連絡して、それぞれの言葉に翻訳をしてもらうことにしました。そしてこの二か国語を追加して、全部で十か国語にして今年中に考古学者に配布したいと思っています。
 古墳を掘って、埋蔵品を持ち帰り、あとはほっておくという、死者に対する礼を怠っている現代の考古学者のやり方は間違っています。欧米のキリスト教徒である考古学者は異教徒であるエジプト・ギリシャの遺跡を“墓をあばくという形”で発掘しました。欧米の学問を猿まねして学んだ明治以降の日本の考古学者も同じようにしています。光圀が行ったように、“発掘の前に「墓前祭」、丁寧に埋め戻したあとに「墓後祭」を行い、死者を弔うのが人類普遍の姿である”ということを示してゆきたいと思っています。

四 万世多元説

 『三国志』を書いた陳寿は私の大好きな人ですが、彼が一つ大きな間違いを犯したところがあります。それは倭人の寿命です。寿命を“或百年或八九十年”としています。実際は発掘などからその半分くらいだということが判っています。「二倍年歴」です。
 『日本書紀』の編者も「九州王朝」の史書を読んで昔の天皇の寿命が長く書かれていて疑問に思っても『三国志』にそのように書かれているので本当だと思い込んだのですね、「二倍年歴」を知らなかったのです。そして、東アジアでよく知られている「俾弥呼・壱与」を「神功皇后」としてはめ込んだのです。「俾弥呼・壱与」のない『古事記』では東アジアでは通用しなかったからです。このために代々の天皇をその寿命に従って遡ってゆくと、神武即位は紀元前六六〇年となってしまったのです。これは八世紀の新しい王朝が七世紀までの王朝の使っていた「二倍年歴」を知らなかったために起きたものです。あきらかにここに王朝の断絶があったといえるわけです。
 『古事記』において「邇邇芸命」が「石長比売」を返したためその後の天皇の寿命が短くなったとしています。天皇の寿命は百歳以上の人が多いのに何故短いとしたのかは、「日子穂穂手見命」の五八〇歳にくらべて短いとしているのです。「日子穂穂手見命」の五八〇歳の場合は襲名による代々の人の寿命を加えたもので、寿命の計算の基準が違うのです。『古事記』も前王朝の寿命のことを知らなかったわけでここでも王朝の断絶があるといえます。
 さらに「継体天皇」の寿命も『古事記』では四十三歳、『日本書紀』では八十二歳となっています。これは『古事記』がそこで「一倍年歴」に変えて、『日本書紀』がまだ「二倍年歴」を使っていることを意味しています。ということは八世紀に「記紀」を作った人たちが「二倍年歴」を本当に知らなかったという証拠にもなるわけです。
 王朝断絶をいう場合「武烈天皇」のことに触れざるを得ません。書紀の作者は武烈をどうしようもない悪逆非道の人物として描いています。これは継体以降の天皇家は天皇になれるような家柄でなかった。地方豪族にすぎなかったものが、天皇になったのでそれを正当化するために、今までの天皇は悪かったと書いている証明です。それの証拠は武烈の墓がない、古墳とされているところは単なる丘にすぎない、武烈を祀っていないことです。
 「万世一系」というのはまったくの絵空事で、徳川三百年に対する、明治以降キャッチフレーズにすぎなかったものです。明治以降の天皇の詔勅集はなかなか見つからなかったのですがようやく手に入れました。この中で頻繁につかわれた「万世一系」というものが、どのような文脈でどのように何回使われてきたか、調べたいと思っています。

五 『論語』

 『論語』が二倍年歴に拠っているということは古賀達也氏のすぐれた論文があります。これを学問としてさらに進めるように、お願いしていたのですが、誰もしてくれる人がいないので、昨年から自分で取組始めました。幸い『論語』の総索引がでていたので、高かったのですがそれを購入して、おかげで研究は進みました。
 孔子は親が反乱にあって魯国に逃れてきてそこで身分の低い女性に産ませた七番目の子供です。父親が三歳の時に亡くなり、子供のころから母親を助けて貧しい生活を過ごしています。顔回も陋巷(曲阜にある最下層民の住む地域)にうまれています。
 孔子はそれまで“世襲の身分を意味していた「君子」を、地上において天の意志(礼)を実行するのが「君子」である”と驚天動地のひっくり返しをしました。このため顔回は最下層にいる自分も「君子」になれると感激をしたのです。顔回が死んだとき、孔子は“天我を滅せり”と顔回だけが自分の弟子であったかのように言っています。これは他の弟子は身分の高い生まれの「君子」、顔回は天の意志を実行する「君子」、顔回を本当の自分の考えを実行する弟子と考えていたからと思います。
 後世、漢の時代の儒教は漢の高祖を天子として絶対化し、忠孝を基準としました。また朱子学は天の理をいっています。これらと孔子の「天」はまったく違うものです。『論語』の中にも孔子と違った考えが入っているので注意しなければなりません。
 『論語』泰伯に “子曰。興於詩 立於禮 成於樂”とあります。これは、孔子は十五歳以前は詩経(学問)に興味をもっていたが、十五歳の時に“「礼に立つ」。君子というものは天の意志を実行するものだ“ということに気がつき。そして”「楽しみを成す」。天の意志を地で実行することを楽しむようになる“というものです。これは孔子の思想の真髄を示し、そして顔回を感激させたことに対応しています。

六 蚩尤(しゆう)文字

 旧暦には神無月が十二か月に一回しかありません。このことから「二倍年歴」以前は「一倍年歴」が使われていた可能性があります。アソベ族が大陸から「一倍年歴」を持ち込んできて、旧暦はそれをもとに作られたかもしれません。そして南方から黒潮で来た人たちが「二倍年歴」を持ち込んだ。パラオでは今でも「二倍年歴」を使っています。中国の場合は黄帝・尭・舜・禹の年齢は「二倍年歴」だった。しかし黄帝と「*?鹿たくろく之野」でたたかった蚩尤は「一倍年歴」だったのではないか。去年末検査入院をしていた時に加藤院長とそのような話をしていました。
     ?*鹿たくろくの?*は、王編の代わりに三水編に豕JIS第3水準ユニコード6DBF

 そしてそれを原点として、文字の始まりは蚩尤の時からではないかと考えるようになりました。私が作った言葉ですがこれを「蚩尤しゆう文字」とします。対馬の亀卜文字と同類のものです。これは“占いや、まじない”の文字で甲骨文字はこれを基本にして成立している。白川静さんも信仰や宗教が漢字のもとを成したと詳細な研究をされています。対馬の亀卜文字については、いままで何回か触れたことがありますが、漢字の起源とは、あまりにも飛びすぎるのでつながりがつかなかった。ところが、蚩尤が黄帝と戦った「?*鹿たくろく」とは“額に入れ墨をするもの(諸橋大漢和辞典)”とあります、対馬の倭人も入れ墨をしていました。東シナ海の両岸にいた入れ墨をする人たちが使っていた「亀卜文字」ということでつながってきたわけです。それが現在の文字文化のもとです。これはまだまだ詳しい研究が必要ですので、皆さんにも是非やって欲しいと思います。

七 旧約聖書をめぐる問題

 世界で一番たくさん各国語に翻訳されていて出版されている本は『旧約聖書』です。ところがこの本は間違っている。英語をはじめ翻訳されたすべての本において神は単数で“神がこの宇宙を創りたもうた”としてあります。神々ではありません。『旧約聖書』の原典はヘブライ語版です。このヘブライ語の旧約聖書では“神々が宇宙を創った”と神は複数形になっているのです。これは池田市の大久保史彦氏の(『聖書が原語で読めたなら』一九八四年聖書語学同好会)に書かれてあります。
 なぜ各国語版の『旧約聖書』において神は単数形に変えられたのか。ヨーロッパは魔女裁判において異教を排除してキリスト教オンリーの社会を作り上げました(唯一の例外はユダヤ教ですが、神は同じヤーウェです)。このためヨーロッパ単性社会では“ヤーウエという唯一の神がこの宇宙を創りたもうた”としたかった、したほうが都合がよかったわけです。ところがヘブライ語の原文には複数の神々が宇宙を創ったとあります。これは一神教が始まる前の中近東では多神教の社会が何千年、何万年と続いていたことで説明がつきます。その時も当然、宇宙があったわけで“だれがこの宇宙を創ったかの問いに対し、多くの神々がそれを創った”としたものと思います。
 この時代は多神教ですから、多くの神々が生まれてきました。この中でユダヤ教においてはヤーウエの神も生まれてきた、そう考えれば自然です。ところがヨーロッパ単性社会においてはそれでは都合が悪いのでいきなり、一人の“神が宇宙を創りたもうた”となったものです。だから神々を神と単数形に直したのです。
 これは「邪馬壹(台)国」問題と同じです。『日本書紀』に天皇は「ヤマト」にいると書いてあるので「邪馬壹」では都合が悪い、それで松下見林が「邪馬台」としました。イデオロギー・論者の主観で原文を直したのです。いくらたくさんの人が「邪馬台国」といっても間違いであるように、聖書も世界で一番たくさん出版されているとしても間違っているのは事実です。
 創世記の最初のところは神々が六日間宇宙を創り、そして七日目に休む話です。いま世界の大部分で行われている一週間はそこからきています。最初の複数の神々とはだれであろうか、なぜ六日働いて七日目に休んだのか、九日働いて十日目に休んでは都合が悪かったのか。いままでわからなかったのですが、解けてきました。
 マルクス、フォイエルバッハは“人間が神を創った”としました。当然です。サルなど動物はだれも神を祭っていません。人間だけです。唯物論など持ちださなくても自明です。くだらない人間は品性下劣な神々を創り、素晴らしい人間は素晴らしい神々を創ります。歴史の中の宗教の発展を、実証的に追及してゆくことによって明らかにしてゆくのが歴史研究だと思います。ところがマルクス、フォイエルバッハは入り口で止ってしまったために低級な無神論にとどまり、現在の中国やロシアの無神論も低級なレベルにとどまっているわけです。
 では最初の宇宙を生み出した複数の神々とはだれであろうか。生み出すことの出来るのは男女、それはペアーの神ではないか、そして中東社会のどこかに名前が残っていなければならないと考えました。ペアーで有名な神はアダムとイブです。アダムとイブは『旧約聖書』ではずいぶんとバカ者扱いされています。そこで私の日本古代史の研究が生きてきました。日本の『古事記』では「ヒルコ」がずいぶんとひどい扱いを受けていますが、本当はヒルコはヒルメと共に男女神として瀬戸内に輝いていた淡路島の神様です。旧石器・縄文のころ女性上位時代の太陽神です。それを弥生の新しい太陽神「アマテラス」を宣伝するために「ヒルコ」を貶めたものです。エデンの園のヘビの話にしてもおなじで、トルコでは今でもヘビは薬局のシンボルで、古代ではあらゆる病気をなおす動物として崇拝されていた神であったわけです。従来、神聖であったヘビを悪者扱いにしています。従来の神聖な神を貶めて、新しい神を持ち上げる、これが旧約の目的です。これは日本・中国の古代史も含めていつものことです。
 アダムとイブがあのように『旧約聖書』でバカ者扱いされていることは、彼らは前の時代の神聖な神々であったことの証拠になる。そして女性上位の時代、また(宇宙を)生むのは女性の仕事なので、呼ぶ順番は逆でイブとアダムといわれていた、もっといえば本来は“イブが宇宙を生んだ”とされていたと考えております。
 そしていまの“六日間とはなぜか”ですが、これは女性の胎動の期間ではないかと考えました。胎動を感じるのはいつからか、初産婦の場合は四か月目から、経産婦の場合は三か月目くらいからと入院中に加藤院長から教えてもらいました。イブの場合は初産婦ですから胎動を感じるのは四か月目から始まり、六か月続き出産して、七か月目はお産のあとで休みます。この六か月を縮小して六日、七日目に休むとして一週間とした。これで、いままで疑問であったことが解けた、少なくとも私にとって説明がつくようになったのです。
 バイブル創世記の年齢は最初は千歳近い年齢の人がつづき、次に六百歳くらいとなり、そして三百歳くらいになります。最初の年齢は「二十四倍年歴」です。一月の内、新月→満月を一歳、満月→新月を一歳として、一月で二歳年をとることにします。そうすると一年で二十四歳となり、千歳は約四十二歳くらいとなります。これはエジプトの暦でナイル川の月の干満により月に二回変わる川の流れからきたのではないかとも考えております。
 次の時代が「十倍年歴」です。六百歳というのは六十歳で当時としては長命です。三百歳というのは三十歳で死んでいます。さきほどの話では六か月を六日としていました。「十倍年歴」はこれと対応していて、一週七日というのはこの時代に出来た可能性があるのではないかと考えています。
 “イブが宇宙をつくった“キリスト教徒の方にとってはとんでもない話です。しかし私は反キリスト教、反ユダヤ教ではありません。逆にイエスは大好きで、あのように素晴らしい生き方をした青年、本当の人間はあのようでなければいけないと思っています。
 今日お話した結論は私の日本の古代史の分析の方法から導きだせました。私の分析の方法論は正しかったと自信をもつことが出来たと思っています。この問題は英文にしてインターネットで世界に発信したいと思っています。
 またこの件に関する反論は大歓迎です。ただその場合は、古田はおかしいというだけでなく、自分はこう思うという対案を示していただきたくお願いします。

八 その他

 欧米のキリスト教単性社会では今のような考えは展開できません。我々は彼らを越えたと思っています。彼らは戦争に勝ったのでだめになったのです。広島に原爆を落としたが、その為に何十万人の命が助かった、だからあれは正しかったなどバカなことを言っています。広島の原爆はユダヤ人虐殺のアウシュビッツと同じです。広島の上空に巨大なガス室を作り大量の人を殺した。それを功利主義で美化するとはとんでもない話です。ハーバード大学の授業をTVでやっていましたが、人の命をいくらで換算するとか功利主義に基づいた教育をやっています。それに6割の学生が賛成している。アメリカの指導者がその程度のレベルということはこわいと思います。逆にいえば、あのレベルではアメリカはやがて滅びると思います。
 日本は戦争に負けた。明治の黒船来航いらい、日本を軍事占領・植民地化してアジアの拠点とするアメリカの目的は現在に至るまで一貫して変わっていません。そのアメリカの真の目的を的確に把握してその時々の状況にうまく対応した政治家は明治以降日本にだれもいなかった。昭和天皇・東条英機などはその策略にのって、日本を敗戦に導いてしまいました。戦後、アメリカは自分たちが加害者であり悪いことはわかっているものだから、手を変え品を変えていろんな方法で日本人を教育しました。極東裁判などもインチキ極まりないその一例です。悪い日本人と正義のアメリカ人という構図を植え付けた。
 ただ日本では負けたから、いろいろなことが言えるようになってきました。
 今日お話ししたキリスト教の分析など、欧米ロシアや中国では出来ない、まして日本が戦争に勝っていたらこのような話は絶対できません。神が“日本に、人類の未来を開かせるために負けさせた。”と思っています。
 今までの神様や宗教は原水爆には無力だった。キリストもマホメットもこれを知らなかったので当然です。だから原水爆を含みこんだ思想は作らなかった。神の教えに“人を殺すなかれ”があります。これは人類の繁栄に繋がりました。殺せば人類は滅んでいました。同じように“原爆を作ってはならない”を断言出来る神が今必要になっています。原水爆をしらない古い神さまや古い宗教は今や役にたちません。“原水爆は絶対に悪い”という神様を生み出すことが出来るかが、人間に問われているのです。
 原水爆については、まだ幼稚な段階にあると思っています。特に自分たちは傷つかないが相手は殺傷できるという小型の原水爆があるのが問題です。究極の原水爆というのは地球を一瞬にして破壊できるものです。もし日本がそれを持てば、だれも日本を攻めて来ないと思います。私は、次の新憲法では“原水爆を禁止する”項を入れろといってきたのですが、一方では、実際には持たなくても、地球を破壊できるものを持っていると思わせるようにすれば、絶対に攻められないのではないかと、正月に夢のようなことを考えていました。
 今は面白い時代で、特に日本は非常に面白い地域です。ここで本気でいろいろやれば“人類を破滅させる・破滅から救う”その成果がまっていると思います。私は救うことができると思っています。


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