古田史学会報20号
和田家文書の中の新発見特集 和田家文書の検証『新・古代学』第二集


古田史学会報

1997年 6月16日 No.20

師表としての二先生の御指摘

青森県藤崎町 藤 本 光 幸


 古田史学会報十九号で室伏志畔氏が“古田史学とは何か”を述べて居りますが、その中で古田先生が文献処理上の原則として「現代のわたしたちに「不審に見える」箇所は、いいかえればわたしたちのもっている常識に衝突する地点である。つまりわたしたちにとって“異質なもの”が厳とそこに存在するのである。」との指摘をなされて居る事を紹介して居ります。
 私が歴史に対して興味を持つようになったのも、この「不審に見える」箇所についての究明から始まったものでした。
 私は一九三一年の生れですので、初めての日本歴史の教育は国民学校五年生時の歴史教育であり、当時としては日本歴史の国民学校国定教科書制度による徹底した皇国史観によってつらぬかれ、当然のように高天原からニニギノミコトが雲に乗って筑紫の日向の高千穂峰(宮崎県)に降臨したのが天皇家の先祖であるとする「天孫降臨」神話に依るものでした。もちろん戦前のことですので、神話も歴史も渾然として居っても当たり前だったのです。これに対して私は先生に質問をしました。不審を感じたのです。
 当時の先生に「私は『子供の科学』を読んでいて、人間が猿から進化したことを知って居ります。孫悟空が雲に乗って駆けまわっているのはよいのですが、人間が雲に乗って落ちることなく降りて来れるものでしょうか」
と云うような意味の質問でした。
 それに対する先生の答弁がすばらしいものでした。「そのことは今は知らなくてもよいですが、大人になれば解ることです。ですが本当のことを解るには沢山本を読みなさい。間違ったことを覚えてはいけません。そのためには何が本当かと云うことを知らなければなりません。そのためには一杯の本を読むのです。」と云われたのです。
 そして、その後、私に新潮社版の日本少国民文庫、山本有三選の「日本名作選」と云う本を贈呈してくれました。
 先生は神話と歴史の区別はもちろん知って居られたのですが、戦時中である当時としてはそのことを解説して教えることが出来なかったものだと思われます。それにしても、女子附属師範学校を卒業されて最初に教職につかれた三井武子先生は、当時としては本当に将来的に有意義な歴史教育をなされたものだと今更ながらに感じ入って居る次第です。
 現在は言論の自由が確立された戦後でありますが、いまだに皇国史観の亡霊が宙にさまよっているようですが、近年になって漸々、幸いにも考古学、言語学、地理学、人類学、民俗学、遺伝学、宗教学等々の関連諸補助科学の協力によって、歴史の真実とは何かと云う多元史観に依り、今一度歴史の見直しをし真実の歴史を探究しようと云う傾向が次第に大勢を占める様になって来たことは、大変喜ばしいことであります。
 かつては、中央の歴史に於いても地方の歴史に於いても、勝者として残った権力者、体制側の歴史のみが焚書坑儒等によって後世に伝え残されましたが、現在では文献史料のみでなく、前述の様な関連諸科学によって何が真実かと云うことが学問的に解明されるようになって来たのです。
 一九九五年一月に古田武彦先生が「学問の大道」の中で次の様に述べられました。
「学問は真実の大道である。真実を目指し、真実に達する。誰人にもそれ以外の目標はなく、それ以外の方法もまた一切存在しないのである。……ともあれ真実に勝るものなし。アニュトス、メレトスの輩の中傷が結局ソクラテスの真実を打ち破れなかったように、地上の権力、権威と結託せんとする偽宣伝やいかなるパフォーマンスによっても、人間と学問の真実は打ち破りえないのである。」と喝破されましたように、今後これからが真実の日本歴史再構成の時期がやって来たのだと考えられるのではないでしょうか。


 これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』第一集〜第四集(新泉社)、『古代に真実を求めて』(明石書店)第一・二集が適当です。 (全国の主要な公立図書館に御座います。)
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