古田史学会報 2001年 2月22日 No.42

『古代に真実を求めて』(第四集)目次


真実と歴史と国家

二十一世紀のはじめに

古田武彦

     一

 二〇〇一年が来た。かって思っていた。「わたしは二十一世紀に会えるだろうか。」と。三十年前、たとえばはじめての古代史の書、『「邪馬台国」はなかった』を世に問うた頃である。
 今、遭遇した。望外の幸せと言う他はない。あのときも、思っていた。「この本を書き終わったら、死んでもいい。」と。或は中年の日の“おごり”だったのかもしれぬ。わたしはそのときただ、年来の職業をなげうち、無位無職の身としてこの書を書き切ることに没頭したにすぎなかった。
 けれども、第三の書、『盗まれた神話』の最期にわたしはこう書いた。
 「ある日、目が覚めると、新たな光景が目に映ずるかもしれぬ。そしてそのとき、わたしのために用意されていたものが、断頭台のたぐいであったとしても、この本を書き終えたわたしには、もはや動ずべき理由がない。」
  ある方は忠告された。「あんなことは書かない方がいい。ただ自分でそう思っていればいいことです。」と。それは正しいかもしれぬ。その通りなのであろう。だが、わたしは何者かに挑戦していたのだ。現実の加害者か、運命の女神か。それはどちらでも、わたしには差異はない。ただ「この本を書き切ることで、いかなる目に会おうとも、これを書かねばならぬ。」と。それがこれらの本を書くための唯一のエネルギー、その根源の動力だったのである。


     二

 バイブルは、わたしの愛読書だ。いつも、くりかえし読みたい、そう思っている本である。それは、永遠なる「青年の書」だからである。年令から見ても、その通り、青年として生き、青年として死んだ。それがイエスだ。だが、彼の言説を見ていると、わたしには絶えず「死に挑戦している。」ように見える。ユダヤ教の祭司やピラトや当時の風潮に対する挑戦だ。彼等が「ユダヤ人の王」と、彼をあざけり、処刑したのは、「正解」だった。彼の“望み”を果した。そう言ってもいい。ただ、彼を処刑することによって、彼を「復活」させることになる。その歴史の皮肉を理解していなかっただけだ。


     三

 望外にも、七十四才の今を迎え、わたしは思う。

 「歴史なくして国家なく、真実なくして歴史はない。」

と。けれども、明治維新以来、国家は歴史を忘れた。「天皇家一元」という偽妄の歴史を国民に布告した。或は教科書などの形で。・・・国家意志だ。

 だから、幾多の「論証」や「事実」を以てその非を論じようとも、彼等は何一つ動じないであろう。

 「歴史に、真実など、はじめから無用なのだ。」

と。彼等はただ、国家運営のためのプロパガンダを欲し、一億のコピー人間の創生、それを志ざしたのであるから。かってピラトやユダヤ教の祭司たちもまた、同じくそれを欲したように。 しかし、歴史は峻厳だ。二千年も一瞬にすぎない。百三十年を乗り切った彼等、外来の権力者の庇護をうけて再編成をはかろうとしている彼等、彼等の目には遺憾ながら、次の一事が見えていないのかもしれぬ。

 「国家とは、一時(いっとき)の現実にすぎぬ。」

 もしそれが歴史にそむき、真実にそむくとき、消え去るのはいずれか。わたしは青年の日にそれを見た。一九四五年の八月である。


     四

 わたしは信じている。「人間は復活する。」と。たとえ、この身が明日死のうとも、同じく疑い、同じく求め、同じく死を恐れぬ魂は必ず「復活」するのである。イエスも、ソクラテスも、日蓮も、そしてガリレオもまた、そうであったように。
 やがてその日が来ても、わたしは莞爾として消えてゆくことであろう。この身に対する一片の葬儀は無用だ。必ず「復活」してくるのであるから。
 親鸞の到達した年令、九十才。万一それに会う日があれば、望外の幸せと言う他はないであろう、明日も知れぬこの身には。
 それはひとり運命の女神のみ深く知るところなのであろうから。

・・・二〇〇一、一月十九日記・・・


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