2006年10月10日

古田史学会報

76号

敵を祀る
旧真田山陸軍墓地
 大下隆司

白雉改元の史料批判
 盗用された改元記事
 古賀達也

「炭焼き小五郎」の謎
 多元史観の応用
 で解けた伝説
 角田彰男

七支刀鋳造論
 伊東義彰

5洛中洛外日記より転載
 九州王朝と筑後国府
 古賀達也

木簡に九州年号の痕跡
 「元壬子年」木簡の発見
 古賀達也

7 『 彩神 』
 シャクナゲの里1
 深津栄美

阿胡根の浦
 水野孝夫

9伊都々比古(後編)
倭迹迹日百襲姫
と倭国の考察
 西井健一郎

10洛中洛外日記
九州王朝の部民制
 古賀達也

11
なかった 真実の歴史学
創刊号を見て
 木村賢司

古田史学の会・四国 
定期会員総会の報告
 竹田覚

 事務局便り


古田史学会報一覧

連載小説『 彩神』 第十一話 杉神      
        第十二話 シャクナゲの里      


◇ 連載小説 『 彩  神 (カリスマ) 』 第十二話◇◇◇

シャクナゲの里(1) 深津栄美

 −−古田武彦著『古代は輝いていた』より−−
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

〔概略〕冬の「北の大門」(現ウラジオストク)攻めを敢行した三ツ児の島(現隠岐島)の王八束(やつか)の息子昼彦は、異母兄淡島に海へ捨てられるが、天国(あまくに 現壱岐・対馬)に漂着、その子孫は韓(から)へ領土を広げ、彼の地の支配者の一人阿達羅(あたら)は天竺(現インド)の王女を娶るまでになる。対岸に栄える出雲の王八千矛の息子建御名方(たけみなかた)は、白日別(しらひわけ 現北九州)の王女岩長と恋仲だったが、舟遊びの最中、敵に急襲され、岩長とその妹木の花は強引に敵将の妻にされ、諏訪へ落ちのびた建御名方は、危機を救ってくれた現地の娘八坂を正妃に迎える。

 「おうい、おうい!」
 呼び声に混り、幾つもの灯が揺らめいている。ある物は岩や砂利で入り組んだ道を照らし、ある物は人々のしかめた眉や、海風になぶられ、乱れた頭髪、袖や裾を浮かび上がらせていた。誰の目も不安と焦燥を湛え、額には汗が滲んでいる。
 「山幸(やまさち)兄様ーア!」
 一人の少女が口の端に手をやり、海に向かって叫ぶと、
 「火遠理(ほおり)様ーア!」
 「日子穂々出見(ひこほおでみ)様ーア!」
 数名の声が和し、
 「山幸イ、どこにいる? 聞こえたら返事をしろーオ!」
 一際太い声が、女達の叫びを貫いた。
 潮風と日に灼けて赤らんだ皮膚に髪をおどろになびかせ、やや荒くれた風態は、探索の的の「山幸」こと火遠理の双子の兄で、船司(ふなつかさ)を勤め、「海幸うみさち」と称されている火照(ほでり)である。
 「どこへ行かれたんでしょう・・・・?」
 途方に暮れて辺りを見回し、
 「こうと判っていたら、舟を出しはしませんでしたのに・・・・。」
 項垂れる老僕の肩を、
 「おぬしの責任(せい)ではない、塩椎(しおつち)。」
 火照は優しく叩き、
 「馨(かおる)、おぬしはもう中へ入れ。」
 と、少女を顧みた。
 「山幸兄様、大丈夫かしら・・・・?」
 少女は尚も心配そうだったが、
 「任しとけ。海の事は、我々の方が知っている。それより、早く帰らんと御両親に又、オ目玉だぞ。」
 重ねて諭され、
 「お願いね、海幸兄様。」
 言い残して、背後の宮居へ駆け戻った。
 樫の大木の下(もと)に、四抱えはありそうな梁や柱を組み合わせた入母屋造りの宮居は、風の吹く度に潮(うしお)とは又、異なる爽快な香りを漂わせる。
 「馨・・・・?」
 少女を認め、階段(きざはし)に白い影が動いた。
 「お母様ーー」
 駆け寄る少女に、
 「山幸は見つからなかったのですか?」
 些か素気ないとも取れる声が降って来た。
 「いいえ、海幸兄様や塩椎が懸命に捜しているんだけど、まだ見つからなくて・・・・もしかしたら山幸兄様、対海(つみ 対馬)か一大(壱岐)まで流されておしまいになったんじゃないかしら・・・・?」
 少女は浜辺にチラつく松明の群れを眺め、拠(よりどころ)を求めるように母の手を握ったが、白い影は素早く身を退き、
 「さあ、早く夕餉をお上がり。冷めてしまいますよ。」
 巫女(かんなぎ)の印の青と白の元結(もつとい)でまとめた髪をサラサラと言わせて階段を上って行った。

 元気な赤ん坊の泣き声が、室の空気を震わせていた。侍女達が乳を飲ませようとしても、乳母らしい老婆が粥を与えようとしても、赤ん坊は手足をバタつかせて受け付けず、顔中口にして泣き喚(わめ)き続ける。
 「馨様、手を貸して下さいまし。」
 乳母は、とうとう姉娘の助力を求めた。
 馨と呼ばれた少女は、汁(つゆ)を飲んでいた黒い艶やかな貝殻を下に置き、
 「香山(かやま)は駄々っ子ね。」
 苦笑しながら赤ん坊の傍へ回り込んだ。
 驚いた事に姉の顔を見た途端、赤ん坊は泣きやみ、乳母の差出す碗から少女が木の匙で粥を掬って赤ん坊の口へ近づけると、一回啜(すす)る度に嬉し気に笑いかける。
 「香山様のお守りは、姉君でなければならないようでございますね。」
 乳母達か嘆息すると、
 「お母様も少しは面倒を見て下されば良いのに・・・・。」
 少女は、ちょっと口を尖らせて奥を振り返った。
 馨は、天火明(ほのあかり)と岩長の長女である。馨が十四才(当時は年に二回年を取る二倍暦。従って、この場合は十四を二で割って七才となる)を迎えた去年、弟の香山が生まれた。火明の弟邇々芸は既に、岩長の妹木の花との間に火照、火遠理の息子二人を設けていたが、兄弟統治の形式(かたち)を取ったとはいえ、後継者(あとつぎ)はやはり兄か姉の生んだ一番上の子供 ーーそれも男が望ましい。火明にすれば、末盧国(まつらこく 現佐賀県唐津市付近)王志々伎の要請により、白日別(しらひわけ 北九州)に進出して新政権樹立後十五年(二倍暦に従えば、十五を二で割って七年半となる)目にして授かった初の王子なのだから、大変な喜びようだった。香山の母は、土着の王族直系の姫だ。新たに耶馬国が打ち建てられても、かつての木の国(現福岡県基山付近)王家やその宗主だった出雲王朝を追慕している者は多い。しかし、香山が玉座に着けば、人々も安心して耶馬王家に従うだろう。誕生祝いの折、火明は娘に生まれたばかりの弟を抱かせて樫の木の下(もと)へ連れて行き、
 「おぬしらは相携えて、末長く国を領いておくれ。馨は、四季を通じて青くそよぐこの木の葉のように天意を伝えて人々を励まし、導き、香山はこの木の芳香を耶馬中に広めねばならない。」
 と、言い聞かせた。
 だが、その祝宴に、母の岩長は姿を見せなかった。産後の肥立ちの悪さに加え、元々体が弱く、変調を来し易いのだとの侍女達の説明だったが、宴(うたげ)ばかりか、子供の教育や遊戯にも岩長は関係(かかわ)わった試しがない。橿日(かしい)の宮(現福岡県香椎宮)の人間は、父も叔父も従兄らも朝早くから外で働き、乳母や侍女達も野良仕事や釣りに精を出す為、日に灼けて手足は太やかだったが、母はほっそりと透けるように青白く、奥の間に閉じ籠り切りで、いつ寝ていつ起きたのか判らないような暮らし振りだった。子供達が母と顔を合わせるのは食事時位だったが、その折も岩長は笑み一つ見せるでなし、黙々と手を動かすのみで、気がついてみるといなくなっている。子供達が甘えかかろうとしても大抵さり気なく身をかわされてしまい、ある時など、馨は庭でつんだ早咲きの水仙花を母に見せようとして狙いを脱され、派手に転倒した事さえあった。余りの痛さに馨は声を上げて泣き出したが、岩長は娘を助け起こしてやろうともせず、駆けつけた侍女達の非難の視線を顧みもしないで、奥殿へ退いてしまった。母に踏みしだかれ、首をちぎられて無惨に転がっていた水仙花を、馨は未だに鮮明に覚えている。
 だが、馨は母を恨む気にはなれなかった。
 一度、叔父の邇々芸が、回廊伝いに神殿(やしろ)へ向かう母を見て、
 「まるで亡霊だな。」
 と、呟いた事がある。邇々芸とすれば単なる冗談だったのかもしれないが、その言葉は馨の神経を逆撫でした。
 不意に、邇々芸の横顔に土器(かわらけ)が砕け、
 「な、何をする?」
 うろたえた時は、下着にまで熱湯が被っていた。飛びついて彼の服を剥ぎ取る人々に、
 「母様を侮辱したら、誰だろうとも唯じゃおかない!」
 馨は絶叫した。
 しかし、その時も岩長は、何も起こらなかったかのように神殿の門を潜(くぐ)り、祈祷を始めた。篝火の燃える祭壇の前で幣(ぬき)を打ち振る母を、父の天火明が寂しそうに見つめていた。そんな父母の姿が、幼いながらも馨に大人の世界への目を開かせたのかもしれない。
 (父様も母様も、目に見えないお荷物を背負(しょ)わされているみたい。とても人間の力じゃ支え切れないような大きなお荷物を・・・・)
 馨は秘かに誓うのだった。自分や香山が大きくなったら、必ず両親の重荷を取り除いてあげようと。夕雲の精のような、幼な心にも見とれてしまう程美しいお母様を、いつまでも打ち拉(ひし)がれさせておいて良い訳はないもの・・・・。  (続く)


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