2006年10月10日

古田史学会報

76号

敵を祀る
旧真田山陸軍墓地
 大下隆司

白雉改元の史料批判
 盗用された改元記事
 古賀達也

「炭焼き小五郎」の謎
 多元史観の応用
 で解けた伝説
 角田彰男

七支刀鋳造論
 伊東義彰

5洛中洛外日記より転載
 九州王朝と筑後国府
 古賀達也

木簡に九州年号の痕跡
 「元壬子年」木簡の発見
 古賀達也

7 『 彩神 』
 シャクナゲの里1
 深津栄美

阿胡根の浦
 水野孝夫

9伊都々比古(後編)
倭迹迹日百襲姫
と倭国の考察
 西井健一郎

10洛中洛外日記
九州王朝の部民制
 古賀達也

11
なかった 真実の歴史学
創刊号を見て
 木村賢司

古田史学の会・四国 
定期会員総会の報告
 竹田覚

 事務局便り


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『なかったー真実の歴史学』創刊号を見て 木村賢司 定期会員総会の報告 古田史学の会・四国会長 竹田覚 事務局便り

 

『なかったーー真実の歴史学』創刊号を見て

豊中市 木村賢司

 古田フアン待望の書である。七十九歳になられた古田先生直接編集の論集である。年二回今後発行するとある。衰えることを知らない大変な情熱である。
 その序言に“天下の後生にその学問の道あるを公示し、万世に人類の歩むべき真実をしめす、これが本誌創刊、唯一の意思である。”とある。
 そして中言。敬愛する中国に対する、おもいやりのある厳しい忠告である。“自分の目の上の「つば」を見よ。世界は「事実」を名として「品格」にかけたる人々を、人間として決して信用しないのである。”と、そして“「歴史」の中のあれを採り、これを捨てる。そんな身勝手は、ただ「歴史」を政治的に利用しているだけだ。長つづきするはずがない。”と書かれた。私は単に現中国に向けただけの言葉ではないなーと思っている。
 そして、末言。先生の朝の散歩道、竹林の小道で、北京の中国障害者芸術団による「千手観音」の素晴らしい見事なシーンが幻として浮かんでは消えた。とある。私は先生がみたテレビ朝日のその映像を見ていないので、先生が何を感じ、なにを言おうとしているのか、わかってはいないが、人間が持つべき根源的な善ではないか、と感じている。
 なお、序言、中言、末言は中国語に訳して載っており、国内だけでなく、多くの友人のおられる、中国に向けての発信であること明確である。
 創刊号の論文、エッセイ等の内容感想は、ここでは割愛する。はやくも二号の発行を楽しみにしている一人である。

*傘寿、卒寿、親鸞超えて、「なかった」綴れ、後生信じて。

 


古田史学の会・四国

定期会員総会の報告

古田史学の会・四国会長 竹田 覚

 去る八月五日(土)、松山市河野別府の市立ふるさと館において第三十五回古田史学の会・勉強会を開催した。
 当日は、古田史学の会事務局長古賀達也氏の「九州王朝の王都と副都─筑後遷宮と前期難波宮─」の講演を聞いた。古賀氏は「元壬子年」の木簡、久留米市発掘大規模建物跡出土、大善寺玉垂宮由緒等を列挙して筑後遷宮説を論証された。また、前期難波宮は九州王朝説に立てば副都心をつくる習わしと矛盾しないことを日本書紀の記事を指摘しながら解説された。常に進化し続ける古賀氏の研究に一同感銘を受けた。
 講演終了後、古田史学の会・四国の定期会員総会を開催し会則並びに組織を下記のとおり決定した。
顧 問 山田憲正(松山市・北条)
 同  奥村武久(松山市)
 同   中西 智(松山市)
会 長 竹田 覚(松山市・北条)
副会長 阿部誠一(今治市)
 同  池内 功(松山市・北条)
事務局長 合田洋一(松山市)
幹事・会計・会計監査は、省略


事務局便り

▼古田先生が八月八日に傘寿八十歳を迎えられた。心よりお慶び申し上げ、先生のご長寿をお祈りします。来年一月二〇日には大阪で講演していただく。多くのご参加を。
▼先生編集『なかった』創刊号の売れ行きが好調とのこと。二号が待ち遠しい。
▼東京古田会の高木さんが亡くなられた。まだ働き盛り、突然の訃報。残念でならない。ご冥福をお祈りします。合掌 @koga


 これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』(新泉社)、『古代に真実を求めて』(明石書店)が適当です。
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