古賀達也の洛中洛外日記
第326話 2011/07/17

「ウィキペディア」の史料批判(1)

 7月2日、松山で講演してきました(古田史学の会・四国主催)。その冒頭で「ウィキペディア」の史料批判というテーマを少しお話ししたのですが、そこでの眼目は歴史研究における「史料批判」とは何かという問題でした。古田先生も『東京古田会NEWS』No.138(2011年5月)掲載の「学問論 第26回」で『「史料批判」の史料批判』というテーマで、ウィキペディアの「九州王朝説」について取り上げられていますが、そもそも史料批判とは何かということについて、古田史学以外の古代史ファンには意外と理解されていないようです。
 松山の講演会では、犯罪捜査を例にして史料批判の説明をしたのですが、歴史研究も犯罪捜査も過去に起きた事件について、証拠や証言に基づいて真実を明らかにするという点に於いて共通する性格を持った仕事(学問研究)だからです。
 たとえば、ある家(日本列島)に大和さん(大和朝廷)が住んでいますが、九州さん(九州王朝)がその家の主は元々は私で、大和さんに家を乗っ取られたと警察に訴えたとしましょう。当然、警察は大和さんに事情聴取するでしょう。当然のことです。そこで大和さんは大昔からこの家の主人はわたしで、九州さんなんて見たことも聞いたこともないと証言(『古事記』『日本書紀』)します。
 次に警察はご近所に聞いて廻るでしょう。これも当然の捜査手法です。隣に住んでいる隋さんや唐さんに聞いたところ、この家のもともとの主人は九州さんで、大和さんは小部屋を間借りしていたが、いつのまにか九州さんを追い出していたと唐さんは証言(『旧唐書』倭国伝・日本国伝)し、隋さんはここに住んでいた人の名前はタリシホコさんで、お互い手紙のやりとりもしていたと証言(『隋書』イ妥国伝)しました。大和さんの証言では、大和家にはタリシホコなどという名前の人物はいません。
 さて、皆さんならこの事件について誰の証言を重視しますか。信用しますか。当然、利害関係の無い第三者である隣人の目撃証言や手紙を重要証拠として採用するでしょう。まかり間違っても、訴えられている被疑者の大和さんの証言(『古事記』『日本書紀』)を無批判に信用されることはなく、まずは正しいかどうか疑ってかかられると思います。この「誰の証言・証拠が信用できるのか、より真実を証言しているのか」を判断することが、歴史研究における史料批判なのです。ここを間違えると、犯人を取り逃がしたり冤罪事件が発生しますから、警察や裁判所は慎重に科学的学問的に捜査・審議するのです。
 この事件で言えば、大和朝廷一元史観の日本古代史学界は、大和さんの証言のみを無批判に採用し、隣家の目撃証言や証拠を不採用にしているわけですが、よ り客観的で利害関係のない隣国史料を重視するという古田先生の史料批判の方が優れており、学問的であることは決定的なのです。(つづく)

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