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『市民の古代』第8集 1986年 市民の古代研究会編 特集 ●高句麗文化と楽浪墓

好太王碑と高句麗文化について

講演・討論会報告

孫永鐘(朝鮮民主主義人民共和国・社会科学院・歴史学研究室室長)
古田武彦(日本国・昭和薬科大学教授)
司会・藤田友治(市民の古代研究会事務局長)
通訳・全浩天(『広開土王陵碑』訳者)

 一九八五年九月二〇日、朝鮮民主主義人民共和国の歴史学、考古学の第一線の学者と好太王碑現地視察を終えて帰国した古田武彦氏との講演・討論会が行われました。この催しは、当市民の古代研究会が主催し、杜会科学研究所が協賛し、国交のない国の学者達と市民の研究団体がはじめて交流するという点で、画期的な催しとなりました。
 孫氏は、好太王碑を通してみた高句麗がどのような国であったか、碑文の解釈  ーー特に倭関係記事についてーー 、そして陵碑がもつ文化史的意義について講演された。
 一方、古田氏は好太王碑改竄(かいざん)説を越えて、好太王碑文の論理と文脈に即して、倭=海賊説を批判し、倭が九州王朝に他ならないことを好太王碑文や『三国史記』・『三国遺事』、さらに中国文献から論証された。
 討論では、好太王碑をめぐる諸問題の中で、両者の共通点と差異点を明確にし、今後とも論争することの重要性とその意義が示された。限られた時間でありましたが、この催し自体はじめての試みとして大いに注目された。本誌で、講演・討論会の催しの全てを参加者の許可を得て発表します。
テープおこし(三木カヨ子担当)・見出し等編集(藤田友治担当)、写真撮影(渡辺好庸担当)なお文責は市民の古代研究会編集部にあります。

司会
 本日は雨の中、御来場下さいましてありがとうございます。私は僭越ながら司会をさせていただきます市民の古代研究会事務局長の藤田と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
まず、主催者側からごあいさつと経過を簡単に申しあげたいと思います。
 本日は、遠路はるばる日本にこられました朝鮮民主主義人民共和国の孫永鐘(ソン・ヨンジョン)氏、東京からこられました全浩天(チョンホチュン)氏に敬意を表したいと思います。(拍手)
 又、東京から、非常に御多忙の中で古田武彦氏も講師としておみえです。よろしくお願いします。
 聴衆の皆様におかれましても、勤務の後、こうして古代史の真実を明らかにしようということで、お集りいただき本当にありがとうございます。
 さて、私達「市民の古代研究会」は古代の真実を、自主的に市民の立場で明らかにしようという研究団体でございます。この間、古田武彦氏を中心として、中国の集安にございます好太王碑を現地に、実際に調査し、古田氏においては二度視察をしておられます。
 従来から、論争のありました「好太王碑改竄説」は、古田氏の論証のとおり、“改竄(意図的)は成立しない”ということが判明しています。
 今日の問題のポイントは、碑文にかかれてある「倭」(王健群氏によれば十一回、従来の通説によれば九回でてきます「倭」)とは何か、という問題に焦点をあてるべき時期にきていると思います。
 又、このテーマに最もふさわしい、朝鮮、日本の第一線の学者の講演、そして、討論に期待するところは非常に大きいと思います。
 ふり返ってみますと、古代から非常に親密で緊張のある日本と朝鮮の交流がございましたが、今日、残念なことに、“近くて遠い国”になっています。国交のない、体制の違う国の学者と市民の研究団体とが、学術交流をすることは大変意義のあることだと思います。
 それでは、私ども主催団体の外に、協賛を引き受けていただきました「社会科学研究所」から、御挨拶をお受けしたいと思います。「社会科学研究所」を代表されて渡辺さん、お願いします。

渡辺
 渡辺でございます。どうも今日は御苦労様です。私は「社会科学研究所」の研究員でありますと同時に、この主催団体である「市民の古代研究会」の会員でありまして、今回協力させていただくことになりました。時間もありませんので、準備しております私共の挨拶をよみまして、御挨拶にかえさせていただきたいと思います。

 私たちは、本日の有意義な講演・討論会を協賛できることに、大変な喜びを感じていることを、まず初めに表明させていただきます。そして、この栄誉ある務めを与えて下さった主催者の皆さんに、感謝の意を表したいと思います。
 国交がないゆえに学術交流さえ自由に行えないという日朝関係の現状の中で、朝鮮民主主義人民共和国の第一線の先生方が古田武彦先生と議論を交されるということは、日朝の学術交流の発展や日本古代史研究の発展にとって大きな意義を有しているばかりではなく、現代世界の分析を専門とする私たち社会科学研究者にとっても、待ち望まれていたところであります。日本の学界や教育界においては、古田先生や市民の古代研究会の皆さんが一貫して指摘されているように、未だ戦前の歴史観から脱しきれてはおりません。それどころか敗戦後四〇年の今日の日本においては、朝鮮人民にとっては忘れることのできない、そして日本人民にとっては忘れてはならない、あの忌まわしい侵略戦争を正当化する歴史観さえ蘇りつつあります。このようなときに、自国史である朝鮮半島の古代史を朝鮮民族の主体的立場で研究されている共和国の先生方と、皇国史観の呪縛を断ち切り真に科学的な日本列島の古代史を解明されようとしている古田先生との真摯な議論が、それも、自主的な市民の手によって実現されるということの現代的意義は、どれほど強調しても過ぎるということはないと思います。
 私たち社会科学研究所は、内外情勢の分析を課題として活動を続けておりますが、特にこのかん朝鮮半島情勢の分析を第一級の課題とし、その研究成果をもって、東北アジアの平和と日朝友好の発展、そして朝鮮の自主的平和統一の実現に、微力ながらも貢献しようと努力してまいりました。古代史と現代史という、一見無関係に思える両分野の研究者が交流することは、「温故知新」の言葉もありますように、より多く私たち現代史研究者にとって意義あることなのかもしれません。私たちは、本日の講演・討論会が必ずや成功し、多大な成果を獲得されることを確信すると同時に、その成果を私たちも大いに学び自己の研究に生かしていこうと考えております。最後になりましたが、本日の企画実現のために御尽力された日朝の関係各位に敬意を表しつつ、このような市民の手による日本と朝鮮の学術交流の輪がさらに広がり、日朝の友好・連帯の絆の強化に寄与することを心より願いながら、御挨拶を終らせていただきたいと思います。

司会
 それでは、さっそく講演を始めていただきたいと思います。まず、講演は両国のお二人が四十分ずつ、討論は四十分程おこなっていただきたいと思います。
 テーマは、「好太王碑と高句麗文化について」です。
 ここで、講師の先生方を簡単に御紹介させていただきます。孫永鐘氏は一九五〇年ソウル大学を卒業され、一九五三年金日成(キム・イルソン)総合大学を卒業されました。現在、社会科学院室長・歴史学者です。

司会
 通訳をしていただく全浩天氏は、最近、朴時亨氏の『広開土王陵碑』を翻訳、出版をなさっておられます、歴史学者です。
 又、古田武彦氏は現在、昭和薬科大学教授です。『「邪馬台国」はなかった』以来、日本の古代史の通説に対して、根底から問題提起をしておられることは皆様すでに承知しておられるところです。又、日本において、好太王碑研究の分野において、第一人者であることは、この間の学説史上明らかたところだと思います。それでは、孫氏から「好太王碑と高句麗文化について」講演を受けたまわりたいと思います。孫氏、よろしくお願いいたします。

講演 広開土王陵碑と高句麗文化 

孫永鐘・全浩天訳

好太王碑と高句麗文化について

ー日本列島内分国論と九州王朝ーー   古田武彦

討論・好太王碑と高句麗文化について

講演 楽浪文化ついて 古田武彦



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