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文化の進化と伝播 ベティー・J・メガース スミソニアン博物館 藤沢徹訳(『新・古代学』 第四集)

『新・古代学』古田武彦とともに 第2集 1996年 新泉社

ベティー・J・メガーズ博士

来日こぼれ話

藤沢徹

メガーズ博士(エバンズ夫人)にアテンドしたとき伺ったあの話、この話です。お人柄が彷佛とします。

 一 メガーズ家はドイツからの移民の子孫である。デンマーク国境に近い、バルト海と北海に挟まれたシュレスヴィヒ・ホルシュタイン州に出身地がある。
  先祖のルーツを辿って故郷を訪ねたとき、風光明媚な風土にすっかり魅せられて、「どうしてこんなに美しいところから出ていったの」と質問したほどだった。
  その近所には、メガーズドルフ(村)とかメガーズゼー(湖)という地名が現存している。だから、メガーズというように語尾は濁音となるそうである。
  ちなみに、シュレスヴィヒ・ホルシュタインの地はスウェーデンやプロシアの侵略を度々うけ戦乱の地となったので、畑は荒らされ人々は難民となり逃げださざるをえなかったのだそうである。メガーズ家の先祖はそのうちの一人だったとのこと。

 二 ベティーさんは、米国のワシントンDCのジョージタウン(大学もある古い高級住宅地)で生まれ育った。大学はフィラデルフィアのペンシルベニア大学で、考古学/文化人類学を専攻した。
  一九三〇年代にイラクのウルを発掘した探検隊を出したペンシルベニア大学の付属考古学博物館は当時もっとも研究が進んだところで、若き日のベティーさんはそこでアルバイトしていて、収集品のカードづくりにタイプを打っていたそうである。
  グラジュエート(修士)コースはミシガン大学で、ドクター(博士)コースはコロンビア大学だった。
  彼女によると、考古学はどの大学がいいということではなく、いい先生のいる大学がいい大学といえる。先生はよく大学を変わるので大学の評価も動くのだそうだ。

 三 夫君の故クリフォード・エバンズ氏はダラスの出身だが、六歳のとき父君が亡くなり、親戚を頼ってロスアンゼルスの郊外に移った。そこは養鶏場を経営していたので、朝何百という卵を集めてから学校に行ったそうだ。お陰で大人になっても鶏の姿をしたチキン料理には食欲がわかなかったそうである。
  ちなみに、クリフォードの父君は第一次世界大戦で従軍中結核に感染したのが元で、亡くなったそうである。

 四 クリフォードさんは第二次世界大戦中、在欧アメリカ空軍の爆撃隊に所属していた。ハンブルグ爆撃のとき機体に高射砲弾が命中し、パラシュートをつけていた三人だけが脱出に成功したそうである。彼はヘルメットを吹き飛ばされても九死に一生を得た。ドイツ敗戦の一九四五年五月まで捕虜収容所に入れられていたそうである。

 五 ベティーさんとクリフォードさんの出会いは、一九四六年のニューヨーク市自然史博物館でだった。
  二人とコロンビア大学の学生で、彼は戦争のお陰で学業が遅れ修士コースに入ったばかり、彼女はすでに博士コースの学生だった。彼が自然史博物館で研究していたとき、彼女は指導する立場だった。二人の間に愛が芽生えるのに時間はかからなかった。

 六 エバンズ博士が亡くなってから古田先生はワシントンDCのメガーズ博士の家を訪ねた。今度の来日でエバンズ博士の部屋が生前そのままに保たれていた話をしたところ、メガーズ博士は家全体がそうですよと答えた。クリフォード・エバンズ氏への愛は今も生きている。

 七 ベティー・J・メガーズのミドル:ネームはジェーンというそうだが、大貫教授はJapanのJか、JomonのJかといって大笑いになった(座談会の一こま)。

 八 メガーズ博士は新聞をとっていない。車の渋滞を避けて朝六時半に家を出ると一〇分足らずでスミソニアンに着いてしまう。ということは朝の配達は間に合わないし、夕方遅く帰るときは、朝刊は旧聞になってしまう(研究生活をいかにエンジョイしているかも分かる)。
  一週間分のニュースはUS・ニューズ・アンド・ワールド・レポート誌を読めば充分だとのこと。
  さらに、料理など家事はあまり好きでないと告白した。

 九 もう三〇年位前になるか、エバンズ博士が秘書を採用したとき、優秀な女性を選んだのだが、黒人とわかって上司のマネージャーがカンカンになって怒り、何で黒人を採るんだと文句をつけた。彼は完全な人種差別主義者だった。
  その彼が二年後、あの人は優秀だから是非自分のところによこせと談判に来た。能力は結果で証明しなければならない。

一〇 メガーズ博士はタラザクム会社の創立者という。タラザクムとは蒲公英(タンポポ)の学術名だそうである。どういうことか聞いてみたら、そんなことを聞いたのはあなたが初めてだといって説明してくれた。
  大体考古学者はタコ壷みたいに自分の穴に閉じこもってしまう。だから、情報をタンポポの羽のある実のようにどこにでも飛ばしてあげたいと思って、考古学情報のマルティ・インターフェイスといった組織を作ったのだそうである。
  そして、その結果、誰でも最新のデーターに気やすくアクセスできるようになった。

一一 アマゾン川環境保護のために長年取り組んでいる。アマゾン川は横に伸び縮みする大河で、旱魃期と洪水期では大きさが全然違う。
  だから生半可な開発事業は歯がたたない。最近もドイツの大資本が、インフラ整備に取り組んだが、何十億ドルも投資した挙句、撤退した。自然をよく知らなくては駄目だ。
  また、最近砂金の精錬業者があちこちに入りこんで、水銀を使っている。そのため魚が水銀を貯め、それを食べた人が水銀中毒になる例が数多く見受けられる。
  さらに、熱帯林の伐採を試みる会社が入って来ている。ある日本の会社はペルーのフジモリ大統領に、アマゾン上流まで道をつけさせれば、ペルーの対日債務は帳消しにしてやると二度も申し込んだが、日本はアマゾンの熱帯林環境保護の敵になろうとしていると言って断ったそうである。

一二 私は土器が専門だから、土器のことしか知りません(裏返して言うと、土器のことなら自信がありますということ)。

一三 帰りしな、もう読んでしまったからと、一冊のぺーパーバックの本をプレゼントしてもらった。
  本の題を見てびっくりした。なんと、パトリシア・コーンウエルのベストセラー推理小説『死体農場』ではないか。『検屍官』『証拠死体』『遺留品』『真犯人』に次ぐ第五作。(講談社文庫)
  ノースカロライナの小さな町で十一歳の少女が殺害された。その残虐な手口はFBIが長年追い続けている連続殺人鬼のものと酷似しているのだが・・・・。美貌の検死官ケイ・スカペッタが五たび大活躍のシリーズ最新作。
  メガーズ博士の幅広い好奇心とエネルギーにはほとほと感心した。誰かが、まるで少女のようなみずみずしい感受性の持ち主だとコメントしていたが、まったく同感だ。

付記(田島芳郎)
 わたしにも強烈な思い出がある。一九七九年の十一月だった。ニューヨークの地下鉄にナチュラル・ヒストリーという駅があり、降りてみると、出口が直接ニューヨーク自然史博物館につながっていた。その二階の奥にあった中南米室を見て回っていた時のこと、大きな解説パネルが目についた。
 何と、日本から南米に赤い線が引げてあり、九州→エクアドル、BC三〇〇〇と書いてあるではないか。それを見た瞬間、膝がガクガクと震えだした。震えは二〜三分止まらなかったと思う。
 今回、エバンズ・メガーズ夫妻がスミソエアンに招かれる前、ニューヨーク自然史博物館で研究されていたことを知り、そういうことだったかと納得した次第である。
        (「東京古田会ニュース」49号より転載)


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