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『新・古代学』古田武彦とともに 第3集 1998年 新泉社
特集 和田家文書をめぐる裁判経過

和田家文書(「東日流外三郡誌」等)訴訟
の最終的決着について

古田武彦

 和田家文書(「東日流外三郡誌」等)をめぐる【一審】青森地裁、【二審】仙台高裁、【三審】最高裁の三判決を本誌読者の御覧に入れたい。以下は、判決文をお読みいただくための手引である。

  野村孝彦氏の請求は、「和田喜八郎は野村に対し、1、慰籍料五〇〇万円を支払え。2、謝罪広告を東奥日報、河北新報、朝日新聞に掲載せよ。3、「知られざる東日流日下王国」中の写真一枚と本文四頁を削除せよ。」というものであったが、2の請求は、二審の途中から「謝罪広告を図書新聞に掲載せよ。」と改められた。

  野村氏の主張(請求原因)は、「和田は、(一)野村の撮影した写真をその著作物中で無断掲載したので、1、慰籍料二〇〇万円、2、謝罪広告、3、著作物中の一部の削除を求める。(二)北方新社刊行の「東日流外三郡誌」等は、和田所蔵とされている江戸時代後期の古文書「東日流外三郡誌」の写本等を原書として出版されたものであるが、これらの原書は和田の偽書である。野村は昭和五〇年五月一四日、日本経済新聞朝刊(全国版)の文化欄に自己の研究成果を発表したが、これを和田が剽窃ないし盗用し又は翻案して作成したのが、右の原書である。野村は右の新聞記事の盗用又は翻案につき、和田に対し慰籍料三〇〇万円の支払を求める」というのである。

  【一審】青森地裁は、写真の“無断掲載”につき、和田氏に慰籍料二〇万円の支払のみを認めて、その他の請求をすべて斥け、新聞記事の“剽窃”について、東日流外三郡誌は三六八巻にも及ぶ長大な史書の体裁をとっているのに対し、野村氏の新聞記事は熊野地方の本件石垣についての調査結果を記載した手記のようなものであり、両者は本質的に全く異なるものであるとして、野村氏の請求を全面的に排斥した。

  この判決に対して野村氏の側のみが控訴した。和田氏は一部敗訴を遺憾としたが控訴はしなかった。(注1) 認定額は僅少であり、主戦場は、いうまでもなく、北方新社刊行の『東日流外三郡誌』等の基となったのが和田氏作成の偽書なりや否やの一点にあるからである。
 【二審】仙台高裁判決は、些少の点を除いて一審判決を引用することなく、野村氏の請求原因等の事実摘示から判決理由に至るまで、その殆どが書下ろしであるので、読者はこの二審判決を一読するだけでも事件の全貌を知ることができる。昭和五〇年五月一四日の日経文化欄の記事は、高裁判決では「本件論文」となっているが、これは野村氏が二審でその呼称を改めたことによる。

  【二審】仙台高裁の判決はどうなったか。判決理由の二「本件論文について」の2「著作権侵害の有無」に、その判断が示されている。
 野村氏は、北方新社刊行等の『東日流外三郡誌』は和田氏による偽作であり、その中において野村氏の本件論文を剽窃、盗用し、複製権又は翻案権を侵害した、と主張する。それが本件訴訟の主戦場である。
 「東日流外三郡誌」については判決文を参照されたい。同書は昭和五〇年以降「市浦村史資料編」として三巻、同五八年以降北方新社から七巻、平成元年八幡書店から六巻が刊行されているが、この「東日流外三郡誌」等は和田氏による偽書であると主張する者があり、野村氏の主張する本件論文(昭和五〇年五月一四日の日経文化欄の記事)の著作権侵害は、この「東日流外三郡誌」が和田氏の執筆にかかる(偽書である)ことを前提とするところ、このような一面で学問的背景をもって見解の対立する論点に関しての判断(二二八頁上段傍線部参照)はひとまず留保する。

  彼此対比した検討の結果は、(一)「東日流外三郡誌」等にある記事中、野村氏指摘の箇所が野村氏の本件論文の著作権を侵害するような、著作物としての同一性を有すると判断することは困難である。(二)さらに (1)「東日流外三郡誌」全体と本件論文とを対比しても、前者は長大な史書の体裁をなすものであるのに対し、後者は本件石垣の調査結果の報告論文である点で全く異なる上、 (2)前者が古代日本に存したとされる邪馬台国等の石垣の伝説的な記述であるのに対し、後者は熊野地方の石垣の客観的な形状その他を学問的に探求しようとするものである点においても全く異なるから、全体的な対比においても、著作物としての同一性を肯認することは到底困難である。

  野村氏の著作権侵害を前提とした本件論文に関する請求は、「東日流外三郡誌」等の著作者が誰であるかの判断に立ち入るまでもなく、理由がないことは明らかである、と。これが【二審】仙台高裁判決の結論である。
 日本経済新聞(昭和五〇年五月一四日)文化欄の記事の執筆者として野村氏の有する著作権が北方新社等刊行の『東日流外三郡誌」によって侵害されたから慰籍料三〇〇万円の支払を求める、という野村氏の請求がいかに不自然なものであるか、これ以上贅言の必要はあるまい。(注2)

  それでもなお、野村氏はこの判決を不服として上告した。最高裁第三小法廷は、裁判官全員一致の意見で、この上告を棄却した。まさに鎧袖一触の感がある。

注1 知られざる「東日流日下王国」は、実質的には成田氏との共著であり、野村氏指摘の箇所は和田氏の執筆ではなく、和田氏は校正にも参加していない、という。写真の“無断掲載”についての野村氏の慰籍料請求額は二〇〇万円。一審認容額は二〇万円。二審では四〇万円となったが、訴訟費用は、一、二審を通じて3/4が野村氏、1/4が和田氏の負担とされた。上告費用が全額野村氏の負担であることはいうまでもない。

注2 昭和五八年以降に刊行された北方新社版よりずっと早く、昭和五〇年から五二年までに青森県北津軽郡市浦村から、「市浦村史資料編」として問題の「東日流外三郡誌」が三巻に分けて刊行されたことは、二審判決の理由中にも明記されている。その上巻は昭和五〇年四月の刊行で、市浦村長白川治三郎氏の「発刊のことば」は、昭和五〇年一月二九日である。その日経新聞文化欄の日時(昭和五〇年五月一四日)と対比されたい。

〈補〉
 当問題につき、ジャーナリズム各面において必ずしも“適切”ならざる報道が見られた。しかし今回当誌の読者はこれらの判決文によって、正確な認識をうることができると思われる。最後に、本訴訟において和田喜八郎氏のために尽瘁された五戸弁護士の御努力に対して心から敬意を表させていただきたい。


報告 平成七年二月二一日 青森地方裁判所判決
付 別紙(九)(野村孝彦氏が主張する「邪馬台城」剽窃一覧

報告 平成九年一月三〇日 仙台高等裁判所判決

報告 平成九年一〇月一四日 最高裁判所判決
付 上告趣意書(平成九年(オ)第一一四〇号 上告人 野村孝彦)

報告 半田「鑑定書」に対する批判 古田武彦

報告 報告書 和田家文書をめぐる裁判経過 古田武彦

報告 陳述書 和田家文書をめぐる裁判経過 (齋藤陳述書〔甲第二八四号証〕)古田武彦

報告 陳述書 和田家文書をめぐる裁判経過 (野村孝彦氏陳述書[甲第二八三号証])古賀達也

報告 陳述書 和田家文書をめぐる裁判経過 (野村孝彦氏側斎藤隆一氏報告書【甲第二八五号証】)古賀達也

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野村孝彦氏の和田氏控訴審に関するその後の報告
仙台高裁、「盗作説」を退ける 青森県藤崎町 藤本光幸(古田史学会報第十八号)


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