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寛政原本と古田史学 古田武彦(古田史学会報81号)

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『新・古代学』古田武彦とともに 第3集 1998年 新泉社
特集 和田家文書をめぐる裁判経過

陳述書

野村孝彦氏陳述書[甲第二八三号証]などについて、次の通り意見を申し上げる。

和田家文書研究の現状について

一「和田家文書」の定義について、見当違いの論難を正す
 会報十六号の拙稿中、和田父子が山中より発見した文書を「和田家文書」と私が表現したことに対して、「いつわり」「虚偽」「恣意的な欺瞞」と口を極めて誹謗中傷されている。
 わたしは、拙稿「『東日流外三郡誌』とは ーー和田家文書研究序説」(『新・古代学』一集所収、一九九五年七月)において、和田家文書の現状と概要、史料性格などを調査報告しているが、その中で、和田父子により山中から発見された文書も和田家文書の一部として紹介している。これは和田家に伝存してきたものも、戦後、和田家によって発見され収蔵されてきた文書も和田家文書として一括して取り扱い、その上で、それらを書写年代などから分類を試み、以後の研究に役立てようとしたものである。「和田家文書研究序説」という副題もその精神の現れであった。このように、定義を厳密に、かつ公にしながら研究を進めている私に対して、野村氏の誹謗中傷はお門違いであろう。

二 昭和二〇年代に紹介されていた和田家文書
 また、野村氏は「二〇年代はおろか、おそらく三〇年代にも、和田家に古文書が伝わっているという話はなかった」とされるが、私の調査結果によれば、昭和二〇年代には福士貞蔵氏により『飯詰村史』(昭和二六年刊行、編集後記は昭和二四年)、「藤原藤房卿の足跡を尋ねて」(『陸奥史談』所収、昭和二六年)などに、和田家文書からの引用と見られる記事が掲載されていたことが判明している(詳細は「『東日流外三郡誌』とは ーー和田家文書研究序説」に記した)。
 また、開米智鎧氏と親しく、和田家文書に基づいて『金光上人の研究』を昭和三五年に著された佐藤堅瑞氏(柏村浄円寺住職)も、昭和三一年に和田家文書を初めて見たことを私からの聞き取り調査にて証言されている(古田史学会報七号に掲載)。このように、野村氏の主張は全く根拠がなく、しかも私がすでに発表してきた調査結果を無視された上でのものである。

永田富智氏の証言について
 『東日流外三郡誌』約二百冊を昭和四六年頃に見たという永田富智氏の証言についても、野村氏は疑義を呈しておられるが、こうしたことは永田氏に対して失礼であり、かつご迷惑なことである。永田氏は私の質問に対して、ご自分の見たことと感じたことを率直に、かつ慎重に述べられたのであり、その誠実なお人柄が感じられたものである。また、明治の末にはやりだした機械すきの和紙という表現も、氏の永年の御経験からくる判断であるが、明治の末に流行ったということと、明治の末から初めて開発されたということとは異なる間題であり、『東日流外三郡誌』の書写年代に明治十年代のものがあっても別段矛盾することではない。まして、和田家文書は清書や再書写が繰り返された文書でもある。たとえば、和田末吉が明治初期に書写したものを、その子ども長作が明治末年や大正期頃に書写年次をそのまま写して清書した再写本も少なからず存在しているのである。したがって、永田氏の証言は和田家文書の史料性格から見ても、穏当な判断と言わざるを得ないのである。

古田史学会報への中傷について

一 会報六号白川氏記事への中傷について
 野村陳述書にて取り上げられた古田史学会報十六号の記事「地に堕ちた偽作キャンペーン」は、そもそも雑誌ゼンボウ(平成八年九月号)や野村氏側の裁判提出書面中に、会報六号への誹謗中傷がなされたことに端を発し、その反論を記したものである。すなわち、会報六号の白川治三郎氏の記事が、白川氏が書いた内容とニュアンスが大幅に異なり、詐術の疑いがあるとされたので、やむなく白川氏から寄せられた自筆原稿(部分)を掲載し、会報編集部への事実無根の誹誇中傷に反論したものである(原稿の全文コピー等は五戸弁護士を通して裁判所へ提出済み)。
 ところが、充分な調査もせずに古田史学会報編集部を「詐術」と誹謗中傷されていた野村氏は、白川氏の自筆原稿の存在によりその根拠が崩れると、「白川治三郎氏のお考えを確認し申し述べたまでである」と開き直られた。これでは白川氏にとっても迷惑な話であろう。そして今回、ますます本会報や私に対して、誹謗中傷、名誉棄損的言辞を繰り返されるに到ったのである。
 わたしとしては、『季刊邪馬台国』などに「秘宝探しに白川村長が公金を出した」と実名をあげて中傷されておられる白川氏に反論の御寄稿をお願いしたものだが、はからずも結果として御高齢の白川氏を裁判に巻き込んでしまうことになって、心苦しく思っている。野村氏はこのようにご迷惑をおかけしている白川氏に対して謝罪されるべきであろう。

二 『東日流外三郡誌』や和田家文書が現在も偽作されているという偽作諭者の主張
 会報十六号の永田氏へのインタビューの編集部によるリード記事に対して、「相手が言ってもいない事実と違った前提を、あたかも相手が述べているが如く主張をして」と、同記事中の「偽作論者たちは、『東日流外三郡誌』を昭和五十年頃(市浦村史版発行時期)から六十年頃(八幡書店版発行時期)にかけて、和田喜八郎氏が偽作し続けたとの虚偽情報を繰り返している」という表現を「詐術」と野村氏は非難された。
 しかし、『東日流外三郡誌』や和田家文書を現在に到るまで和田喜八郎氏が偽作し続けているという主張はこれまでの偽作キャンペーンで繰り返されているところである
(斎藤隆一氏「共同研究会資料〈一九九三年五月二八日〉『和田文献』への七大批判〜偽書説の理由」、松田弘洲氏「『東日流外三郡誌』にはネタ本がある」別冊歴史読本『「古史古伝』論争』所収・一九九三年十二月、石田健彦氏「『東日流外三郡誌』の偽書騒動に見たこと」『季刊邪馬台国』五三号所収・一九九四年三月、などに同主張が見える。)。そうした事実を指摘した会報に対して、野村氏はまたもや「詐術」だの「トリック」だのと中傷されるのだが、事は明らかである。

三 高楯城「木村実氏書写」文書とのすり替え
 最後に最も肝要の点を指摘する。今回の野村氏の主張中、最も悪質かつ巧妙なものが「高楯城の展示室にある木村実氏の書写文書には、古賀氏のいうような、『和田末吉』の文字はない。自らの主張に都合のよいように、『和田末吉』の文字があると『作り話』をしているのである。」という部分である。
 ようするに、高楯城展示室で私が見た文書(六巻)について、古賀による「作り話」と中傷されるのだが、これなども意図的に対象をすり替えたとしか思えない。なぜなら、会報十六号の拙稿中、わたしが高楯城で見たものは「木村実氏よりもたらされた文書」と記しており、「木村実氏の書写」などとは書いていない。というのも、私が見た巻物六巻は、案内していただいた野宮喜造氏が「板柳の木村実さんが持ってきたもの」と紹介されたものであり、したがって厳密に「もたらされたもの」という表現を使用したのである。そして、その巻物中に、「和田末吉」という「署名」部分が見られたので、和田家文書明治写本を戦後に再書写したものと判断したのである(書写者は不明)。
 野村氏は、高楯城に「木村実氏書写」は二点しかなく、古賀はそれを見ていない、と主張されているが、私が見たものと「木村実氏書写」二点とはおそらく別ものであり、初めから私は木村実氏「書写」文書を見たなどとは書いていないのである。にもかかわらず、わたしが全くあずかり知らぬ、木村実氏「書写」文書なるものを持ち出し、それとわたしが見て紹介した六巻の文書とは内容が異なるとして、わたしがありもしない文書の「作り話」をしたとされたのである。こうした巧妙な「すり替え」の手口は偽作論者の用いる典型的な手口の一つのようだが、読むものを欺き、わたしの研究者としての誠実性に泥を塗る行為であり、許し難い中傷と言わざるを得ない。
 また、古賀は高楯城へは一人で来たと別の報告書に記しているが、これも事実ではない。私は当地の地理不案内のため、和田章子さんが運転する自動車で送り迎えしていただいたものである。当日、和田章子さんも私の調査を見ておられるのである。
 わたしは、この正月休みを利用し、帰省を兼ねて金光上人の出身地である福岡県浮羽郡に調査に赴いた。当地では、和田家文書に記された金光上人伝承に対応する史料事実などを発見し得たのであるが、そのことを金光上人出身寺院の関係者にお話ししたところ、深く興味を示され、今後の調査結果の報告をも依頼されたのであった。このように、和田家文書やそれに基づく諸伝承の調査研究は着実な進展を見せているが、その一方で、ここでも述べたような偽作論者によるさまざまな中傷妨害が続き、学問研究の妨げとなっているのも残念ながら事実である。
 裁判所におかれては、このような訴訟に名を借りた、他者への誹誇中傷に対して、一刻もはやく公正な御判断を下されるようお願い申し上げるしだいである。
                                   以上
  平成九年一月九日
  京都市上京区河原町通今出川下ル梶井町
                古賀達也
仙台高等裁判所第二民事部御中


報告 平成七年二月二一日 青森地方裁判所判決 付 別紙(九)(野村孝彦氏が主張する「邪馬台城」剽窃一覧)

報告 平成九年一月三〇日 仙台高等裁判所判決

報告 平成九年一〇月一四日 最高裁判所判決 付 上告趣意書(平成九年(オ)第一一四〇号 上告人 野村孝彦)


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