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1994年6月30日 No.1
古田史学会報 創刊号 |
発行 古田史学の会 代表 水野孝夫
「古田史学の会」の目的 一、古田武彦氏の研究活動を支援協力する。 二、古田史学を継承発展させる。 三、古田武彦氏の業績を後世に伝える。 四、会員相互の親睦と研鑽を深め、楽しく活動する。 |
全国世話人会代表 水野孝夫
このたび「古田史学の会」を発足させることになり、世話人の代表をつとめさせていただくことになりました。よろしく御願い申上げます。
この会の目的はこの号に明記しましたが、この会はひとくちにいうと「古田氏を応援する会」です。古田武彦氏は、ご承知のように従来の定説とは全く異質の古代史像を築いてこられました。
歴史に興味をもつひとにとって、歴史をどう理解するかはいうまでもなく、個人の自由です。関心をもつ人間の数だけの歴史観があって当然です。どうあるべきなどと誰からも強制される理由はありません。古田氏の方法に従って古代の真実を考えたい人達に参加していただきたいと考えます。
かって、古田武彦氏と話がしたい、話を聞きたいという人達がはじめた「古田武彦を囲む会」が会員の層を広げる意味で「市民の古代研究会」と改称し、古田氏がつねに説いてこられた「真実のために生きよう・・そして師の説に、な、なづみそ・・これが学問の真髄」という精神は引き継ごうとしたとき、古田氏の説のどこかに疑問をもつひとがあらわれると、どのように行動するかで、複数の立場を生じることになりました。「和をもって貴しとなす」として妥協して言いたいことも言わずにおくか、「別れるか」です。会員の数が多いことはひとつの力ですが、信ずるところをおさえているのは、「もの言わぬは腹ふくるる心地ぞする」わけで楽しくない。生活の糧を稼ぐためならがまんも必要ですが、そうでない活動では信じるところに従って行動するでよいのではないでしょうか。
この会は他の「古代研究会」とは別の会ですから、会費を負担していただけば、複数の会の会員でありたいという人の入会を妨げているわけではありませんし、会員の争奪を考えているわけでもありません。むしろ関東や九州の「多元的古代研究会」を初めとする友好団体と協力して、研究や事業をすすめてゆきたいと考えます。
この会は古田武彦氏を応援する会と表現しましたが、これは古田氏の説のすべてを肯定することではありません。「師の説に、な、なづみそ」なのですから。わたしはご承知のように和田家文書に関してはその信憑性に関して疑問を呈していますが、だからといって古田離れをするつもりはありません。わたしは本会の目的に賛同された方々のために働きたいと思います。
本会は次の事業に取り組みます。
1 会誌(名称未定)の年二回発行・市販します(新泉社)。会員には進呈します。投稿資格は本会および友好団体の会員とします。
2 会報『古田史学会報』を隔月刊で発行し、古田氏の近況や会員間の交流、研究発表の場とします。
3 古田武彦氏の講演会・懇親会などを開催します。当面は八月二八日に創立記念関西講演を予定しています。
4 会員の協力により、古田氏の研究活動への具体的支援体制を作り、支援活動を行います。(現地案内・現地情報提供・講演録作成・著作索引作り・など)協力が可能な方は事務局までその旨ご連絡いただければ幸いです。
5 全国世話人を中心に古田氏講演会のビデオ鑑賞会や例会を行います。
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本紙「古田史学会報」へも御寄稿下さい
山崎仁禮男
五月二八日、藤田前「市民の古代研究会」会長の『「青龍三年」銘方格規矩四神鏡』の研究発表のあと、「会」の人たちと喫茶店に行った。話は今回の「会」の一部理事の辞職問題となった。以下、私がこの時主張したこと、またこの後に考えたことをまとめ、皆様の判断材料としていただきたい。
■「市民の古代研究会」とは
会則などは一応別として、本来「会」は古田先生の学説を支持し関心を持つ人たちにより、アマチュアの歴史研究の会として、古田先生を励まし、研究の成果
を聞き、自分も多少なりとも研究に参加し、古田学説を広く世にひろめたいと願う人々の努力により今日まで発展してきたものと考えられます。こうして、「会」はいつの間にかアマチュアの歴史研究会団体としては日本最大のものとなり、古田先生の見解は新聞テレビなどでもとりあげられ、また、素人の研究参加者も、歴史学界が古田学説をシカトしてこの分野にプロが参入してこないので、大幅にその研究水準をあげてきたやに見えます。しかし、古田学説が日本の歴史学の本流になるまでには、学界がこのような状況である限り、その向こうにある文部省までははるかな道のりといえましょう。
■事件の発端
このような状況のなか、安本美典氏の和田文書をめぐる言動(卑劣な攻撃と考える)が激しくなってきて、「会」の理事のなかに古田学説支持をめぐり意見の違いが発生し、古田先生に批判的な考え方をとる理事が先生の講演中止を要求し、会則の「市民の立場から古代史の真実を公正に研究する」とあることなどを根拠として、古田学説といえどもいくつかの学説の一つであり絶対視してはならないとし、「会」における古田学説の位
置を下げて、他の学説も公正に研究すべしとする「学問・研究の自由、公正な研究」が「会」のあり方と主張された。そしてこの考えの人が理事会の多数を占めたのです。
■何が問題の中心にあるか
どのような学説も絶対視せず、公正な研究をする自由な会こそ「会」の有るべき姿」との主張は、誠に立派な考えのように、一見みえるのです。しかし、この「公正」と「自由」という美しく飾られた言葉は、その裏側では古田学説を「会」の中心からひきずりおろすための方便でしかないのです。もしも、すべての学説の真実を疑えば、永遠の不可知論か懐疑主義の泥沼に移行します。他の学説にも真実があるから研究しようといわれるが、学問は体系であって、二つの学説の真実と真実の関係が問題となり、この主従の関係を定めないと学問とは言えない。学問には自分が真実と考える仮説が必要です。仮説は検証のなかでより真実へ絶対へと上昇していくのです。
ですから、多数派理事の主張する「古田学説以外も公正に研究する」とは、聞き心地はよいが、自主的な研究団体としては成立できないのです。何故なら、真実を探求するための手段・方法(仮説)をもたない研究団体など存在し得ないからです。それは公的な学校のようなもので知識を得るためのものといえましょう。
■欺瞞のカラクリ
多数派理事の方はこのことをよく知っていたのです。「会」の会則に古田武彦支持の文言を入れることにすぐに承認したのです。古田学派という看板帽子がなくては「会」が成立していかないこと、とうにお見通
しであったのです。「公正・自由な研究」や「学説を絶対視しない」などの美辞麗句は「会」を支配するまでの手段であったに過ぎないのです。ですから、多数派の理事の考えには大きな矛盾があるのです。理事会の内部では「古田説」などいくつかの学説の一つに過ぎないと論難しながら、外に向かっては、古田先生に「講演をお願いしますと言わざるを得ないのです。「公正と自由な研究」は主張するが「古田説」の旗は降ろしたとはいえないのです。
彼らの理論からは研究団体たり得ないのであり、「古田学説」を格下げしながら、「古田学説」のシャッポが必要なのです。会の目的と研究団体としての性格が多数派理事の理論(方便)と絶えず矛盾をおこし、このような二枚舌の構造とならざるを得ないのです。
■古賀事務局長の辞任
古賀事務局長の突然の辞任と「会」の多数派理事への批判文書(私信)は、「会」の幹部として会員への裏切り行為と批判される。
だが、彼は「会」がその目的からみて変質してしまったと考え、善意の全会員にこれを告げる最後の手段として辞任したのです。また、名目的な事務局長に押し込められたのです。こうして藤田会長ら「会」の「古田説支持」派は「会」を去ったのです
■裸になった多数派理事
「会」の本来的な目的と研究団体という性格、また古田先生が著名な学者となられるなか、「古田学説」の看板と帽子がなくて「会」は成立し得ないのです。多数派理事が「会」の運営権を手にいれた瞬間、古賀事務局長の辞任を契機として、この看板・帽子が吹っ飛んでしまったのです。残ったのは「古田説も一つの学説に過ぎない」と論難してきた、研究団体としては学問の仮説を持たない多数派理事のせきららな姿だけだったのです。前回は古田先生の講演会に反対した人が、今回はどうして「会」と一緒にやろうなどというのでしょう。単なる一つの学説に過ぎない「古田説」の看板などはいらないと断固主張すべきではないでしょうか。看板だけ掲げて中身は別
とは、そうそううまくいかないものです。
■私の選択
古賀事務局長より「会が変質しましたので辞任して新しい会を作りたいと思います」と電話があった。私は即座に賛成し、新しい会に入ることを約した。そして、躊躇は相手に利する、時は今だと感じた。考えてみると、二枚舌の構造は長くは続かないので、彼らは方便を捨てて「古田学派」の仮面
をかぶる可能性があり、時間がたつと事態はもっと複雑になるでしょう。
■古田学説に対する私の考え方
私は多数派の理事の皆さんの様にいくつかの学説の一つとは考えません。この学説--その中心は九州王朝の実在--は『日本書紀 』成立千二百余年にして偽りの歴史観から日本人をはじめて開放した、まさに驚天動地の学説で、この出現により既存の学説は基本的に崩壊したと考えます。しかし、まだ不充分なところが多く、既存の学説を承服するに至らず、また一部に誤りもあるようにも考えられます。他方崩壊した既存の学説には無数の真理の断片が含まれ、古田学説により体系化されることを待っているのです。
安本美典氏の攻撃など何をオタオタするのか。私たちには千二百余年の歴史の空白を埋るべき無限ともみえる学問研究のチャンスとフロンティアをこの学説により与えられたのです。この日本列島にあるものすべては書き直され解釈し直されねばならないのです。
これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』第一集~第四集(新泉社)、『古代に真実を求めて』(明石書店)第一・二集が適当です。(全国の主要な公立図書館に御座います。)
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