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お断り:このホームページとブログ「古賀達也の洛中洛外日記」は別構成です。
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▼ 案内 講演会  例会関西東海

 2021年 5月 9日改訂、

 緊急告知

 古田史学の会・関西5月15日例会は、奈良県の近鉄新大宮駅北600メートルの奈良新聞社3階セミナールームになりました。

1,ブログ古賀達也の洛中洛外日記

 ブログも2453話まで掲載。

 「前期難波宮副都説反対論者への問い」、「二中歴」、「二倍年暦」、および「九州王朝の「東大寺」問題はブログで展開しています。「九州王朝の現地説明動画がすごい」ブログ1256話に移行、関西古田史学講演報告と平行して、クラウド@服部静尚を掲載

 大和朝廷と「九州王朝系近江朝廷」との関係は、
会報「よみがえる古伝承 大宮姫と倭姫王・薩摩比売(その1) (その2) (その3)
 ブログ「近江京」をご覧下さい

 

 2444話2445話

 new2446話2447話2448話2449話

new2450話2451話2452話2453話を掲載

 

2,2019年9月〜2020年3月
  関西古田史学協賛講演会報告を設置

 

3,2020年4月〜2021年4月
  関西古田史学協賛講演会報告を設置

 

4,関西古田史学協賛講演会 案内 ・報告を設置

     4月度講演会

 4月10日 <土> 午後2時〜4時30分、市民古代史の会・東大阪で服部氏講演報告

 4月13日(火)午後2時〜4時 和泉史談会で正木氏講演報告

 4月24日<火> 午後1時〜5時 古代大和史研究会(奈良新聞本社西館3階)が
卑弥呼と邪馬壹国『「邪馬台国」はなかった』出版50周年記念講演会を開催

 4月27日(火)午前10時〜12時 古代大和史研究会で正木氏講演報告

     5月度講演会

 開催中止5月 8日 <土> 午後2時〜4時30分、市民古代史の会・東大阪で服部氏講演開催中止

 5月17日(月)午後1時〜5時 特別講演会 in 玉出で服部・正木氏講演

 開催中止5月18日(火)午後6時30分〜8時 市民古代史の会・京都で服部氏講演開催中止

 5月21日(金)午後6時30分〜8時 誰も知らなかった古代史の会で正木氏講演

 会場変更5月25日(火)午前10時〜12時 古代大和史研究会で正木氏講演
 奈良県立図書情報館交流ホールが閉鎖されましたので、奈良新聞社本社西館3階に会場を変更します。


Facebook古田史学の会 へ

英文ホームページBack to the Future へ

国際人間観察学会Phoenix - Goddess of truth never dies へ

中国語ホームページ史之路 へ


◎「古田史学」研究サイト@なんば.opu案内
大阪府立大学I-siteなんばまちライブラリーの交通アクセスはここから
開館時間: 火〜土 13:00〜20:00
       上記のうち、祝日は13:00〜17:00

まちライブラリー@大阪府立大学をご利用いただくには会員登録が必要です。
会員登録時に、実費(500円)が必要です。

住所:大阪市浪速区敷津東2-1-41南海なんば第1ビル3階まちライブラリー内
 アクセスは、南海電鉄難波駅 なんばパークス方面出口より南約800m 徒歩12分
 地下鉄なんば駅(御堂筋線)5号出口より南約1,000m 徒歩15分
 地下鉄大国町駅(御堂筋線・四つ橋線)1号出口より東約450m 徒歩7分です。

「古田史学」研究サイトの蔵書目録です。

 
 
 

古賀達也の洛中洛外日記
第2451話 2021/05/07

水城の科学的年代測定(14C)情報(1)

 このところ文献史学の研究に没頭してきましたが、今日は久しぶりに考古学、特に太宰府関係の年代測定や土器編年についての報告書を読みました。その成果として、水城の基底部出土敷粗朶の炭素同位体比(14C)年代測定について、新しいデータがあることを知り、水城の築造時期についての確信を深めました。
 水城の築造時期について、わたしは『日本書紀』天智紀に見える次の記事の年代(664年)として問題ないと考え、論文を発表してきました(注①)。

 「是歳、対馬嶋・壹岐嶋・筑紫国等に、防と烽を置く。又筑紫に、大堤を築きて水を貯へしむ。名づけて水城と曰ふ。」『日本書紀』天智三年是歳条(664年)

 その主たる根拠は水城の基底部から出土した敷粗朶の炭素同位体比年代測定値でした。
 同敷粗朶は、地山の上に水城を築造するため、基底部強化を目的としての「敷粗朶工法」に使用されていたもので、平成十三年の第35次発掘調査で、調査地の地表から2~3.4m下位にある厚さ約1.5mの積土中に11面の敷粗朶層が発見されました。それは敷粗朶と積土(約10cm)を交互に敷き詰めたものです。その敷粗朶層最上層から採取した粗朶の炭素同位体比年代測定の中央値が660年でした。その数値を重視すると、敷粗朶層の上にある積土層部分(1.4~1.5m)の築造期間も含め、水城の造営年代(完成年)は七世紀後半頃となり、『日本書紀』に記された水城造営を天智三年(664)とする記事ともよく整合しています。
 なお、同敷粗朶層からは最上層のサンプルとは別に、「坪堀」という方法で更に下層からのサンプルも採取されており、その年代は中央値で「坪堀1中層第2層、430年」と「坪堀2第2層、240年」とされ、最上層とは約200~400年の差がありました。わたしはこの差について、サンプリング条件が原因と考えていました。なぜなら、厚さ約1.5mの積土中に11面ある敷粗朶層が数百年もかけて築造されたとは考えられなかったからです。従って、最も安定したサンプリング方法により採取された最上層の粗朶の測定値が最も信頼性が高いと判断したのです。「調査報告書」(注②)にも、「各一点の測定であるため、今後さらに各層の年代に関する資料を増やし、相互に比較を行うことで、各層の年代を検討したい。」とあり、その追加測定を待っていました。ところが、その追加測定が既に実施されていたことを今回の勉強で知りました。(つづく)

(注)
①古賀達也「太宰府条坊と水城の造営時期」『多元』139号、2016年5月。
古賀達也「前畑土塁と水城の編年研究概況」『古田史学会報』140号、2016年6月。
 古賀達也「太宰府都城の年代観 ―近年の研究成果と九州王朝説―」『多元』140号、2016年7月。
 古賀達也「洛中洛外日記」1354話(2017/03/16)〝敷粗朶の出土状況と水城造営年代〟
 古賀達也「理化学的年代測定の可能性と限界 ―水城築造年代を考察する―」『九州倭国通信』186号、2017年5月。
②『大宰府史跡発掘調査報告書Ⅱ』九州歴史資料館、2003年。

2021/05/07 水城の科学的年代測定(14C)情報(1) ...

Tatuya Kogaさんの投稿 2021年5月7日金曜日
 
 

古賀達也の洛中洛外日記
第2452話 2021/05/08

水城の科学的年代測定(14C)情報(2)

 水城の第35次発掘調査(2001年)で発見された敷粗朶層のサンプルの炭素同位体比(14C)年代測定の中央値は、660年(最上層)、430年(坪堀1中層第2層)、240年(坪堀2第2層)でした。最上層と坪堀とでは約200~400年の差があることから、「調査報告書」(注①)には、「各一点の測定であるため、今後さらに各層の年代に関する資料を増やし、相互に比較を行うことで、各層の年代を検討したい。」とありました。その追加測定が既に実施されており、報告書(注②)も出されていたことを知りましたので紹介します。
 水城には東西二つの門があり、その西門付近北東側が平成十九年(2007年)の第40次調査で発掘されました。そこから敷粗朶の木片と炭化物が採取され、14C年代測定が行われました。それらの暦年較正年代(1σ)は、共に675~769ADの範囲に含まれることがわかりました。そして、報告書には次のように説明されています。

 「記録では水城の建設は664ADとされているので、堤体基底部の敷粗朶の年代値がこれより21年以上新しい理由として、1)年代値は30年程度の誤差を持っている、2)664AD以降も建設が行われた、3)678ADの筑紫地震で水城堤体が部分的に崩壊しその跡を修復した、の3つが考えられる。この年代値の暦年較正年代グラフは時間軸に対する傾きがゆるく変動幅が大きく出やすいことから、1)の可能性が強いと考えられる。」『水城跡 ―下巻―』(注③)

 このように考察され、『日本書紀』天智三年是歳条(664年)の水城築城記事と矛盾しないと判断されています。すなわち、前回紹介した第35次調査での敷粗朶最上層の測定中央値660年と同様の年代観が示されたわけです。
 次に、第38次調査(2004年)に出土した木杭の外皮と、比較検討のため第35次調査(2001年)で出土した植物遺体(粗朶1点、葉2点)3点が測定されています。第38次調査は西土塁丘陵付近の調査で、丘陵取り付き部に版築状積土が確認されました。その積土層の下層から1条の杭列が出土し、そこから採取した木杭の外皮ですから、ほぼ伐採年を測定できる理想的なサンプルです。それら4サンプルの暦年較正年代(1σ)は、木杭(38次調査、外皮)がcalAD777~871年、粗朶(35次調査)がcalAD540~600年、葉calAD653~760年、葉calAD658~765年と報告されています(注④)。
 木杭(38次調査、外皮)の測定値が8世紀後半~9世紀後半を示していることから、水城西端部修築時の木杭と思われます。『続日本紀』天平神護元年(765年)三月条に「修理水城専知官」任命記事が見えますから、水城修理の痕跡ではないでしょうか。
 比較用に測定された第35次調査の粗朶は、天智三年(664年)の水城築城記事よりも100年ほど古い値ですので、使用された敷粗朶に古いものもあったことをうかがわせます。葉2点の測定値は7世紀後半築造を示すものです。
 以上のように、今回紹介した炭素同位体比(14C)年代測定結果は、水城の築造(完成)時期を7世紀後半、おそらくは天智三年(664年)の築城とする説を支持するものと思われます。

(注)
①『大宰府史跡発掘調査報告書Ⅱ』九州歴史資料館、2003年。
②『水城跡 ―下巻―』九州歴史資料館、2009年。
③同②、259頁。
④同②、328~329頁。

※1σ(シグマ)とは、ばらつきの幅に関する数学的定義で、ある測定値のばらつきが正規分布する場合、その約68%が収まる区間を1σとする。すなわち、1σ区間に収まる確率が約68%であることを意味する。

 
 

古賀達也の洛中洛外日記
第2453話 2021/05/08

《緊急告知》5月度「関西例会」会場を変更します

 

 大阪府の非常事態宣言が延長され、5月15日(土)に予定していた「古田史学の会」関西例会々場(ドーンセンター)の使用ができなくなりました。そこで、急遽、会場を奈良新聞本社ビルに変更することにしました。関西例会としては初めて使用する会場で、ご迷惑をおかけしますが、ご理解の程、お願い申し上げます。

 なお、6月19日(土)に福島区民センターで開催予定の「古田史学の会」会員総会、古代史講演会(共催)、午前中の関西例会については実施する方針ですが、緊急事態宣言の動向によっては変更・中止する可能性があります。ホームページなどでご確認いただきますよう、重ねてお願い申し上げます。

【五月度関西例会の会場】
日時 5月15(土) 10:00~17:00
会場 奈良新聞本社ビル3階セミナールーム (奈良市法華寺町2-4)
   最寄り駅:近鉄奈良線・新大宮駅 駅から北方向へ徒歩11分。
参加費 1,000円 「三密」回避による、大会場使用のため。

※主催は「古田史学の会」です。ご迷惑をおかけしますので、奈良新聞社様へのお問い合わせはご遠慮下さい。

2021/05/08 《緊急告知》5月度「関西例会」会場を変更します  大阪府の非常事態宣言が延長され、5月15日(土)に予定していた「古田史学の会」関西例会々場(ドーンセンター)の使用ができなくなりました。そこで、急遽、会場を奈良新聞本...

Tatuya Kogaさんの投稿 2021年5月8日土曜日
 
 

古賀達也の洛中洛外日記
第2444話 2021/04/29

6月19日(土)古代史講演会、関川尚功氏、正木裕氏が講演

〝考古学から見た邪馬台国大和説 畿内ではありえぬ邪馬台国〟

 「古田史学の会」では、6月19日(土)午後に「古田史学の会」会員総会を開催します。会場は福島区民センターです。関西例会でも使用している会場二部屋分を使用し、「三密」回避などコロナ対策を徹底して実施する予定です。
 同日に行う恒例の古代史講演会は、関西地区の友好団体との共催で行います。今回は外部講師に関川尚功(せきがわ ひさよし)さん(元橿原考古学研究所・所員)をお招きします。正木裕さん(古田史学の会・事務局長、大阪府立大学講師)からは、「博多湾岸にあった邪馬壹国(仮題)」というテーマを講演していただきます。
 関川さんの近著『考古学から見た邪馬台国大和説 畿内ではありえぬ邪馬台国』(梓書院、2020年)は、大和地方の発掘調査を40年の長きにわたり行ってこられた考古学者によるものですから、古代史学界に衝撃を与えました。考古学の第一線で活躍されてきた関川さんのお話を直接お聞きできる願ってもない機会です。最新の大和の考古学について、わたしも関川さんから学びたいと思います。
 正木さんの講演は、古田史学の会編『俾弥呼と邪馬壹国』(『古代に真実を求めて』24集、明石書店、2021年3月)に収録された論文「改めて確認された『博多湾岸邪馬壹国説』」を中心として、近年の考古学発掘成果などを解説していただきます。
 なお、コロナ禍のため同講演会の予定が変更になる可能性もありますので、「古田史学の会」ホームページなどでご確認いただきますよう、お願いいたします。当日の午前中は「古田史学の会・関西例会」を行います。

「古田史学の会」定期会員総会・古代史講演会の案内

◆日時 6月19日(土) 13:30~17:00
 古代史講演会 13:30~16:00
 古田史学の会・会員総会 16:00~17:00
 ※御前中は「古田史学の会」関西例会 10:00~12:00
◆会場 大阪市福島区民センター
◆主催 古代大和史研究会・市民古代史の会京都・和泉史談会・誰も知らなかった古代史の会・古田史学の会
◆講師 関川尚功さん(元橿原考古学研究所・所員)
 演題 考古学から見た邪馬台国大和説 ―畿内ではありえぬ邪馬台国
 講師 正木裕さん(大阪府立大学講師)
 演題 博多湾岸にあった邪馬壹国(仮題)
◆参加費 無料

2021/04/29 6月19日(土)古代史講演会、関川尚功氏、正木裕氏が講演 〝考古学から見た邪馬台国大和説...

Tatuya Kogaさんの投稿 2021年4月28日水曜日
 
 

古賀達也の洛中洛外日記
第2445話 2021/04/30

「倭王(松野連)系図」の史料批判(10)

 ―天孫降臨の矛盾と古田先生の慧眼―

 

 『記・紀』に見える天孫降臨神話は弥生時代(前期末~中期初頭)での史実の反映であり、その天孫族が居した高天原(天国)を日本海に実在した島嶼領域(壱岐・対馬・隠岐・五島列島・他)と古田先生はされました(注①)。すなわち、邪馬壹国や後の九州王朝(倭国)の始原の地を天国領域とされたわけです。他方、「倭王(松野連)系図」には、始祖とする「呉王夫差」以降の子孫が天国領域に居したとする記述はありません。こうしたこともあり、古田学派の実証的な研究者は同系図を後代造作ではないかと疑い、九州王朝(倭国)系図と見ることを躊躇してきました。わたしもその一人でした。
 天孫降臨神話を歴史事実の反映とする古田説に対して、わたしはそのことを支持する反面、矛盾をかかえた仮説ではないかとも考えてきました。というのも、日本列島西北部・他にあった大八洲国(出雲・筑紫・新羅、注②)への〝侵略〟という実質を持つ〝天孫降臨〟ですが、天国(島嶼領域)よりも巨大な耕地面積=生産力(弥生水田)と人口(労働力)を有す筑紫や出雲が天国よりも軍事的に劣っていた理由が不明だったからです。
 もっとも、朝鮮半島から伝わった鉄器(武器)による軍事力がその背景にあったとする見解もあるのですが、それでは日本列島の国々は鉄器に興味がなかったのでしょうか。島嶼の天国は鉄器を入手できたが、お隣の筑紫や出雲の国々は鉄器を入手できなかったとするのでしょうか。わたしはこのような〝解説〟では納得できないのです。
 このような疑問を抱いてきたのですが、その解決の糸口に気づくことができました。それは祖先神信仰に基づく宗教的権威です。たとえば、古代ギリシアにおいてオリンポスの神々の命令(デルフォイの神託)にアテネやスパルタなどの諸国が従ったようにです。同様に天国には筑紫や出雲の諸国が従うだけの宗教的権威があったことは、『記紀』神話を見ても明らかと思われます。そして、この権威の淵源が周王朝へと繋がる始祖伝承(呉の太伯、呉王夫差)だったのではないでしようか。
 本テーマの考察を続けることにより、わたしはこのことにようやく気づくことができました。ところが、天国や倭人の始原について既に指摘されていた人がいました。恩師、古田武彦先生です。『盗まれた神話』で次のように示唆されています。

 〝天つ神たちは、どこから「天国」へ来たか?〟そのような発想は、『記・紀』には存在しないのである。
 この「天国」が実は「海人国」であること、それはこれが一定の海上領域である点からも、容易に想像できるところであろう。さすれば、「天つ神」はすなわち「海人(あま)つ神」となろう。記・紀神話の母なる領域は、「天国」を中心とする対馬海流文明圏だ。では、この海上領域に割拠していた海人族は、はじめからそこにいたのか、それともどこかからやってきたのだろうか?
 このような問いに対する回答、それは思うに本書の用いた方法とは異なる、別の方法にまたねばならぬであろう。たとえば考古学的方法、たとえば人類学的方法、たとえば比較神話学的方法等々だ。また、中国の史書、『魏略』の文面とされる「其の旧語を聞くに、自ら太伯の後と謂う」なども、その見地からかえりみられるべきであろう。(注③)

 「洛中洛外日記」2443話〝「倭王(松野連)系図」の史料批判(9) ―倭人伝に周王朝の痕跡―〟で、「倭人と周王朝に深い繋がりがあることを疑えず、『太伯』始祖伝承や『呉王夫差』始祖伝承は、何らかの歴史的背景に基づくのではないかと考えるに至ったのです。」とわたしは述べたのですが、古田先生は45年も前にこのことを示唆されていたのです。(つづく)

(注)
①古田武彦『盗まれた神話 記・紀の秘密』朝日新聞社、昭和五十年(1975)。ミネルヴァ書房より復刻。朝日新聞社版189頁。
②同①、412頁。
③同①、438頁。

2021/04/30 「倭王(松野連)系図」の史料批判(10)  ―天孫降臨の矛盾と古田先生の慧眼―  『記・紀』に見える天孫降臨神話は弥生時代(前期末~中期初頭)での史実の反映であり、その天孫族が居した高天原(天国)を日本海に実在した島...

Tatuya Kogaさんの投稿 2021年4月29日木曜日
 
 

古賀達也の洛中洛外日記
第2446話 2021/04/30

『九州倭国通信』No.202の紹介

 「九州古代史の会」の会報『九州倭国通信』No.202が届きました。同号には拙稿「古典の中の『都鳥』考」を掲載していただきました。同稿では、古典(『万葉集』『古今和歌集』『伊勢物語』謡曲「隅田川」)に見える「都鳥(みやこどり)」とは通説のユリカモメではなく、冬になるとシベリアから博多湾岸など北部九州に飛来するミヤコドリ科のミヤコドリであることを論証しました。
 この都鳥は、博多湾岸や北部九州に都があったから、都鳥と呼ばれたのであり、九州王朝(倭国)の都がこの地にあったことの証拠ともいえます。そうでなければ、都鳥などとは呼ばれなかったはずですから。この都鳥は、白と黒の美しい模様とオレンジ色のクチバシが印象的な鳥です。
 『万葉集』では次のように詠われています。
 「船競(ふなぎほ)ふ 堀江の川の水際(みなぎわ)に 来(き)居(い)つつ鳴くは 都鳥かも」『万葉集』巻第二十(4462 大伴宿禰家持の作)

2021/04/30 『九州倭国通信』No.202の紹介  「九州古代史の会」の会報『九州倭国通信』No.202が届きました。同号には拙稿「古典の中の『都鳥』考」を掲載していただきました。同稿では、古典(『万葉集』『古今和歌集』『伊勢物語...

Tatuya Kogaさんの投稿 2021年4月30日金曜日
 
 

古賀達也の洛中洛外日記
第2447話 2021/05/03

『多元』No.163の紹介

 先日、友好団体「多元的古代研究会」の会紙『多元』No.163が届きました。一面は、服部静尚さん(『古代に真実を求めて』編集長)の論稿「禅位と傳位についての考察」です。『日本書紀』の孝徳紀と持統紀に見える「禅位」が同一王朝内での生前譲位であり、中国古典の禅位(禅譲による王朝交代での新皇帝への譲位)とは異なることに着眼した論稿です。新しい視点で、持統紀の「禅位」を九州王朝からの王朝交替に伴う表記ではないかとする仮説を提起されたものです。今後の検証と展開が楽しみなテーマではないでしょうか。
 藤田隆一さん(足立区)の論稿「秋田孝季の直筆文書」は、和田家文書「目録覚」の全文を釈文された労作です。秋田孝季の直筆であれば、貴重な史料となりますので、厳格な筆跡鑑定が待たれます。

2021/05/03 『多元』No.163の紹介  先日、友好団体「多元的古代研究会」の会紙『多元』No.163が届きました。一面は、服部静尚さん(『古代に真実を求めて』編集長)の論稿「禅位と傳位についての考察」です。『日本書紀』の孝徳紀...

Tatuya Kogaさんの投稿 2021年5月3日月曜日
 
 

古賀達也の洛中洛外日記
第2448話 2021/05/04

「倭王(松野連)系図」の史料批判(11)

―松野氏の濃密分布地、岐阜県瑞穂市―

 「倭王(松野連)系図」には、古代から室町時代頃(注①)までの人物名が記されています。その中にいくつか注目すべき傍注があり、同系図の信憑性を計る手がかりとできそうです。中でも十世紀頃の「宅成」という人物の傍注に「左小史」「子孫在美濃国」とあり、松野宅成の子孫が「美濃国」(岐阜県)にいるとされています。この傍注が記された時期は不明ですが、web調査によると、松野姓が現在も岐阜県に濃密分布していることがわかりました。従って、同傍注は信頼できることとなり、系図の中近世部分の信頼性は高いのではないかと思われます。
 「日本姓氏語源辞典」(注②)によれば、「松野」姓の分布状況は次の通りです。

【県別分布順位】
1 神奈川県(約3,100人)
2 大阪府 (約3,000人)
3 東京都 (約2,800人)
4 岐阜県 (約2,700人)
5 愛知県 (約2,300人)
6 静岡県 (約2,000人)
7 兵庫県 (約2,000人)
8 北海道 (約1,900人)
9 熊本県 (約1,700人)
10 千葉県 (約1,600人)

【市町村別分布順位】
1 岐阜県 瑞穂市(約1,000人)
2 岐阜県 岐阜市(約800人)
3 静岡県 浜松市(約800人)
4 熊本県 熊本市(約600人)
5 新潟県 上越市(約400人)
6 香川県 高松市(約400人)
7 長崎県 長崎市(約300人)
8 山梨県 甲府市(約300人)
9 大阪府 堺市 (約300人)
10 大阪府 松原市(約300人)

 また、松野姓の発祥地として次の説が紹介されていました。

①静岡県富士市南松野・北松野発祥。平安時代に記録のある地名。東京都千代田区千代田が政庁の江戸幕府の幕臣に江戸時代にあった。同幕臣に伝承あり。
②栃木県那須郡那珂川町松野発祥。戦国時代に記録のある地名。
③熊本県球磨郡球磨村神瀬松野発祥。同地に分布あり。
④新潟県上越市牧区東松ノ木発祥。江戸時代に記録のある地名。地名はマツノキ。同地に分布あり。
⑤合略。赤松と浅野の合成。広島県広島市中区基町が藩庁の広島藩士に江戸時代にあった。同藩士は赤松姓の「松」と軍功により浅野氏から賜った「野」からと伝える。推定では安土桃山時代。赤松アカマツ参照。浅野アサノ参照。
⑥地形。松と野から。鹿児島県いちき串木野市冠嶽に江戸時代にあった門割制度の松野之屋敷から。屋敷による明治新姓。善隣。大阪府泉南市鳴滝に分布あり。
※呉系。京都府京都市に平安時代に松野連の氏姓があった。

 この中で、「倭王(松野連)系図」の松野氏に関係すると思われるのは、次の二つです。

 「熊本県球磨郡球磨村神瀬松野発祥。同地に分布あり。」
 「呉系。京都府京都市に平安時代に松野連の氏姓があった。」

 「熊本県球磨郡球磨村神瀬松野」発祥説は「倭王(松野連)系図」の傍注(注③)に見える「火国」(肥後国)との関係がうかがわれます。「呉系。京都府京都市に平安時代に松野連の氏姓があった。」も「呉系」という点が系図と一致しています。
 「筑紫前国夜須郡松狭野」に住し、「松野連」姓を名のったという系図の記事とは異なりますが、呉から肥後(火国)に渡り、球磨郡球磨村神瀬松野に土着した一族が「松野」を名のったという可能性もあります。筑後国夜須郡に「松野」地名が現存していないという状況を考えると、「熊本県球磨郡球磨村神瀬松野」発祥説の方が有力と考えるべきかもしれません。
 なお、岐阜県に濃密分布する松野氏については解説がありませんが、先の系図傍注記事にあるように、京都で宮仕えしていた松野氏の分派(松野宅成の子孫の一部)が岐阜県(美濃国)に移転したのではないでしょうか。そうすると、岐阜県の松野家(注④)に「倭王(松野連)系図」が今も伝わっている可能性がありそうです。(つづく)

(注)
①尾池誠著『埋もれた古代氏族系図 ―新見の倭王系図の紹介―』(晩稲社、1984年)所収の「倭王系図(松野連)」によれば、同系図末尾(同書68頁)から三代目の「久世」という人名の傍注に「応永三十二(1425)正三位(後略)」とある。
②日本姓氏語源辞典 https://name-power.net/
③尾池誠著『埋もれた古代氏族系図』所収「倭王系図(松野連)」(63頁)の「宇也鹿文」の傍注に「火国菊池評山門里」が見え、同「市鹿文」の傍注には「同時賜火国造」とあり、呉王夫差の子孫が火国(肥後)に移り住んだとしている。
④岐阜県瑞穂市出身の有力者に、岐阜県知事や衆議院議員を歴任した松野幸泰氏(1908-2006)がいる。同家は松野連(呉王夫差・倭国王)の末裔ではあるまいか。調査したい。

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Tatuya Kogaさんの投稿 2021年5月3日月曜日
 

古賀達也の洛中洛外日記
第2449話 2021/05/05

『宋史』日本伝の「九■州」

 先日、気になる問題があって、中国正史の倭国伝や日本伝を読みました。気になる問題とは、『隋書』には阿毎多利思北孤という国王の名前(字)が記されているのに、『旧唐書』にはなぜ倭国王の名前が記されていないのだろうということでした。倭国の重要情報である国王名がなぜ書かれていないのだろうと、不思議に思ったのです。そこで歴代正史の夷蛮伝では各国王名はどのような扱いになっているのかを調べています。この調査結果は別の機会に紹介したいと思いますが、その過程で岩波文庫『旧唐書倭国日本伝・宋史日本伝・元史日本伝』(石原道博編訳)に収録されている『宋史』日本伝影印本に奇妙な表記があることに気づきました。
 『宋史』日本伝には、官道別の国名や国数が記録されています。たとえば、東海道であれば「東海道有、伊賀・伊勢・志摩・尾張・参河・遠江・駿河・伊豆・甲斐・相模・武蔵・安房・上総・常陸、凡十四州。共統、一百一十六郡」とあります。他の官道も同様に、東山道・八州、北陸道・七州、山陰道・八州、小(ママ)陽道・八州、南海道・六州、西海道・九州と、それぞれに国名・国数などが記されています。
 ところが、西海道の国数である「九州」の部分は「九■州」となっており、間に「■」(黒い四角)が入っているのです。版木を彫る際に間違ってしまい、その部分が「■」となったのだろうかとも思ったのですが、よくよく考えるとそれは有り得ません。もし字を彫り間違えたので、その誤字を削ったのであれば、その部分は空白となるはずだからです。逆に、誤字を消すために四角の形に何かを塗り込めたのであれば、印字は「■」になります。しかし、これもあり得にくいことと思います。なぜなら、誤字の存在に気づいたのであれば、版木を彫り直せばよいからです。ちなみに、掲載された日本伝の他の部分にこのような「■」はありません。なぜこの不体裁な「■」をそのままにしたのでしょうか。これはとても奇妙なことと思われました。
 この一見奇妙な「■」ですが、もしかすると意図的な表記ではないでしょうか。すなわち、東夷の国の記事中に「九州」という表記があることを避けるために、わざと「九■州」にしたのではないかと思います。というのも、「九州」という言葉は中国の天子の直轄支配領域を意味する政治的用語だからです。『史記』を始め、『旧唐書』などにも天子の直轄支配領域としての「九州」という用語が使用されています。
 『宋史』日本伝の場合は、国の数を表す「九ヶ国」の意味での「九州」という表記ですが、夷蛮の国である日本伝の記事中に「九州」があることを憚って、わざと間に「■」を入れて「九■州」としたのではないかとわたしは考えています。中国の天子の直轄支配領域としての「九州」と区別するためです。
 こうした理解が妥当かどうかを確かめるためには、『宋史』影印本の全体を見て、他に「■」が使用されているのか、あるいは他の異蛮伝に「九ヶ国」を意味する「九州」があれば、それが同様に「九■州」とされているのかを調べればよいわけです。後日、図書館で調べたいと思います。何かわかれば「洛中洛外日記」で報告します。
 ちなみに、日本列島にも「九州」(九州島)という地名があります。これは九州王朝(倭国)の天子の直轄支配領域(九州島)を意図的に九国に分割し(注①)、「九州」と命名したものと古田史学では考えられています。古田先生が、「筑紫王朝」ではなく「九州王朝」という学術用語を作り、自説に採用された理由は、この中国の政治的用語「九州」にあったのです。この日本国内の政治的用語「九州」の成立については、拙論「九州を論ず ―国内史料に見える「九州」の変遷」「続・九州を論ず ―国内史料に見える「九州」の分国」が収録された古田先生らとの共著『九州王朝の論理』(注②)をご参照下さい。

(注)
①筑紫・肥・豊のみを「前」「後」に二分割し、それに日向・薩摩・大隅を加え、九ヶ国(九州)とした。
②古田武彦・福永晋三・古賀達也『九州王朝の論理 「日出ずる処の天子」の地』明石書店、2000年。

2021/05/05 『宋史』日本伝の「九■州」  先日、気になる問題があって、中国正史の倭国伝や日本伝を読みました。気になる問題とは、『隋書』には阿毎多利思北孤という国王の名前(字)が記されているのに、『旧唐書』にはなぜ倭国王の名前が記...

Tatuya Kogaさんの投稿 2021年5月5日水曜日
 
 

古賀達也の洛中洛外日記
第2450話 2021/05/06

倭王(松野連)系図」の史料批判(12)

 ―系図を伝えた松野氏の多元的歴史観―

 本テーマの最後に、「倭王(松野連)系図」を伝えてきた松野氏の歴史認識について考察します。
 「倭王(松野連)系図」の特徴は次のような点で、こうした祖先の系譜と伝承を歴代の松野氏は「是」として伝えてきたということが、フィロロギーの視点からは重要です。

(1)呉王夫差を始祖とする一族が日本列島に渡来し、あるときから火国(肥後)に土着した。
(2)その祖先には『日本書紀』景行紀に記された人物(厚鹿文、取石鹿文、市鹿文、他)がいた。
(3)その後、『宋書』に記された「倭の五王」「倭国王、哲」らが続く。
(4)更に、7世紀中頃になると筑紫の夜須評督になり、7世紀後半には松野連姓を賜った。
(5)8世紀には、律令官僚として大和朝廷に仕えた(注)。

 概ね、以上のようです。自家の系図を造作するときは始祖を近畿天皇家や藤原鎌足などの歴史上の権威者にすることはよくあるのですが、松野氏の場合は中国の周王朝に繋がる呉王夫差を始祖とし、近畿天皇家との繋がりは全く見られません。他方、『宋書』に見える「倭の五王」やその次代の「哲」に「倭国王」と傍注を付けて、自らを倭国王の裔孫としています。これは不思議な現象で、この系図を伝えてきた歴代の松野氏は、近畿天皇家と「倭の五王」「倭国王、哲」を別の家系と認識していたことがわかります。このような歴史認識が松野氏内に連綿と続いていたわけで、これはとても珍しい多元的歴史認識ではないでしょうか。
 このような「倭王(松野連)系図」が示す歴史認識は、近畿天皇家の時代の8世紀以後、『日本書紀』成立以降に造作できるものではありませんし、そのメリットもありません。ですから、こうした〝多元史観の系図〟を伝えた松野家は、ある時代までは九州王朝の歴史的存在を記憶していたと考えざるを得ないのです。その意味でも、研究に値する貴重な系図と言えるのではないでしょうか。(おわり)

(注)同系図には、8世紀の人物「弟嗣」「楓麿」の傍注に「従七位下」「外従七位上」などの律令制官位が見えることからも大和朝廷の官人だったことがわかる。

2021/05/06 「倭王(松野連)系図」の史料批判(12)  ―系図を伝えた松野氏の多元的歴史観―  本テーマの最後に、「倭王(松野連)系図」を伝えてきた松野氏の歴史認識について考察します。  「倭王(松野連)系図」の特徴は次のような...

Tatuya Kogaさんの投稿 2021年5月7日金曜日
 
 

史料として古田史学会報147号まで公開しています。



講演会案内

6月19日(土)「古田史学の会」

  講演会のお知らせ

 

 


 

集会案内

2021年

古田史学の会・関西5月例会

 

 515日(土)にドーンセンターで予定していた古田史学の会5月例会は場所を変更して「奈良新聞本社3階(奈良市法華寺町2番地4)」で10時〜17時に実施します。

 始めて奈良で開催しますが、大阪での開催が不可能ですのでご了承ください。(1000円)

期日

2021年 5月15日(土)
午前10時より午後5時まで

場所

奈良新聞本社3セミナールーム

住所:(奈良市法華寺町2番地4

交通アクセス
近鉄新大宮駅北に600メート

報告

会員発表例は例会報告参照

参加費

1000円

(コロナ対策として、定員の半分で使用します。ご協力をお願いします。)

友好団体の会誌を配布。


会場地図奈良新聞社3階

2021年6月例会は、19日おこないます。
(午前中のみ、午後は講演会・総会


関西例会は、毎月第三土曜日午前10時より午後5時です。



古田史学の会・東海 例会

案内は古田史学の会東海のホームページでご覧ください。


新古代学の扉 インターネット事務局 E-mailはここから