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▼ 案内 講演会  例会関西東海

 2019年11月19日改訂

1,ブログ古賀達也の洛中洛外日記

 ブログを2041話まで掲載

 「前期難波宮副都説反対論者への問い」、「二中歴」、二倍年暦、および九州王朝の「東大寺」問題はブログで展開しています。  

 2032話2033話2034話2035話

 2036話2037話2038話

 new2039話2040話2041話を掲載

 

2,関西古田史学協賛講演会 案内 ・報告を設置

 7月度講演会案内

7月 9日(火)、和泉史談会で正木氏講演、報告を掲載

7月26日(金)、誰も知らなかった古代史の会で服部氏講演(飛鳥の謎)、報告を掲載

 8月度講演会案内

8月6日(火)、古代大和史研究会で、正木氏(磐井の乱の真実)講演、報告を掲載

 9月度講演会案内

9月 3日(火)、古代大和史研究会で、正木氏(聖徳太子の生涯は「九州年号」で記されていた)講演、報告を掲載

9月10日(火)、和泉史談会で、正木・茂山氏講演、報告を掲載

 10月度講演会案内

10月15日(火)、市民古代史の会・京都で服部氏(飛鳥の謎)講演、

 11月度講演会案内

11月 5日(火):午前10 時〜午後5時、古代大和史研究会で、「史実伝承の断絶」で報告を掲載

 

 

11月22日(金):午後6時30分〜20時 誰も知らなかった古代史の会で服部氏講演

 

 12月度講演会案内

12月 3日 午前10時〜12時 古代大和史研究会で正木氏講演

12月10日(火):午後2時〜4時、和泉史談会で岡本康敬 (歴史案内人)氏講演

12月17日(火):午後6時45分〜8時15分、市民古代史の会・京都で正木氏講演

 

 2020年 1月度講演会案内

 1月11日午後2時〜4時30分、古代史講演会IN八尾で、服部氏講演

 


Facebook古田史学の会 へ

英文ホームページBack to the Future へ

国際人間観察学会Phoenix - Goddess of truth never dies へ

中国語ホームページ史之路 へ


◎「古田史学」研究サイト@なんば.opu案内
大阪府立大学I-siteなんばまちライブラリーの交通アクセスはここから
開館時間: 火〜土 13:00〜20:00
       上記のうち、祝日は13:00〜17:00

まちライブラリー@大阪府立大学をご利用いただくには会員登録が必要です。
会員登録時に、実費(500円)が必要です。

住所:大阪市浪速区敷津東2-1-41南海なんば第1ビル3階まちライブラリー内
 アクセスは、南海電鉄難波駅 なんばパークス方面出口より南約800m 徒歩12分
 地下鉄なんば駅(御堂筋線)5号出口より南約1,000m 徒歩15分
 地下鉄大国町駅(御堂筋線・四つ橋線)1号出口より東約450m 徒歩7分です。

「古田史学」研究サイトの蔵書目録です。

 

古賀達也の洛中洛外日記
第2040話 2019/11/17

『隋書』イ妥国伝について本格論戦始まる

 昨日、「古田史学の会」関西例会がアネックスパル法円坂(大阪市教育会館)で開催されました。12月はI-siteなんば、1月はアネックスパル法円坂、2月はI-siteなんばで開催します。
 1月は例会翌日の19日(日)午後に恒例の「新春古代史講演会」(会場:アネックスパル法円坂)も開催します。こちらにも、ぜひご参加下さい。
 今回の関西例会では、野田さんとインドから帰国された日野さんから、『隋書』イ妥国伝の新読解による新説が発表されました。野田説によれば秦王国を山口県、イ妥国の都を大阪の難波とされ、日野説では『隋書』に見えるイ妥国と倭国は別国で、倭国と秦王国は大和朝廷でもないとされました。その上で秦王国は吉備にあったとされました。
 イ妥国伝の行程記事の読解方法などについて、参加者と論争が続けられました。通説や古田説とも異なる、こうした異説・新説が自由に発表され、真摯な論争が続けられることは「古田史学の会」関西例会の面目躍如と言えます。これからの展開が期待されます。
 今回の例会発表は次の通りでした。なお、発表者はレジュメを40部作成されるようお願いします。発表希望者も増えていますので、早めに西村秀己さんにメール(携帯電話アドレス)か電話で発表申請を行ってください。

〔11月度関西例会の内容〕
①七支刀は鍛造で再現されていた(大阪市・中山省吾)
②三種の神器をヤマト王権は何時手に入れたか(八尾市・服部静尚)
③壬申の乱は「大乱」か「小乱」か(川西市・正木 裕)
④前期難波宮設置に関する一考察(茨木市・満田正賢)
⑤『隋書』の秦王国と倭国(たつの市・日野智貴)
⑥秦王国、十余国、海岸 ー隋書イ妥国伝の新解釈 その2ー(姫路市・野田利郎)
⑦「倭姫命世記(紀)」についてⅣ(東大阪市・萩野秀公)

○事務局長報告(川西市・正木 裕)
《会務報告》
◆「古田史学の会」新年古代史講演会
 01/19 13:00〜17:00 会場:アネックスパル法円坂(大阪市教育会館)
 ※難波宮の考古学的テーマと新年号「令和」に関わる『万葉集』をテーマとすることを検討しています。

◆「古田史学の会」関西例会(第三土曜日開催) 参加費500円
 12/21 10:00〜17:00 会場:I-siteなんば
 01/18 10:00〜17:00 会場:アネックスパル法円坂(大阪市教育会館)
 02/15 10:00〜17:00 会場:I-siteなんば

◆11/09〜10「古田武彦記念 古代史セミナー2019」の報告(古賀、冨川さん)。

《各講演会・研究会のご案内》
◆「誰も知らなかった古代史」(正木 裕さん主宰。会場:森ノ宮キューズモール) 参加費500円
 11/22 18:30〜20:00 「盗まれた天皇陵 俾弥呼の墓はどこに」講師:服部静尚さん。

◆「古代史の会・八尾」(会場:八尾市文化会館プリズムホール 近鉄八尾駅から徒歩5分) 参加費500円
 01/11(土) 13:30〜16:30  ①「卑弥呼の世界」②「飛鳥の謎-飛鳥浄御原宮はどこだ」講師:服部静尚さん。
 04/11(土) 13:30〜16:30  ①「卑弥呼」から「倭の五王」の世界②「蘇我・物部戦争と河内」講師:服部静尚さん。

◆「古代大和史研究会」講演会(原 幸子代表) 参加費500円
 12/03 10:00〜12:00 (会場:奈良新聞本社西館)
    「誰も知らなかった万葉歌(4)白村江前夜に身籠もった大王と幻の飛鳥」講師:正木 裕さん。

◆「和泉史談会」講演会(辻野安彦会長。会場:和泉市コミュニティーセンター) 参加費500円
 12/10 14:00〜16:00 「仮・江戸時代の自然災害」講師:岡本康敬さん。

◆「市民古代史の会・京都」講演会(事務局:服部静尚さん・久冨直子さん)。毎月第三火曜日(会場:キャンパスプラザ京都) 参加費500円
11/19 18:30〜20:00 「能楽の中の古代史(1)謡曲「羽衣」に秘められた古代史」講師:正木 裕さん。
 12/17 18:30〜20:00 「聖徳太子と十七条憲法」講師:服部静尚さん。

◆水曜研究会
 11/27(水) 13:00〜17:00 会場:豊中倶楽部自治会館

 
 

古賀達也の洛中洛外日記
第2041話 2019/11/17

「新・八王子セミナー2019」の情景(3)

 「古田武彦記念 古代史セミナー2019」(新・八王子セミナー2019)で大墨伸明さんが発表された『一枚起請文』の新論証について、その前日の夜に安彦克己さん(東京古田会・副会長)から概要についてお聞きしていました。ちょうど宿泊した部屋が隣同士だったこともあり、セミナー初日の夜に竹内強さん(古田史学の会・東海の会長)と冨川ケイ子さん(古田史学の会・全国世話人)とわたしの三人で安彦さんの部屋にお邪魔し、和田家文書研究の最新研究情報を教えていただいたのですが、そのおりに大墨さんが凄い研究発表をされると教えていただいたものです。
 また、今回は発表されませんでしたが、安彦さんも驚くような発見をされていました。詳細は氏の論文発表を待ちたいと思いますが、伊達政宗が江戸・浅草にキリスト教の療養所を造ったという記事が和田家文書にみえ、近年の調査研究の結果、その療養所のことが宣教師によりスペイン語で本国に報告されていたことが判明し、詳細な場所も一致しているとのことです。これなど、どう考えても和田喜八郎氏が偽作したなどとは言えない事例です。
 和田家文書偽作説への反論として、このような偽作ではあり得ない事例を集めて、書籍として世に問いたいものです。安彦さんを筆頭に和田文書研究が関東では熱心に行われており、うらやましい限りです。関西では東北地方の土地勘などが乏しいこともあるためか、和田家文書研究者が少なく、残念です。(つづく)

 
 

古賀達也の洛中洛外日記
第2032話 2019/11/02

『多元』No.154のご紹介

 友好団体の「多元的古代研究会」の会紙『多元』No.154が届きました。拙稿「古田学派の目標と未来 ー小笹豊さん『九州見聞考』の警鐘ー」を掲載していただきました。同号には吉村八洲男さん(上田市)の「『曹操』墓と『蕨手文様』」や竹田侑子さん(弘前市)の「縄文時代、シュメール人は渡来したかー 発掘遺物にみるシュメール【1】」など、初めて知るような先駆的論稿が注目されました。
 また、服部静尚さん(『古代に真実を求めて』編集長)の論稿「金石文に九州年号が少ない理由」が冒頭に掲載されており、そこで紹介された阿部周一さん(古田史学の会・会員、札幌市)の見解にわたしは触発されました。とても興味深い見解でしたので、別途、論じたいと思います。

 
 

古賀達也の洛中洛外日記
第2033話 2019/11/03

『令集解』儀制令・公文条の理解について(1)

『多元』No.154に掲載された服部静尚さん(『古代に真実を求めて』編集長)の論稿「金石文に九州年号が少ない理由」を興味深く拝読しました。服部さんは金石文に九州年号の使用が少ない理由として、「九州王朝律令」に九州年号の使用を命じた条文がなかったので、人々は「年号」よりも使い慣れた「年干支」を使用したためとされました。そして、「九州王朝律令」には『養老律令』「儀制令・公文条」のような年号使用を規定した条文がなかったとする阿部周一さん(古田史学の会・会員、札幌市)の説を紹介されました。
 その阿部さんの説は下記のブログに掲載されています。関係部分を転載します。

【以下、転載】
https://blog.goo.ne.jp/james_mac/e/43fed8a15ed5361aecdc521c482058b4
「古田史学とMe」 2017年09月10日
「那須直韋提の碑文」について(三)

 (前略)これについては『令集解』の「儀制令」「公文条」の「公文」には「年号」を使用するようにという一文に対して、「庚午年籍」について『なぜ「庚午」という干支を使用しているか』という問いに対し、『まだ「年号」を使用すべしというルールがなかったから』と答えています。

 「凡公文応記年者。皆用年号。 釈云。大宝慶雲之類。謂之年号。古記云。用年号。謂大宝記而辛丑不注之類也。穴云。用年号。謂云延暦是。同(問)。近江大津官(大津宮)庚午年籍者。未知。依何法所云哉。答。未制此文以前所云耳。」

 この答は「庚午」の年には「年号」があったということを前提としたもののようにも考えられます。それが使用されていないのは「年号」がなかったからではなく、それを使用するという制度がなかったからと受け取れるものであり、このことから「九州年号」付きの公文書というものは「大宝」以前は存在していなかったともいえるでしょう。(後略)
【転載おわり】

 博識で律令に詳しい阿部さんらしい論証です。阿部さんは『令集解』「儀制令・公文条」の解説部分にある「庚午年籍」に関する問答を根拠に、〝「年号」がなかったからではなく、それを使用するという制度がなかった〟〝「九州年号」付きの公文書というものは「大宝」以前は存在していなかった〟とする見解を用心深く表明されています。
 これはわたしの見解とは異なりますが、こうした異説・異論の発表は学問・研究にとって大切なことであり、しかも史料根拠(エビデンス)や論理展開(ロジック)も明解で、歓迎したいと思います。(つづく)

 
 

古賀達也の洛中洛外日記
第2034話 2019/11/03

『令集解』儀制令・公文条の理解について(2)

 「九州王朝律令」には『養老律令』「儀制令・公文条」のような年号使用を規定した条文がなかったとする阿部さんの説が成立するためには、少なくとも次の二つのハードルを越えなければなりません。一つは、『令集解』「儀制令・公文条」の当該文章(本稿末に掲載)の読みが妥当であることの証明。二つ目は、『令集解』の解説部分は同書成立当時(九世紀中頃)の編者(惟宗直本:これむね・なおもと)の認識であり、その認識が六〜七世紀の九州年号時代の歴史事実を正しく反映していることの証明です。
 阿部さんのブログの当該論稿〝「那須直韋提の碑文」について(三)〟にはそれらの証明がなされていません(他の論稿中にあるのかもしれませんが)。もっとも、この論稿の主たる目的や要旨は「那須国造碑」碑文の理解や史料批判で、「九州王朝律令」そのものの研究論文ではありませんから、上記の証明にはあえて触れておられないだけかもしれません。(つづく)

○『令集解』「儀制令・公文条」 (『国史大系 令集解』第三冊733頁)

 凡公文應記年者、皆用年號。
〔釋云、大寶慶雲之類、謂之年號。
古記云、用年號。謂大寶記而辛丑不注之類也。
穴云、用年號。謂云延暦是。
問。近江大津宮庚午年籍者、未知、依何法所云哉。
答。未制此文以前所云耳。〕
 ※〔 〕内は『令集解』編者による解説。「国史大系」本によれば、二行細注。

《参考資料:『令集解』ウィキペディアの解説》
『令集解』(りょうのしゅうげ)は、9世紀中頃(868年頃)に編纂された養老令の注釈書。全50巻といわれるが、35巻が現存。
惟宗直本という学者による私撰の注釈書であり、『令義解』と違って法的な効力は持たない。
 まず令本文を大字で掲げ、次に小字(二行割注)で義解以下の諸説を記す。概ね、義解・令釈・跡記・穴記・古記の順に記す。他に、讃記・額記・朱記など、多くの今はなき令私記が引かれる。特に古記は大宝令の注釈であり、大宝令の復元に貴重である。ただし、倉庫令・医疾令は欠如している。 他にも、散逸した日本律、『律集解』、唐令をはじめとする様々な中国令、及び令の注釈書、あるいは中国の格(中にはトルファン出土文書と一致するものもある)や式、その他の様々な法制書・政書及び史書・経書・緯書・字書・辞書・類書・雑書、また日本の格や式、例などの施行細則等々が引用されている。
 現存35巻のうち、官位令・考課令第三・公式令第五の3巻は本来の『令集解』ではなく、欠巻を補うために、後に入れられた令私記である。

 
 

古賀達也の洛中洛外日記
第2035話 2019/11/04

評督の上位職は各「道」都督か(1)

 那須国造碑の碑文についての古田説の論証を再確認するために、古田先生の『古代は輝いていたⅢ』を読み直したところ、三十数年前の同書発刊時(1985年)に読んだとき、かすかな違和感を抱いたことを思い出しました。それは次の箇所でした。

〝この金石文(那須国造碑)の最大の問題点、それは、「評督」という旧称の授与時点と授与者を隠していることにあることが判明しよう。
 では、授与者は誰か。わたしには、それは「上毛野の君」が最有力候補ではないか、と思われる。なぜなら、関東にあって「武蔵国造」などの任命権を近畿天皇家と争った者、それが「上毛野の君」だったからである。〟(『古代は輝いていたⅢ』ミネルヴァ書房版。305〜306頁)

 那須直葦提に評督を授与したのは「上毛野の君」とする古田先生の見解に、わたしは違和感を覚えたのです。評制は九州王朝が全国に施行した制度と古田先生はされているのに、関東の豪族である「上毛野の君」が評督を授与するということに、わたしは納得できなかったのです。しかし、古田史学に入門したばかりの若造だったわたしには、畏れ多くて古田先生に意見などできませんでした。
 今回、この懐かしい著作の一文中の「上毛野の君」に再会し、わたしには思い当たることがありました。藤井政昭さんの優れた論稿「関東の日本武命」(『倭国古伝』古田史学の会編・明石書店、2019年)によれば、『日本書紀』景行天皇55年条に見える「東山道十五國」の「都督」に任命された「彦狭嶋王」は上毛野国の王者で、『先代旧事本紀』「国造本紀」には「上毛野国造」とされているとのこと。
 先の古田説を敷衍すれば、「東山道十五國」の「都督」であり、「上毛野国造」でもある彦狭嶋王が「東山道」各地の評督を任命したということになり、このケースにおいては、「評督」の上位職掌(任命権者)は各「道」の「都督」ということになります。(つづく)

 
 

古賀達也の洛中洛外日記
第2036話 2019/11/05

評督の上位職は各「道」都督か(2)

 七世紀後半、評制の時代の九州王朝(倭国)の行政単位は近年の「古代官道」研究から次のようではないかと推定しています。

 倭国(倭王・天子)→各「道」(都督)→各「国」(国司?、国造、国宰)→各「評」(評督、評造)

 七世紀の出土木簡により、評制時代の行政単位が「国」「評」「里(五十戸)」であることは確かですが、「道」は見えません。また、「道」のトップと思われる「都督」が「国」の下位行政単位「評」のトップ「評督」を「国」の〝頭越し〟に任命したとする史料痕跡は今のところありません。しかしながら、『続日本紀』に気になっていた記事がありました。文武四年(700)六月条に見える次の「評督」記事です。

 「薩末の比売・久売・波豆、衣(え)評督の衣君県、同じく助督の衣君弖自美、また肝衝(きもつき)の難波、これに従う肥人らが、武器を持って、覓国使刑部真木らをおどして物をうばおうとした。そこで、竺紫の惣領に勅を下して、犯罪の場合と同様に扱って処罰させた。」(『続日本紀1』東洋文庫、直木孝次郎・他訳注)

 大和朝廷が派遣した「覓国使(くにまぎ使)」を「薩摩の比売」や「衣評督」等が襲ったため、「竺紫の惣領」に「決罰」を命じたという記事です。近畿天皇家の正史『続日本紀』に「評督」が出現するという珍しい記事で、古田先生も注目されていました。
 わたしが疑問に感じたのは、薩摩国内の特定地方(頴娃郡・肝属郡。肝属郡は後に設立された大隅国に編入)の「反乱者」への「決罰」を「薩摩国」の代表者(国司)ではなく、九州全体の代表者と思われる「竺紫の惣領」に命じたことです。もしこれが薩摩国全体の「反乱」であれば、その上位職と思われる「竺紫の惣領」に「決罰」を命じるのは妥当ですが、そのような大規模な「反乱」のようには記されていません。また、当該記事中で「竺紫の惣領」のみが実名が記されていないことも不審です。このような理由から、この記事に疑問を感じてきたのです。
 なお、同記事などを根拠として、「最後の九州王朝 鹿児島県『大宮姫伝説』の分析」(『市民の古代』10集、1988年。市民の古代研究会編・新泉社刊)という論文をわたしは若い頃(32歳)に書きました。この「薩末の比売」は鹿児島県に伝わる「大宮姫伝説」の「大宮姫」のことで、九州王朝の天子・薩野馬の皇后とする論稿です(現地伝承では天智天皇の后とされる)。古田先生に入門した年の翌年のもので、古代史の長文論文としては処女作です。
 ここに見える「竺紫の惣領」は、『日本書紀』天智6年条(667)に見える「筑紫都督府」の「都督」かもしれません。ただし、文武四年(700)という九州王朝最末年の記事ですから、九州王朝が任命した方面軍(各「道」)の都督が健在であったのかは今のところ不明とせざるを得ません。冒頭に記した九州王朝の行政単位の当否と、「評督」任命権者を各「道」の都督としてもよいのか、古田先生の指摘をヒントに考察を続けてみましたが、史料不足もあり、まだ断定しないほうが良いように思います。引き続き、研究します。

《追記》「大宮姫伝説」については、正木裕さん(古田史学の会・事務局長)から優れた論稿「大宮姫と倭姫王と薩摩比売」(『倭国古伝』収録。古田史学の会編・明石書店。2019年)が発表されています。ご参照下さい。

 
 

古賀達也の洛中洛外日記
第2037話 2019/11/06

『令集解』儀制令・公文条の理解について(3)


 阿部周一さん(古田史学の会・会員、札幌市)は過去にも『令集解』を史料根拠とした優れた論稿〝「古記」と「番匠」と「難波宮」〟(『古田史学会報』143号所収、2017年12月)を発表されています。そして今回は、『令集解』「儀制令・公文条」の新読解により、「九州王朝律令」には『養老律令』「儀制令・公文条」のような年号使用を規定した条文がなかったとする説を発表されました。
 この見解はとても刺激的な内容です。しかしながら、この説が成立するためには、少なくとも次の二つのハードルを越えなければなりません。一つは、『令集解』「儀制令・公文条」の当該文章(本稿末に掲載)の読みが妥当であることの証明。二つ目は、『令集解』の解説部分は同書成立当時(九世紀中頃)の編者(惟宗直本:これむね・なおもと)の認識であり、その認識が六〜七世紀の九州年号時代の歴史事実を正しく反映していることの証明が必要です。
 そこで、まず下記の当該記事の読みについて、検討します。

○『令集解』「儀制令・公文条」(『国史大系 令集解』第三冊733頁)
 凡公文應記年者、皆用年號。
〔釋云、大寶慶雲之類、謂之年號。
古記云、用年號。謂大寶記而辛丑不注之類也。
穴云、用年號。謂云延暦是。
問。近江大津宮庚午年籍者、未知、依何法所云哉。
答。未制此文以前所云耳。〕
 ※〔 〕内は『令集解』編者による解説。「国史大系」本によれば、二行割注。

 冒頭の「凡公文應記年者、皆用年號。」は『養老律令』の条文であり、それ以降(二行割注)は編者による条文の解説です。その解説では当時の律令解説書と思われる「釋」「古記」「穴」を引用し、「年号」とは具体的にどのようなものかを説明しています。そして、今回のテーマとなっている「問答」形式部分「問。近江大津宮庚午年籍者、未知、依何法所云哉。答。未制此文以前所云耳。」へと続きます。
 わたしはこの解説部分を次のように意訳したことがあります。

 「釋にいう。大寶・慶雲の類を年号という。古記に云う。年号を用いよ。大寶と記し、辛丑(干支)は注記しない類をいう。穴(記)にいう。年号を用いよ。これを延暦という。答う。近江大津宮の庚午年籍は何の法に依ったのか。答える。この文以前は未だ制度がなかったというのみ。」(「『令集解』所引「古記」雑感」『古田史学会報』143号所収、2017年12月)

 これは意訳ですので、必ずしも厳密な訳ではありません。例えば。「問答」部分の「未制」を「未だ制度がなかった」としましたが、正確にはこの場合の「制」は動詞ですから、「未だつくらず」か「未ださだめず」と訓むのが妥当です。これを意訳して「未だ制度がなかった」としたのですが、この短い記事では、阿部さんのように、「年号使用を規定した条文がなかった」との理解も可能ですし、「年号という制度がなかった」という理解も成立します。
 いずれとも断定しがたいのですが、わたしとしては編者による条文説明部分が「年号」についての説明ですから、それに続く問答部分の中心テーマも「年号」についてと考えるべきと思われ、そうであれば「未制」とは、〝未だ年号をさだめず〟と理解するのが、文脈上穏当ではないかと思います。
 更に詳細に論じれば、「問」部分に「未知、依何法所云哉」とあるように、「庚午年籍」が何れの「法」によって造籍されたのか「未だ知らず」と述べているわけですから、その「法」に「儀制令・公文条」のような条文があったのかどうかも知らないことになります。従って、「年号使用を規定した条文がなかった」とする理解はやはり難しいように思われます。
 もっとも、どちらの理解であっても、それは九世紀段階の『令集解』編者の解説(認識)というにとどまりますから、九州年号時代の歴史事実(九州王朝律令の条文)がどうであったのかは、別に論証が必要であること、言うまでもありません。(つづく)

 
 

古賀達也の洛中洛外日記
第2038話 2019/11/12

「新・八王子セミナー2019」の情景(1)

 先日、八王子市の大学セミナーハウスで開催された「古田武彦記念 古代史セミナー2019」(新・八王子セミナー2019)に参加しました。各研究者の発表は同セミナーハウスのホームページで紹介されることと思いますので、わたしの感想を中心にその情景について報告します。
 今回の発表の中で、もっとも感慨深かったのが古田先生のご子息、古田光河さんによる「父の想い出」という報告でした。先生の懐かしい写真や光河さんが赤ちゃんだった頃の親子のツーショットなどが次々と大スクリーンに映し出され、わたしは涙目で拝見しました。また、古田先生作詞作曲の歌を古田先生が歌われている録音なども流され、なかなかの名曲と聴講者からも好評でした。
 また、古田先生と女性との〝ロマンス〟として、古田先生がお好きだった女性が6名おられたとのことで、「誰でしょう」と光河さんは参加者に聞かれました。どなたからも回答がなかったため、「古賀さんは誰だと思われますか」とご指名いただきましたので、「中島みゆきさんでは」と述べたところ、「正解です」とのこと。先生は著書中で、中島みゆきさんの「海鳴り」という曲に触れられていましたので、たぶん6名の内の一人に入っているとは思っていましたが、もし間違っていたらどうしようと、内心どきどきでした。光河さんの説明では、先生は中島みゆきさんの名曲「この空を飛べたら」が好きだったそうです。中島みゆきさん以外には、キュリー夫人や石川さゆりさんらのお名前が上がっていました。
 とても懐かしく印象深い発表でしたので、ぜひ、関西でも発表していただきたいと、光河さんにお願いしました。(つづく)

 
 

古賀達也の洛中洛外日記
第2039話 2019/11/13

「新・八王子セミナー2019」の情景(2)

 今回の「古田武彦記念 古代史セミナー2019」(新・八王子セミナー2019)で、最も素晴らしかった研究発表は大墨伸明さん(鎌倉市)による〝「念仏不信人」と記された『一枚起請文』の新史料について〟でした。
 和田家文書の金光上人関連史料に法然の『一枚起請文』と呼ばれている文書(和風漢文体)があり、従来の「一枚起請文」(仮名漢字交じり)とは意味が正反対になっている部分があることを、昨年の新・八王子セミナーで安彦克己さん(東京古田会・副会長)が紹介されました。
 今回の発表で大墨さんは更に研究を深められました。たとえば、法然による消息文(手紙)に見える「信」の用例を提示され、和田家文書に記された「念仏不信人(「念仏を信じない人」)」とする理解が法然の思想を正しく深く表しており、従来説のように『一枚起請文』に記された「念仏を信せん人は」を〝念仏を信じる人は〟と読むのは不正確であり、後代の弟子・後継者等による法然思想の変容の結果ではないかとされました。
 この大墨さんの研究は和田家文書研究の精華であり、日本思想史学上からも素晴らしい発見と思いました。セミナー終了時に、「日本思想史学会でも発表してほしい。古田先生が聞かれたらきっと喜ばれたに違いありません」と大墨さんに賛辞を贈りました。この発表を聞けただけでも、今回のセミナーに参加してよかったと思いました。(つづく)

 
 

史料として古田史学会報138号まで公開しています。

 



 

講演会案内


 

 


集会案内

一度覗いてみて下さい。誰でも参加できます。(要、参加費)

古田史学の会・関西2019年12月例会

期日

2019年12月21日(土)
午前10時より午後5時まで

場所

大阪府立大学I-siteなんば2階 会議室

住所:大阪市浪速区敷津東2-1-41南海なんば第1ビル2階
大阪府立大学I-siteなんばの交通アクセスはここから

  • 地下鉄御堂筋線・四つ橋線「大国町駅(1番出口)」下車、東へ約450m、徒歩約7分
  • 地下鉄堺筋線「恵美須町駅(1-B出口)」下車、西へ約450m、徒歩約7分
報告

会員発表例は例会報告参照

参加費 500円

2020年1月例会は、18日(土)アネックスパル法円坂でおこないます。
関西例会は、毎月第三土曜日午前10時より午後5時までです。



古田史学の会・東海 例会

案内は古田史学の会東海のホームページでご覧ください。


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