古田武彦著作集

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2013年9月刊行 古田武彦・古代史コレクション17

失われた日本

「古代史」以来の封印を解く

Japan behind Japan

ミネルヴァ書房

古田武彦

 

 正誤案改訂 2014.01.5

 頁  行     誤     正  参考事項
37 -1  「五五百〜  「五五百〜  
56     布目順郎『絹の東伝』より 図下の引用元記載抜け
(原書房版も同様)
111 4   (四年二月)    (四年二月) (原書房版も同様)
282 6 「曁飛鳥大宮御大八洲天皇御世  曁飛鳥清原大宮大八洲天皇御世上ニ

の代わりに
の代わりに上ニ

下記参考意見あり
214     9  押きて   押きて 芭蕉「銀河の序」も同様

始めの数字は、目次です。「はしがき」と「あとがき」は下にあります。

【頁】【目 次】

i〜iii はしがき -- 復刊にあたって

001  第一章 火山の日本 -- 列島の旧石器・縄文

021  第二章 古代の冒険者たち -- 縄文の太平洋航海

043  第三章 輝ける女王

043         天
063         地
077         人

097  第四章 無二の証言者 -- 聳え立つ好太王碑

105  第五章 分流の天皇陵 -- 九州からの継承

115  第六章 神籠石の証明 -- 倭国中心の王者

119  第七章 偽られた天子 -- 「日出ずる処の天子」

129  第八章 年号の歴史批判 -- 九州年号の確証

143  第九章 不動のO・Nライン -- 旧唐書と新唐書

153  第十章 虚妄の「タケル」説話 -- 「ヤマトタケル」と「神功皇后」

167 第十一章 日向の分岐点 -- 「ヒナタ」と「ヒユウガ」

179 第十二章 空白の「三種の神器」 -- 権力者の不安

189 第十三章 歴史への絶唱 -- 柿本人麿の追憶

199 第十四章 絶対者とは何か -- 親鸞の最終思想

213 第十五章 不易と流行 -- 芭蕉の第一芸術

225 第十六章 歴史から現代を見る

225        マードックの問い(明治体制と本居宣長)
229        天は人の上に人を造らず(福沢諭吉への史料批判)
245        新宗教の発明(チェンバレンの批判)
251        最終言(未来への直言)

261 あとがき

269 日本の生きた歴史(十七) -- 古事記伝 -- 本居宣長批判(下)

271         第一 「遠つ飛鳥」論
277         第二 「天皇」論
281         第三 「稗田阿礼」論
283         第四 「師の説」論

1〜8人名・事項・地名索引

 *本書は『失われた日本』(原書房、一九九八年)を底本とし、「はしがき」と「日本の生きた歴史(十七)」を新たに加えたものである。なお、本文中に出てくる参照ぺージには適宜修正を加えた。

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古田武彦・古代史コレクション17

『失われた日本』

「古代史」以来の封印を解く

Japan behind Japan
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2013年 9月10日初版1刷発行

 著 者 古 田 武 彦

 発行者 杉 田 敬 三

 印刷社 江 戸 宏 介

 発行所 株式会社 ミネルヴァ書房

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© 古田武彦, 2013    共同印刷工業・兼文堂

ISBN978-4-623-06456-4
   Printed in Japan


はしがき -- 復刊にあたって

         一

 滅べ、人類よ。お前には、この地球に生きる資格がない。みずから造り出した「放射能」の害毒で、この地球を何十万年も汚染する、そんなお前に、この地球をまかすわけにはいかない。
 もし、「神」なる存在があって、お前にこの地球やこの宇宙の「支配権」をゆだねたというなら、それは「にせ者の神」だ。虚偽に奉仕する神、お前の“好き勝手”を合理化するために、お前が造り上げた「偽神」にすぎない。

 

         二

 滅べ、地球よ。人類によって、お前の大地、お前の大海が汚染され尽くす前に、消滅せよ、大宇宙の秩序の中で。何兆年が過ぎ、汚染なき星が生れ、希望(のぞみ)ある生き物が誕生する日が到来するまでに。お前のいまわしい歴史が忘れ去られるように。滅べ、地球よ。永劫の闇の中に。


          三

 滅べ、多数決よ。人類の愚かなルール。近隣の何名かが“もめごと”をおこしたとき、多数決で「方針」を決める。それは賢い“やりかた”だ。この地球の中で、生きてゆくための人類の知恵だった。
 しかし、一歩退いて静かに考えてみよう。人類が「多数決」で「放射能汚染」への道を選択したとき、犬や猫や鯨や隼(はやぶさ)たち、もぐらや蛇たち、彼等はその「多数決」に参加していたのか。人類の「多数決」という独断で、永遠の害毒を身に浴びたのではないのか。所詮、多数決という名の、人類の「ひとりよがり」にすぎない。
 ソクラテスも、多数決で処刑された。彼はその“危険性”を未来の人類に警告して死んでいった。イエスも、群衆の多数決で「バラバ」という盗賊の代りに処刑された。ガリレオも、「絶対多数」の天動説の包囲の中で処断された。
 滅べ、多数決よ。ナチスが「多数決」のルールを悪用して「人類の敵」となった歴史を想起せよ。

 

          四

 けれども、わたしたちはあきらめない。希望を守る。たった一人になっても、あきらめることを拒否する。何がこの地球を襲おうとも、この大宇宙の一端に、一片の良心を守りつづけた「いのち」が存在したことを、万世に証言する。そういう生き方をしたい。
 不幸な人々よ、心を寄せる身寄りがなく、他(ひと)に裏切られ、孤独の中で死んだ人々よ、わたしはあなた方を求め、そのそばで「同じ側」に立ちたい。決してあなた方は“見捨て”られてはいなかった。その一事をあなたに告げつづけたい。それが何兆年の何兆乗あとになろうとも、わたしは一切、それを苦にしない。そういう「いのち」がこの世に存在したことを、唇(くちびる)の奥で叫びつづけていたい。その証言者となりたい。それがわたしの願いだ。

 

          五

 嘲笑(わら)え、人々よ。「現実」とか「計算」とか「利害損得」とか、さまざまの“口実”、もっともらしい理由をもち出して、わたしを“あざけり”の的(まと)せよ。すべてO・Kだ。この世で、もっとも「馬鹿げた奴」の名を全面に浴びつつ、死んでゆこう。それがわたしの望み、唯一の生きがいなのであるから。
 わたしに恐れるものは、すでに何もない。

   平成二十五年一月十一日

                                   古田武彦


あとがき

        一

 日本は火山列島の上にある。火山国家、地震国家だ。
 だから、「国家」を造った国民が、国家に対して第一に要求すべきところ、それは火山爆発や大地震のさいの、緊急にして万全の対策である。もちろん、人間のなしうる限りの「万全」、国家のなしうる限りの「緊急」である。
 一九九五年一月十七日、神戸を大地震が襲った。阪神・淡路の大震災だ。
 だが、国家はこれに対して何をしたか。どんなスピードで対応したか。すでにわたしたちの知るところだ。当時も、おくればせに駆けつけた総理大臣に対して、大人たちは絶望した。その絶望を「鏡」のように反映して、人命軽視をこの世のルールと心得た、恐るべき子供が生れた(一九九七年、神戸連続児童殺傷事件)。
 しかし、問題の根本は、次の一点にあるように思われる。それは、戦前の明治憲法(一八八九)にも、戦後の新憲法(一九四六)にも、「火山・地震」の四字がないことだ。「天皇」よりも、「総理大臣」よりも、先に来るべきこの肝心の四字がない。なぜか。
 理由は明白だ。西欧の近代憲法の模倣だからである。さらには敗戦後、その西欧側の“指図”による憲法だからである。
 その西欧には、火山・地震がない。否、正確には、多くはない。ことに、西欧文明の故国である、ヨーロッパは、一見「火山・地震大陸」とは見えない。それゆえ、いわゆる「ゲルマンの大移動」、実は大侵略によって、ユーラシア大陸の西隅、ヨーロッパに建国した人々の子孫は、自分たちの創造した近代憲法の第一条に、この一大事を置くことを“忘れ”たのである。

 

        二

 それを、明治体制の創出者たちは模倣した。猿真似だ。だから、火山列島上の近代国家、日本であるにもかかわらず、その憲法の第一条に「火山・地震」の四字が全く欠如したのだ。いわんや敗戦直後、アメリカ合衆国の占領指導者たちに、そのような根本認識があるはずもなかった。それゆえ、新憲法にもまた、このもっとも大切な一項目が今も「空白」となっているのである。
 さらに問題を深めよう。
 では、日本の場合は例外か。たまたま火山列島の上に建国したための、特殊事情なのか。とんでもない。 ーー普通だ。
 なぜなら、地球は火球である。その真ん中に、誰もまだ見たことのない一大巨火が燃え盛っている。これは「見たこと」はなくても、空想ではない。現実だ。この一事を否定しうる人は、誰一人いないであろう。その証拠は火山だ。
 それゆえ、その「見せかけ」とは異なり、ユーラシア大陸も、その真相は「火山・地震大陸」なのだ。もちろん、ヨーロッパはその片隅に存在する。「火球の表皮に造られた近代国家」その本質において、日本も、ヨーロッパも、アメリカ合衆国も、何一つ変るところはないのであるから。当然のことだ。
 それゆえ、もし日本がそのような「火山・地震憲法」を創造したとき、ロサンゼルス大地震の苦(にが)い経験をもつアメリカ合衆国も、やがてこれにならうであろう。日本への模倣だ。そして一隅にアイスランド火山島をもち、近代憲法の祖国であるヨーロッパの諸国も、やがてまた。
 しかし、例の「決断の遅さ」で日本がぐずぐずしていたとすれば、当然のことながら、ここでも西欧諸国がこれに先んじ、火山国日本があたふたとこれを模倣する、そういう醜態をさらすことであろう。歴史は果して、いずれを記録するであろうか。
 以上は本書の第一章の読者にとって、自明の常識だ。これは「地球の常識」なのであるから何等の他奇もない。それが「人類の常識」となっていないのは、未だ人類が自己の国家の「立地」を認識せず、“のほほん”として税金を収奪する、そういう未発達段階になおとどまっているからだ。国家の力も、いわゆる民間活力も、この一点を抜きにしては論じられないのである。僭越至極ながら、わたしはそう思う。

 

       三

 最近、二つの喜ばしい発見が相次いだ。
 一つは、周知(一九九八年一月十日公表)の「黒塚古墳」(奈良県天理市)の発掘。三十三面の銅鏡が未盗掘のまま、すなわち「原位置」保存のままで発見された。この点、考古学上の意義は大きい。しかも、三十一面は、問題の三角縁神獣鏡。石棺内ではあるけれど、木棺の外、その両側に十五面と十六面、「置」されていた。より大型の一面、三角縁波状帯盤竜鏡が、同じく木棺の外側ながら、北側中央に置かれていた。広い分類では、三角縁神獣鏡に入れられるものの、大きさも、置かれた位置も、別格であり、別種の様式である。そして木棺の中には一面だけ。画文帯神獣鏡である。
 以上の配置が明晰にしめしているように、従来、多くの考古学者によって「魏鏡」すなわち、景初二年(二三八)に卑弥呼が魏朝からプレゼントされたという「銅鏡百枚」(三国志、倭人伝)に当る、と断定的にのべられていた「三角縁神獣鏡、魏鏡」説は、ほぼ成り立ち難い。その事実が明瞭に浮かび上ってきたのである。
 この「魏鏡」説の失われたとき、女王の都、邪馬壱(いち)国の行方はどこか。すでに本書の読者にとって周知のところ、多鈕細文鏡(吉武高木)、前漢式鏡(三雲・須玖岡本・立岩)、後漢式鏡(井原・平原)と、集中出土する黄金地帯、「糸島・博多湾岸」しかありえないのである。
 たとえば、「非、三角縁神獣鏡」説の論者は、「後漢式鏡」をこれに当てようとする。だが、右にしめす通り、その集中出土地は前原市の「井原・平原」だ。その「井原」の隣、“溝一つへだてて”といいたいような近所に「三雲」がある。前漢式鏡の集中出土地だ。「倭国の首都圏」すなわち女王の都を論ずる場合、「井原・平原」を入れて「三雲」をはずすわけにはいかないのである。
 前漢式鏡となれば、「須玖岡本」(春日市)、「立岩」(飯塚市)も、同じだ。そのうえ、忘れてはならないのが、あの「吉武高木」(福岡市)の多鈕細文鏡だ。多鏡墓の原点である。
 結局、本書が力説したところの「糸島・博多湾岸」すなわち“博多湾岸周辺”説へと帰着せざるをえないのである。「博多=奴国」説や「人造」の考古編年(二〜三世紀を「中国鏡」の空白期とする)という名の仮説に「目をおおわれ」ず、出土分布図の大局を通観すれば、右以外の帰着点はありえないのである。
 今回の黒塚古墳では、絹布(筑紫からの伝播か)や鉄剣は出たけれど、「玉」類は出なかった。「三種の神器」ではない。もちろん倭人伝で女王の宮殿を「守衛」したとされる、矛が近辺にない。「銅矛の鋳型」も「鉄矛の製造場」も大和(奈良県)からは出土していない。ところが本書でしめした通り、博多湾岸は「銅矛の鋳型」の圧倒的な集中地なのである。
 こだわらぬ「目」をもつ人には、やはり女王の都のありかは明らかだ。今回の黒塚古墳の発掘は、本書の指ししめすところ「博多湾岸周辺説」を強力に“裏づける”結果となったようである。

 

       四

 二つ目は、和田家文書の所蔵者、和田喜八郎氏の家(青森県五所川原市)から、かなりの量の文書類が、一九九八年正月、仏壇下から発見された事実だ。明治の教科書・ノート類である。末吉(曾祖父)、長作(祖父)が平常使用していたものだ(一月十四日、古田のもとに到着)。

和田末吉・長作筆 『史習帳』 古田武彦 失われた日本 -- Japan behind Japan
 明治七年、十三年などの教科書には、「和田長作」の署名がある。使用者名だ。ノートの中には「岩手縣尋常師範学校」の印刷(茶色)文字の用紙に「前期講習生津輕應斑ママ生徒(改行)和田長作」とある。表紙には「明治廿九年理習帳」とあり、本文一ぺージには「農業科教諭廣瀬兎喜治先生述(改行)土壌論」として以下、その講述が筆録されている。
 何より出色のノート、それは「明治廿年一月史習帳 -- 和田末吉子息長作」の一篇だ(「子息」以下は別字添書)。

「然ルニヤ文士福澤殿掘視セルハ『學文ノ進メ』ナリソノ序頭ニ『天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ亦人ノ下ニ人ヲ造ラズト言リ云々』トアリケルハ拙氏ガ呈シタル『東日流外三郡誌』ノ一行ニシテ引用セルモノナリ能ク覚ツママ置クベキ大事ナリ」

に始まる一連の文章があり、「明治廿年一月記(改行)和田長三郎末吉」と結ばれている。本書で紹介したものと同一の主旨であるけれど、筆ペン状の楷書で、ノートとして出現したことが注目される。
 以上、従来“悪意ある中傷者”によって流されていた「末吉・長作、文盲説」など、雲散霧消することとなったのである。
 すでに昨年十月十四日、「偽書主張」を最終的に斥けた最高裁判決が出された今、「寛政原本」の「公開」こそ待たれる状況であるけれど、「総四千八百十七冊」(北斗抄、廿七、記了巻の二十五節。長作による)という大部であるうえ、「明治写本」等を加えれば、一万冊にも近い文書群を収蔵すべき「資料館」と「管理人」がない。
 「バブル」とか「不景気」とか、それらは世間の“上空”を通りすぎる。それらにかかわりなく、それがない
 日本には、統治者がない。資産家がない。すべて、この日本には存在しない。存在するのは、“事なかれ”主義の官僚群と財産管理者たち。日本は、エコノミック・アニマルの花園となり終わったのだろうか。
 わたしはいつの日か、これに対してハッキリと「否」の一字を記したいと願っている。

          五

 「情報公害」という言葉がある。活字や電波による情報の洪水、それらがわたしたちの周辺を満たしている。パソコンやインターネットの発達する二十一世紀以降、それらは何十層倍にもふくれあがるだろう。
 そのさい、必要不可欠なもの、それは「情報批判」この四字だ。あふれる情報の中で、何が真で何が偽か。それを見抜く、人間の力だ。
 今回の「黒塚情報の氾濫」の中でも、それが痛感された。「邪馬台国、近畿説」の確定、もしくは有力化を“信ぜ”させられた人々も、日本国民の中には少なくなかったのではあるまいか。おそろしいことだ。二十一世紀以降への警告となろう。
 和田家文書のケースも、そうだった。有名なテレビ番組が「和田家文書が現代人の制作(偽書)であることは明らかになった」とのナレーションを流した(TBS、一九九七年九月二十七日)。「偽書説」側の「上告」通りの内容だ。ところがその二週間後、最高裁はその「上告」を最終的に斥ける判決を下したのである。 ーーテレビ自身が「喜劇の主人公」を演ずるとは。言語道断だ。二十一世紀以降への、よき教訓とされよう。
 いかに文明が進もうとも、否、進めば進むほど必要不可欠なもの、それは人間の「目」だ。冷静な、人間の理性なのである。
 あらゆる情報装置は、地球上多くの人類を「集団発狂」させる威力をもつ。無上の「凶器」と化しうるのである。
 明治以降の「国家」の教科書もまた、その「用」をになってきたこと、すでに歴史的事実だ。敗戦時、「皇国史観」をしめす記述は墨で消された。教室で、教師の指示に基づき、生徒の手によって消された、という。わたしが一九四八年、教師となった、その直前の“事件”だった。
 では、敗戦後の教科書は、果して墨で消されなくてもいいか。 ーー否。
 明治以降、百三十年の「国民的歴史素養」は今後も保持しつづけうるか。 ーー否。
 わたしの生命を消せば、本書の問いかけを消しうるか。 ーー否。
 この一書を書き終えた今、生前も死後も、いかなる運命がわたしを待っていようとも、悔いるところはすでにない。

   一九九八年一月十九日

                             古田武彦記


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