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奪われた国歌「君が代」

株式会社 情報センター出版局

古田武彦

 まえがきあとがきは下にあります。

【頁】【目 次】

003 まえがき

第一章 君が代はどこから来たか

014 はじめに
017 「読人しらず」の「君が代」
023 「君が代」と九州筑前
028 「山ほめ祭」と「君が代」
033 阿曇
あずみの君の夜参り
038 「地名」「神名」の古さ
042 本源の時間帯を知る
044 歌詞細部の検討
049 現地検証
052 「君」は女性か?
055 イワナガヒメの伝説
058 神話の中のワルモノ
063 おとしめられた神
065 イワナガヒメ賛歌の「君が代」
067 紀貫之のたくらみ
072 再び「君が代」について
074 第一章註

第二章 「邪馬台国」はなかった

080 はじめに
083 『魏志』「倭人伝」と卑弥呼
087 卑弥呼の年齢
090 卑弥呼と神功皇后
094 「邪馬台国」への素朴な疑問
099 「壹
いち」と「臺だい」の用法
103 文献解読の基本的な態度
106 「閾
けつ」の論証
109 「邪馬壱国」特定の鍵「里程」
114 里程解釈の手続き
120 「里単位」追求
126 魏・西晋朝の「短里」
130 「会稽東治の東」の女王国
132 『魏志』「倭人伝」の文脈
135 「里程」と倭国への道
139 「部分里程」の解読
143 「傍線行路」の発見
145 邪馬壱国の中心と範囲
151 第二章 註

第三章 消された「九州王朝」

156 「倭人伝」以前の北九州
166 日出
ずる処ところの天子
171 その後の九州王朝
179 「銀銭」と「曲水の宴」
186 貨幣と天子の権威
192 一大転機、大宝元年
202 九州年号
210 白村江の戦と『万葉集』
216 倭国と日本国
223 九州王朝の滅亡
232
第三章註
235 あとがき

____________________________

奪われた国歌「君が代」

2008年8月11日第1刷
著 者   古田武彦
装 丁   清水良洋(Nalpu Design)
カバー写真 宮嶋康彦
発行者   関裕志
発行所   株式会社情報センター出版局

編 集   田村研平
印 刷   株式会社光邦
______________________
@2008 Takehiko Furuta ISBN 978-4-7958-4902-0


まえがき

 いわゆる「邪馬台国」の候補地が日本列島全土に乱立している、などというのは天下の奇観といえるでしょう。しかもそれぞれ郷土愛にささえられている。そういう場合も少なくないとすれば、その説に反対でもすれば恨まれる。さわらぬ神にたたりなしです。
 乱立の密度に比例して高まる古代史熱が、冷静な関心から近づき始めた人々を逆に遠ざける。そういう現象が起こったとしても不思議ではないでしょう。
 日本国のルーツともいうべき「倭国(わこく)」、その弥生時代の歴史を描いたのは、日本ではなく中国の『魏志』「倭人伝」でした。
 "他国(魏)の人間がやってきて異国(倭国)のことを書いたものなど、どこまで信用できるものか"、普通の読者なら、そう考えてもおかしくありません。戦前の教科書では史実より国威高揚のフィクションが優先されたため、古代史に疑問をはさむ余地を与えませんでした。内容を暗記することが日本史の勉強だったし、大人の教養だったのです。
 それに比べれば、戦後の教育を受けた人々は、「邪馬台国」や「卑弥呼」の存在や説明を教科書で学んだことでしょう。しかし、時代は二千年近く前のことですから、解釈に諸説あるのも無理はありません。史実の特定は「解不能の方程式」、たとえば「角の三等分」にたとえることができます。いまだに「解」が発見できないような例は数多くあります。しかし、挑戦にジ・エンドはありません。
 それと同じで、「魅力はあるけれど、どうせ解けないパズル」。そういった感覚で古代史に興味をもつ人々も増えています。そのうち、「これは解けない」ということを証明しようとする人さえ現れている。
 お隣の中国では、三世紀の「邪馬台国」どころか、紀元前十世紀、二十世紀のもの、殷文明から夏文明までの遺跡が発掘され、新しい歴史観が出てきている。ところが、わが日本では、わずか三世紀のことがいまだにハッキリしていないのです。
 もちろん、わからないものはわからない、とするのが近代精神であると思います。これはソクラテス、プラトン以来の学問の伝統です。無理にわかったような顔をすることこそ危険で、まやかしですが、古代史のナゾは本当にわからないのでしょうか。そこで本書では、つぎのような話題を提供しています。

○「君が代」は博多湾の地名群を歌った賀歌である
○「日出ずる処……」の天子とは、大和ではなく九州の「我が君」
○小野妹子は、遣隋使ではなく遣唐使だった
○『日本書紀』に現われた歴史の改ざん
○抹殺された卑弥呼の系譜
○「邪馬台国」はなかった
○実在した九州年号
○古代史の転機、任那滅亡
・・・・・・・・

 日本の古代史を考える場合、あえて「わからない」状態にして、いつまでも「ナゾ」のまま真相をマスキングしてきた悪しき伝統があるように思えて仕方ありません。それは『日本書紀』以来のあくどい手法ですが、江戸の国学、明治以来のいわゆる皇国史観にまで影響が及び、真相の多くは、いまだ闇のなかに閉ざされています。
 本書では、文献と考古学資料に基づき、読者の関心の高い「君が代」「卑弥呼」「邪馬台国」「九州王朝」などの真相を実証すると同時に、通説とされてきた日本古代史の欺まんと作為を明らかにしていきます。きちんと「わかる」古代日本史を目指しました。
 あなたが学んだ古代史と、本書を比較しながら楽しんでいただければ、興味は倍増することでしょう。


あとがき


 望外の一書となりました。
 これを若い読者の手もとへとどけることができる。こんな喜びは、全く「想定外」でした。
 もちろん、この本の基礎となっているのは、わたしの古代史三部作『「邪馬台国」はなかった』、『失われた九州王朝』、『盗まれた神話』(角川文庫・朝日文庫)そして何よりも、「君が代」を論じた『「君が代」は九州王朝の賛歌』(新泉社)などの本です。
 しかし、幸いなことに、というより、本当は不幸なことに、三十年以上経ったこれらの本の「生命」は、今も全く古びていない。それが事実です。なぜなら、その間に、教科書や教科書を書いた学者たちの著作が、わたしの提起したテーマや実証を“受け入れ”ていたら、またはしっかりと“反論”し尽くしていれば、もうこんな本は不要です。
 ですが、信じられないことですが、それらは全く「なかった」のです。「賛成」も「反対」も、すべて、あるいはほとんど存在せぬ三十余年。わたしにはそう思えてなりません。
「わたしは貝になりたい」という、有名なドラマがありました。日本のB級戦犯裁判の「不当」を、大変遠慮がちに「叫んだ」話だったと思いますが、それとは打って変わり、歴史学の先生方や教科書の検定者たち、そして「教育の方針」を"定めた"はずの政治家も、学者もすでに永遠の「貝」になって、批判の声を聞かなかったことにしてきたのです。
 「君が代」が国歌に制定されたときも、形の上では日本列島各地で「公聴会」が開かれましたが、それはほんの「形」だけ。反対意見、たとえばわたしのような実証的な、つまり本来の意味で学問的な「批判」には、耳に“ふた”をして聞かなかったようにしてきました。そして「形」の上の“合法性”をよそおったもの、それが「国歌制定」の経緯(いきさつ)だったのです。その点を、同時代に「君が代」を学問的に研究し、論文や本として公表していた一研究者として、わたしは後世に対して、万代(ばんだい)に対して明確に証言したいと思います。
「あれは、合法的に『国歌』として制定されたものだから」
という政治家や教育者があれば、肝心のその人の「口」が「貝」の形をしていないか、しっかり見つめてもらいたいと思います。


 このような「公定」の歴史観が国民に教科書として“押しつけ”られたのは、やはり明治維新以降でした。江戸時代が「将軍様」中心の朱子学を学問としたのに対し、新たに「天皇様」中心の歴史を“洋式学校”で教えさせたのです。
 軍人勅諭や教育勅語が力説したように、「わが国は陸・海(空)の三軍を大元帥陛下の率いたまう国である」と説くことがキー・ポイントでした。だからこそ「男系男子」が基本とされたのです。「皇祖」である天照大神が女性であり、本来「女系の継承」を根本としていたはずだったのですが、そんな「歴史」を説くのは、いうだけ野暮。「昔の将軍様、今の天皇様」の中心理念を植え込むことこそ、学校教育の最大目標でした。
 「教育の根本は、歴史。日本歴史の目標は大化の改新と明治維新を教えることにある」
そういわれていたのです。


 それが「一変」したのが敗戦以降、といいたいところですが、全くそうはなりませんでした。なぜなら、連合国側の要求した無条件降伏。日本側の要求した「国体護持」。当然、表向きは連合軍司令官マッカーサー将軍の意向が優先されましたが、その“内側”では、「天皇家中心の歴史」が敗戦後にも“担保”されて“生き残った”のです。
 もちろん、戦前のように、「天皇は神聖にして犯すべからず」の、いわば「神様」とはされなくなったのですが、その代わり、
 「人間の天皇家が、絶えず日本列島の歴史の中心の王者だった」
という、それこそ「虚偽の神話」が戦後の教科書の中心にドッカと座りつづけ、それに反対する立場、たとえば「九州王朝説」などは、教科書検定官“総出”で排除する。そういう仕組みとなりました。それが、敗戦後の「教科書検定」の最大の“仕事場”となったのです。
 アメリヵ合衆国には、教科書検定などはありません。マッカーサーも、当然それは熟知していたのですが、明治以降の「国体護持」主義と手を結び、それを「許容」したのです。あの有名なアメリカの「司法取引き」の手法でした。それによって「反アメリカ」の声を押さえるという本来の主目的も達しやすい。そう考えたのでしょう。
 戦後、日本人の精神を「十二歳レベル」と称したこの将軍にとっては、「本来の日本の歴史とその意義は何か」など、「十二歳の児童向け」の“とるにも足らぬ”テーマだったのでしょう。それが彼の教養の限界でした。


 近年、「大化の改新」の研究史を辿ってみて、今回の問題(日本の古代史の全体像)に対する、全く新しいテーマを眼前にしました。
 明治維新以降、そして敗戦以降、現在に至るまで、日本国家が国民に示してきた全体像には根源的な「虚偽」がふくまれていたのです。
 この本を読んでくださった読者には、すでに明らかなところかもしれませんが、「七〇一」(大化元年)以前の歴史には、重大な「?」が、その中核に存在していたのです。幸いに、その全体像が抱く虚像について、その骨格を逐一書き終えました。それは『なかった真実の歴史学』(ミネルウァ書房刊)に詳細に記されていますから、機会があればご一読ください。
 そして、この本の読者の方々よ。真実の日本の未来に生きようとする人々よ。貴方がたの無限の可能性を、わたしは疑わず、深く信じています。

二〇〇八年七月 古田武彦


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