古田武彦著作集

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2015年 7月刊行 古田武彦・古代史コレクション24

古代史をゆるがす

真実への7つの鍵

ミネルヴァ書房

古田武彦

始めの数字は、目次です。
【頁】【目 次】

i はしがきーー復刊にあたって

iv はじめに

第1の鍵 足摺に古代巨石文明があった

001 1 足摺の巨石群

      巨石文明との出会い 土佐への旅 旧石器と縄文 巨石信仰の変遷 姫島の白曜石 火山列島・日本の先進土器文明 黒潮に浮かぶ日本

026 2 ストーン・サークルの成り立ち

     人工のこん跡 ヨーロッパのストーン・サークル ストーン・サークルと巨石信仰

032 3 文字をもった一大文明圏

     「美しい港の尾っぽ」 鏡岩と「日向」の由来 大和中心の解釈のあやまり 造られた宮崎・鹿児島の天皇陵 豊予海峡にまたがる姫島文明圏

042 4 巨石文明の継承者「侏儒国」

     南米のミイラの糞石 見直されたエバンズ説 邪馬壹国の論証 二倍年暦 やはり倭人は太平洋を渡った 太平洋を渡った「侏儒国」人 卑しめられた「侏儒国」 文明のおごり

 

第2の鍵 宮殿群跡の発見と邪馬一国

061 1 雀居遺跡と女王国の証明

     『奴国の滅亡』の崩壊 そこには女王国があった

067 2 吉武高木遺跡と宮殿群跡

     「不弥国」の証明 流された室見川の銘板 神話のすり替え 筑紫の君の故郷 架空の「早良王」

079 3 九州王朝の源流

     一変した出土品 宮殿のミニチュア 日光東照宮の三五〇年 ニニギノミコトの陵墓

 

第3の鍵 祝詞が語る九州王朝

089 1 筑紫で行なわれていた大嘗祭

     大嘗の祭のはじまり 日本書紀の大嘗祭の記述

092 2 「新式の祝詞」の時代

     八世紀の思想表現 天のほひの命 大和と出雲の「神神習合」 大和の時代へ

 

第4の鍵 「縄文以前」の神事

099 1 「酔笑人神事」の伝えるもの

     熱田神宮の「奇祭」 簡明な儀式 縄文 -- 危険な時代 「木更津」は「君去らず」か 「草なぎの剣」説話の真実

113 2 「笑い」の神事の淵源

     弥生神話の形成 破壊された遺跡 弓矢の発明

 

第5の鍵 立法を行なっていた「筑紫の君」磐井

125 1 「反乱」を起こしたのは磐井ではない

     古代の裁判所 継体王朝の後継者たち 中央権力者としての立法者

129 2 筑紫の王者の即位

     七支刀と異様な人形 南方からの使者 盗掘にあった王冠

133 3 岩戸山古墳

     石人石馬の破壊 岩戸山古墳の発掘 古墳発掘と「別区」の復元

138 4 法をどこから学んだのか

      張政と中国の法体系 階級社会のなかのルール

 

第6の鍵 「十七条の憲法」を作ったのはだれか

141 1 「十七条の憲法」と聖徳太子

     「多利思北孤」はだれか 「天子」と君臣の関係 近畿天皇家の「禁書」

147 2 九州王朝に任命された官職

     「朝臣」の任命 「真人」に任命された天武 「ひめ」の呼称 「尻官三段」

 

第7の鍵 もうひとつの万葉集

151 1 万葉集への数々の疑問

     防人の歌 九州と瀬戸内の歌 雑歌 「古集中に出づ」

155 2 「倭国」万葉集に収められた歌

     筑紫の歌 人麿の歌 「神分」論

 

161 あとがきにかえて

165 巻末資料(○1祝詞 ○2筑後国風土記 ○3万葉集巻二)

171 日本の生きた歴史(二十四) -- 真実の歴史

175 「倭」「倭人」について ーー 張莉

1〜8人名・事項・地名索引


写真協力●毎日新聞社(11、83、93、94、110ページ)
       駸々堂出版、青山富士夫ほか

     ※本書は『古代史をゆるがす -- 真実への7つの鍵』(原書房、一九九三年)を底本とし、「はしがき」と「日本の生きた歴史(二十四)」を新たに加えたものである。なお、本文中に出てくる参照ぺージには適宜修正を加えた。


古田武彦・古代史コレクション24

古代史をゆるがす
-- 真実への7つの鍵
________________
2015年 7月30日 初版第1刷発行

著  者   古 田 武 彦
発 行 者   杉 田 啓 三
印 刷 者   江 戸 宏 介
____________________________________________

発 行 所  株式会社 ミネルヴァ書房

_________________________
@ 古田武彦, 2015         共同印刷工業・兼文堂

ISBN 978-4-623-06671-1
Printed in Japan


 はしがき -- 復刊にあたって

             一

 『古代史をゆるがす -- 真実への7つの鍵』(原書房、一九九三年)は、私にとって画期をなす出版だった。
 その第一の鍵は、土佐(高知県)の足摺岬である。私自身が、父親も母親も土佐の出身でありながら、その地にはめったに行ったことがなかった。もちろん、住んだこともない。
 けれども、その足摺岬が学問研究にとって重要なキイ・ステーションとなった。不思議だった。


             二

 三国志の魏志倭人伝、私の尊敬する歴史家、陳寿の畢生の歴史書である。従来の、いわゆる古代史の研究者は、王朝の所在を平気で「大和(奈良県)」に当ててきた。「南」とあるのを「東」に書き換えて、そこを出発点とした。いわゆる「近畿天皇家一元主義」の歴史観を絶対としたからである。
 そのため「ヤマト」と訓(よ)めぬ「邪馬壹国」を捨て、「ヤマト」と訓めると見えた「邪馬臺国」と書き換えたのだ。
 しかし、次の第三点は、“見のがされ”た。
 第一、「邪馬臺国」とあるのは、一五〇年あとの後漢書である。
 第二、三国志の方の「邪馬壹国」は、「戸七万戸」の大国であり、後漢書の方の「邪馬臺国」は、「その大倭王の処所」だ。現在でいえば、東京都と皇居を自在に取り換えるのにひとしい暴挙だ。
 第三、その後漢書にも「臺」を「ト」と訓んだ例はない。
 右を無視(シカト)したまま、いわゆる「邪馬臺国」が通用させられている。もちろん「邪馬台国」など、絶無である。

             三

 私の方法は簡単だ。
 その一、同時代史料を優先し、その立場から後代史料の叙述を批判する。従来の研究者は「近畿天皇家中心」というイデオロギーを優先し、それに。合うように「原文」を直す。理念を先行させ、それに合うものを「原文」と称するのである。
 その二、古事記・日本書紀・風土記等は八世紀の成立だ。七世紀前半成立の隋書といずれを採り、いずれを捨てるか、明白だ。先行史料を基盤とすべきだ。
 その三、すでに在日中国人の研究者、張莉氏がくりかえし明記されたように、わたしの立場と八世紀以降の成立の立場とは決して“斉合”できないのである。
 その四、さらに見逃すことができないのは「神籠石山城の分布」だ。明らかに防府(山口県)・筑紫(福岡県)を中心として築かれている。紙の上の「学説」は“書き換える”ことは可能でも、遺物群の分布を“動かす”ことは不可能だ。
 「九州王朝」の概念なしに、日本の古代史像を構築することは、ありえないのである。

   平成二十七年四月三日
                                           古田武彦


 はじめに

 不思議な経験だった。今まで思いもしなかった世界が、私の眼前に現われた。そして現地に訪れるたびに、私の目のうつばりがとれてゆく。そういう一年になろうとしている。秋のさなかの今日だ。
 それは限りなく楽しく、限りなく苦しかった。なぜ、楽しいのか。いうまでもない。人間にとって、「未知のものを知り、未見のものを見る」、これほどの楽しみが、ほかにあろうか。私には思いつかない。
 足摺岬の岩頭で、私は明確に知った。自然界は三分法であることを。天と地と海、これだ。これが大自然のすべてなのである。
 しかるに、中国人は知らなかった。少なくとも、洛陽や西安の都人は「大海」を知らず、「天地」という二分法で、大自然を表現できる、と妄信した。知識の語り手も、聞き手の大衆も、それで異議を唱えなかった。あたかも「井の中の蛙」たちのように。
 しかし、足摺人はちがった。三列柱をもって、巨岩を構成した。あるいは天然の三列石を畏れた。それが、黒潮にのぞむ海浜・山麓に、点々とその様態の大巨石の点在する理由だった。
 思えば、記・紀(古事記・日本書紀)神話において、「三神」が海底より誕生する説話は少なくない。天照(アマテラス)・月読(ツクヨミ)・須佐之男(スサノヲ)などに“当て”られているけれど、その「縄文の母体」が、「大自然・三分法」という根本の認識に立っていたこと、この的確な古代人の認識を、私は今、ようやくにして知ることができた。恥ずべきことのみ多かった馬齢ながら、私は生あるうちに、この真実の認識を手にすることができたことを、何にも勝る喜びとしたのである。
 津軽の生んだ天才的学者、秋田孝季の記録を伝承した和田家文書のなかにも、アイヌ族の原初神として、やはり「三神」(イシカ〈天〉・ホノリ〈地〉・ガコ〈水〉)が根本であったことが明白に記されている。あらためて深く脱帽せざるをえない。
 私は一週間に一回(1)、二週問に一回(2)、あるいは一月に一回(3)、講義をする。終わったとき、思う。「次に、話すことがあるだろうか」と。語り尽くしたからだ。だが、次の回、壇上に立つとき、九〇分や二時問では語り尽くせぬテーマをかかえている。 ーー 幸せだ。
 もちろん、探究は苦しみだ。「不明の霧」への挑戦だからである。次々と妨害者たちも、立ち現われる。世の常だ。親鸞も、孔子も、そのような妨害のなかで自己をみがいた。まして、私ごときが。当然だ。
 だが、ある日、この生の終わりが来たとき、それがたとえ突発的であろうと、緩慢な終幕であろうと、私は莞爾としてその日をうけ入れるであろう。なぜなら、それはもっとも「未知なるもの」である死の世界に向かう、私の新たな探究の出立の日となること、けだしそれは、確実と思われるからである。


 (1) 昭和薬科大学(文化史・歴史学)。
 (2) 朝日カルチャー(新宿)。
 (3) ダイナース(新宿)。

 


古代は輝いていた IIIIII

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