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古田武彦 歴史の探究


古田武彦 歴史の探究1

俾弥呼ひみかの真実

ミネルヴァ書房

古田武彦[著]
古田武彦と古代史を研究する会[編]

特別掲載 「論理の導くところ」 -- 新しいシリーズに寄せて

始めの数字は、目次です。「編集にあたって」は下にあります。

【頁】【目 次】
i はしがき 古田武彦

001 第一篇 俾弥呼ひみかのふるさと

003 閑中月記 邪馬壹国の場所
016 「筑紫、正倉院」の発見
020 筑後礼賛 -- 正倉院と鬼夜
029 難波の源流
037 待望の一書
046 吉山旧記
059 金印の入口
068 飛鳥研究実験
079 日出ずる処の天子  -- 憲法論

093 第二篇 俾弥呼の時代

095 狗奴国
107 岩波文庫をめぐって
115 続・岩波文庫をめぐって
124 『週刊朝日』の「邪馬台国」論
136 続・『週刊朝日』の「邪馬台国」論

149 第三篇 真実を語る遺物・出土物

151 王仲殊説の行方
161 神の手の論証
174 神籠石こうごいし談話
186 神籠石の証明 -- 古代山城論
196 古代高度防災施設について -- 真実の出発
212 炎上実験
221 銅鐸論
231 続・銅鐸論
236 小さな名著 -- 「銅鐸と舌」と共に
243 真実の三角縁神獣鏡

255 第四篇 抹消された史実

257 転用の法隆寺
266 悲歌の真実 -- 弟橘比売おとたちばなひめ
276 柿本人麿
285 本居宣長批判
293 続・本居宣長批判

303 第五篇 もう一つの消された日本の歴史 -- 和田家文書

305 毀誉褒貶(きよほうへん) -- 和田喜八郎さんに捧ぐ
315 寛政原本の出現
321 寛政原本の内実
329 寛政原本のリトマス試験紙
338 東奥日報人にささぐ
345 寛政原本と福沢諭吉
352 知己あり、三郡誌

355 編集にあたって  -- 古田武彦と古代史を研究する会・藤沢徹

1〜9 人名・事項・地名索引

 *本書は『人麿の運命』(原書房、一九九四年)を底本とし、「はしがき」と「日本の生きた歴史(十一)」を新たに加えたものである。なお、本文中に出てくる参照ぺージには適宜修正を加えた。

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古田武彦 歴史の探究1

 俾弥呼ひみかの真実
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2013年 3月10日 初版第1刷発行

 著 者 古 田 武 彦

 発行者 杉 田 敬 三

 印刷社 江 戸 宏 介

 発行所 株式会社 ミネルヴァ書房

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© 古田武彦, 2012    共同印刷工業・兼文堂

ISBN978-4-623-06492-2

   Printed in Japan


 はしがき

 単純な真理は、一つだ。
 「公的な歴史は、そのときの権力を合法化するために造られている。」
と。学界の、いわゆる「定説」も、学校の教科書も、すべてこの一大目的を“守ろう”としているのである。当然のことだ。
 だから、たとえそれが真実の歴史に反していようとも、「当事者」たちには対応できないのである。
 たとえば、「日出ず(づ)る処の天子云々」の「名文句」は、男性の(妻をもつ)王者、多利思北孤(たりしほこ)が中国側(隋朝)に贈った「国書」の自署名である。それを眼前においている、歴史官僚(隋・唐初)の魏徴が書いた。それが隋書イ妥(たい)国伝である。第一史料だ。
 だが、わが国の教科書や学界の「定説」では、この「名文句」は女性の推古天皇の言葉とされている。「男女、同一人説」だ。聖徳太子は「摂政」であって「天子」と称することはできない。
 しかし、それらの決定的矛盾を意に介せず、明治維新以降の学界、そして公的な教科書はすべて全国民の歴史知識の基本を“狂わせ”てきたのである。もちろん、それは「天皇家中心」の政治体制を「万世一系」の名のもとに“合法化”し、「象徴」として、“美化”するためだった。
 しかしながら今、人類の歴史は、「一変」すべきときを迎えている。各国家や各宗教など、それぞれが“自家に好都合な”歴史を造り、それらに所属する人々が、一種の「知的ロボット」と化しているとき、その結果は何か。当然「絶えることなき対立」だ。そして「くりかえす戦争」以外への道はない。各集団の「頭脳」はそれに向って“造られ”てきたからである。そのような事態は避けることができるのだろうか。
 未来は、簡明である。人類が「害をなす国家体制」や「害をなす宗教体制」への依存を止め、真に、人類のための国家や人類のための宗教の「創出」に対して自信をもつこと、本気にそれを望むことだ。
 そのための真実の歴史を、迷わず、新たに求めるべきあかつきがついに来たのである。
 それが、今だ。

   平成二十四年十一月三十日

                            古田武彦


編集にあたって

古田武彦と古代史を研究する会 藤沢徹

 古田武彦と古代史を研究する会(東京古田会)は、昭和五十七年(一九八二)に発足した古田史学を支持する人々の集まりで、一番古い伝統ある会です。
 古田武彦先生は「知の巨人」であります。ミネルヴァ書房から約三十巻に及ぶラインナップで復刻出版されている「古田武彦・古代史コレクション」はその証拠です。また、同じくミネルヴァ書房の日本評伝選の『俾弥呼ひみか』(二〇一一年)は金字塔と言えます。
 どのような思考形態、学問の発想・方法論を以てこの彪大な研究を成し遂げたのか、その秘密は、日常の所感を日記ならぬ月記として書き綴った、『東京古田会ニュース』(東京古田会の隔月会員誌)の「学問論」「閑中月記」というエッセイ集に表れています.
 東京古田会は、毎号の『東京古田会ニュース』に連載されている、この「学問論」「閑中月記」(テーマは必ずしも分別されていない)を、一九九九年五月発行の第六七号から、二〇一二年一月発行の第一四二号までをテーマ別に分類・編集し、三巻本として出版できる段取りといたしました。

第一巻「俾弥呼ひみかの真実」
(銅鐸論、万葉論、東日流外三郡誌つがるそとさんぐんしなど古代史論証を集成)

第二巻「史料批判のまなざし」
(ソクラテス論や南米考古学論を収録、史料批判ひいては学問のあるべき姿勢を論じる)

第三巻「現代を読み解く歴史観」
(万世一系論、原発論などを収録、現代日本のあり方を批判する)

 そしてミネルヴァ書房は「古代史コレクション」シリーズと並んで、この三冊を皮切りに「古田武彦・歴史への探究」シリーズを発足するようになりました。
           *
古田先生の思考には三つの原点が覗えます。
 一、旧制広島高校の恩師岡田甫(はじめ)先生の、プラトン「ソクラテスの弁明」に基づく「論理の導くところへ行こうではないか。 -- たとえそれがいずこに至ろうとも」。この言葉は生涯のモットーとなっています。

 二、「本居宣長」研究の東北大学思想史学科の村岡典嗣(つねつぐ)教授の教えです。「認識されたものの認識」というドイツのアウグスト・べークのフィロロギー(文献学と訳されるが、ロゴスを愛する意で言語学も含む)方法論を信奉していたものの文献主義に偏る村岡氏を同じ方法論の実証主義の観点から批判し、論文「村岡学批判」で師の説を乗り越えました。記紀万葉はもとより、中国の魏書、三国志、後漢書さらには旧・新約聖書、トマスの福音書、ギリシャ神話などの原典を批判し、事実(考古学)の裏付けのある創造的解釈を展開しました。

 三、一九四五年(昭和二〇)八月十五日原爆投下直後に近い広島の惨状を目の当たりにした、十九歳の古田武彦青年は原水爆を絶体悪とするルサンチマンを心情深く刻み込ませました。多数決論で原爆投下の正当性を唱えるアメリカ民主主義や、戦勝国の支配する国際連合を批判する視点です。東日流外三郡誌を書いた秋田孝季(たかすえ)の言葉「法とは勝者の利益のため敗けた方に押し付けたもの」「いずれの土地でも民族のものではない。人は移り行くもの」なり。この思想に共鳴し、偽書説を否定するのは当然であります。

     ※

「古田武彦・歴史への探究」シリーズは、このような古田先生の歴史観・志(こころざし)をやさしく理解できるものです。先生の本をすでに読まれた方、歴史に興味を持たれた方、すべての真実を愛する方にお薦めいたします。


「論理の導くところ」 -- 新しいシリーズに寄せて

 青年の日、わたしは聞いた。「論理の導くところへ行こうではないか。たとえそれがいかなるところに到ろうとも。」と。この一言がわたしの生涯を決定した。
 ところは、広島。あの原爆投下の前、一九四三年(昭和十八)、皆実町の旧制広島高校の教室の中である。
 岡田甫(はじめ)先生はこの一言を、黒板一杯に大きく書かれた。そしてコツコツと生徒の席の間をゆっくりと歩いてゆき、わたしたちに問いかけた。「この中で、一番大事なところはどこか、分るかい。」みんな、沈黙していた。先生は、その沈黙を見定めるようにして言葉を継がれた。「たとえそれがいかなるところに到ろうとも、だよ。」と。そのときは、もとの教壇へ帰っていた。その黒板の最後には、「ソクラテス」と書かれている。
 後日、調べてみたけれど、プラトン全集には、直接このままの表現はなかった。先生が全集の中の師弟の対話篇の中から、その真髄を趣意された。まとめたのである。それはどこか。もちろん、あの『ソクラテスの弁明』だ。わたしの生涯の、無上の愛読書である。
 だから、一冊の本から「抜き書き」して引用したのではない。己がいのちを懸けて、真実を未来の人類に向けて静かに語りかけて、ためらうことなく死刑の判決を受け入れて死んでいった、そのソクラテスの精神を、右の一言として表現したのであった。
 やがて広島を襲った、一九四五年の原爆も、この一言から脱れることはできなかった。誰が投下したのか。誰が被害を受けたのか。彼等が人類の悠大な歴史の中で下される、真実の審判は何か。ソクラテスはすでにそれを見通していた。未来の人類に警告したのだ。
 それはわたしの生涯をも決定した。学問のありかたをハッキリとしめしたのである。いかなる地上の権力も、「時」の前では空しいのである。それは倫理(「道義」と改称)の一時間の教育、忘れることができない。
      二〇一三年一月
                    古田武彦


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