みかさの山にいでし月かも??
京都市 古賀達也
十月三日、関西例会の一同は古田先生とともに平城宮月見の会を行った。当企画の発端は安倍仲麿の歌「天の原ふりさけ見れば春日
なるみかさの山にいでし月かも」にある様に御蓋の山から本当に月が出るのかを現地調査することにあった。台風の影響で天候が心配されていたが、当日は見事に晴れた。
一行十一名は車三台に分乗し、三笠山とも呼ばれていた若草山をまず北から眺め、山頂へ向かう。鹿と一緒に記念撮影などしながら南側にある御蓋(みかさ)山を見る。若草山よりも低い山だ。とても月はここから出そうもない。この山は春日大社の神域で、神がここに降りたという伝承を持つ。次いで、御蓋山の麓にある奈良写真美術館へ。ここに若草山から月が出ている写真が展示してある。ただしかなり南西の薬師寺から撮ったものだ。
そして午後四時、四月に再建されたばかりの真新しい朱雀門前で、月見団子を食べながら月の出を待つこと約一時間。雲が出てきた為、月の見えるのが遅れたのだ。なんと月は若草山よりだいぶ南側の高円山付近から出てきたようだった。予想通り、みかさの山(若草山でも御蓋山でも)から月は出ていない。もっとも御蓋山は低すぎて、後方の春日山系と区別がつかないが。
となると仲麿が見た月はどこのみかさ山だったのか。筑前太宰府にある宝満山は御笠山とも呼ばれ、近くには春日市もある。このみかさ山なら、太宰府から見れば月が出るはずだ。古田先生が出された仮説、安倍仲麿九州出身説を検証するために、太宰府近辺在住会員の現地調査報告が待たれる。
「遣唐使船に乗った安倍仲麿が壱岐の天の原沖を通過。筑紫を振り返った仲麿の目に映ったのは故郷の春日なる御笠山から出た月だった。」臨場観あふれる古田先生の新解釈は通説(奈良の御蓋山とする)よりも遥かに説得力がありそうだ。朱雀門近くの「天府の国」で四川料理を堪能した一行は、天高く上った十三夜の月を観賞し、解散した。
これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』第一集〜第四集(新泉社)、『古代に真実を求めて』(明石書店)第一〜六集が適当です。
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