和田家文書の中の新発見(『新・古代学』第2集 特集和田家文書の検証)
五所川原市 和田喜八郎
坂東より東北への国土を古代民に依って既称されていた「日本国」ということは、中国の古代史書『旧唐書』『新唐書』に著述されている。
大陸の西南より極北東に遺る民族文化圏はオホーツク文化、アムール文化、トカレフ文化、コリヤーク文化が古層に埋もれている。極北の寒冷地まで居住分布を拡げた民族には、ギリヤーク民族、コリヤーク民族、ブリヤート民族、カムチャダール民族、エスキモー民族らはいづれも黄色肌にして、誕生の時に蒙古斑を背尻に生まれたアジア民族で、祖先を同じくする血統にある。
故地より移住はしても、地語風習があり、新天地に集団移住して、一族の絆を睦むのが言語であった。ウラル語、チュルク語、シキタイ語、シュメール語、チャイナ語などを各々民族の象徴としてシベリアから極北東に広く定住する民族は、ユガギール族、エブエンキ族、エブエン族、ネギダール族、ウリチ族、
オロチ族、ウデヘ族、ナナイ族、ウイルタ族、 チュクチ族、イテリメン族、アイヌ族らが現代も生存している。この民族は故地に黄土嵐や、戦乱を脱して新天地に安住を求めて定着したものであり、衣食住は新地に馴れむものの、信仰や民族伝統は故地の仕来に護持されていた。
やがて民族は相互に国を併せるようになって、自然に言語も混成して、更に交じりを求めて拡域に渡り、更に新天地を求めて移動し、ベーリング海峡からアラスカ、北米からパナマ地峡を南米に渡り、マゼラン海峡までも民族居住の域を拡げて現在に至っている。
この先住になる原住民は、いづれも黄色人であり、地球上に人の子孫を遺した先駆は、モンゴロイドであることを知るべきである。わが東北日本国も、古代人祖はモンゴロイドであることはいうまでもない。
西南から東北に列島するわが国は、海幸と山幸に人の移住とその定着繁殖に満ちて、衣食住の商易に求めて、海を路とした海外の民族と交流が盛んになり、くらしの知徳を得た。
直接な大陸文化を衣食住に及ぼして、民族集団の産業が国造りとなり、古代王国が誕生したのも、「日本国中央」とされた東日流にその痕跡が縄文時代から備わっていたことは、『東日流外三郡誌』という文献に遺されていたが、これを昭和四十九年に編修し、翌年に市浦村より村史の資料編として発刊されたが、怱ちにして全国に話題となり、発掘調査が盛んになり、この文献に既述されている要地からその遺跡が続々と発見された。
その代表的なものには、中里町藤枝遺跡から、語部文字が彫られた土器や、田舎館遺跡では古代稲作の稲田、縄文人の足跡、そして三内丸山遺跡の発掘では、旧来考古学の通説を覆すほどの遺構が発掘された。まさにこれは縄文王国の発祥地ともいうべく考古学界に不動の新風を位置づけたものであったことはいうまでもない事実だった。これはいづれも、『東日流外三郡誌』が既刊されたあとの裏付けでもある。
だが、これを既述していた『東日流外三郡誌』に「偽書論」を登場させたアマチュアの物書で、松田弘洲という者が『東日流外三郡誌の謎』(あすなろ舎)より出版した。これに一般の人々は注目し、飛ぶように売れ、味を占めた松田氏はなりふりかまはず、原本所持者を人格攻撃して更に続版した。これに便乗した者に、産能大学教授安本美典氏がいた。九州の野村というものは、原本所持者を裁判に提訴するかたはら、新聞や週刊誌のマスメディアに偽書論をキャンペーンして安本氏が編集長となり、『季刊邪馬台国』(梓書院)より矢継ぎ早に出版した。
裁判に於ても第一審から最高裁まで、山なすほどの陳述証書を提出して、偽書論を決定付けようとした彼等の目算は、最高裁の判決では敗訴となり、私としても勝訴はしたものの、忿怒やるかたのない心境が今も離れない。かかる断腸の想いを晴らすためにも、原本のすべてを学界機関に科学調査を願って、不動のものとしたい。既にして昭和薬科大学教授にあった古田武彦先生が在官当時に一部の調査を依頼した結果は発表されている。然るに残る一万三千冊余の原本の全貌を先生に依頼する心算でいる。これこそが偽書論者への報復でもあり、歴史の実相を世に示す不動の文献となるのだ。
松田弘洲という偽書論者は死亡したと聞いているが、彼もあはれな足引の悪輩である。安本美典もまた自己讃美の他に、学文の道にそれた凡夫であり、私を裁判に提訴した野村も然りである。
私は祖先より、全能の神である古代神、荒覇吐神を崇拝することに依って、いかなる困難にも救われて来た。常にして神に祈る一途には「安心立命は天命に安ずる」という他に、救いを祈ったことは毛頭もない。それが祖先以来、安倍一族から託された神爾である。誰一人私を信じるものがなくとも、全能の神である荒羅覇吐神は、万天の宇宙であり、森羅万象の地水が神の相である限り、私はただ、天と地と水に三礼し、四方に四拍して祖来の祭文である「アラハバキ、イシカ、ホノリ、ガコカムイ」と称へるだけである。わが一生に荒羅覇吐神社の聖地石塔山を再興して安倍一族を菩提し、その末胤である安倍晋太郎先生や、秋田一季先生との親交を得られたことは、神の思召であると合掌している毎日です。
さて、今年例祭のとき仙台の古田史学会の方々が参拝にきて下さった。裁判以来三度も神社の宝物が盗難にあって、莫大な損失を被っているが、犯人はいまだに捕まっていないが、警察では捜査の大詰に迫っている。盗むという人の心境ははかり難いが、必ず悪運の尽きる日がくるものと神懸けているが、盗まれた神像や仏像は案ぜられてならない。依って今では神社に宝物を常在せず、祭事のときだけいくつか展示することとなり、でき得れば収蔵館を建立して一般に公開するというのが私の希望するところである。だが私も老いて、私を知る多くの友は死亡し、私も命の限りが残り少ない。望みを捨てたわけではないが、叶うか叶はざるかは神の思召すところであり、やれるところまではつらぬきたい信念でいる。資料にはまだまだ大切な宝物があり、思い切って一部を売却しても遺す保存史料館がほしい。
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その以前にも、三内丸山の遺跡に『東日流外三郡誌』をこれに併せて「世界ふしぎ発見」に放映して好評を得たが、次の同番組で、『東日流外三郡誌』は偽書であるという先番組をわざわざコメントにして報じたことに、古田先生が文書を以てそのコメントに対して意見を申し述べたが何の明確な返事もなかった。
裁判は勝訴しても、偽書論の傷は深いところに潜在している。古田史学会の反論も、彼らにとっては、蛙の水に受流しのようである。
これからは原書を出版に当たっても、よく吟味してかからねばならぬと想いを込めて、残る一万三千冊の文献を公開する心算でいる。明治から大正、そして昭和初期に再書されたものはともかく、寛政年代の原本は、大事にそのままの文行で出版してほしいものであり、古田先生にはまだまだ健康でいてもらいたい。
一九九八年十二月五日
これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』第一集〜第四集(新泉社)、『古代に真実を求めて』(明石書店)第一〜六集が適当です。
(全国の主要な公立図書館に御座います。)
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