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『古代に真実を求めて』
(明石書店)第十集
古田武彦講演 「万世一系」の史料批判 -- 九州年号の確定と古賀新理論の(出雲)の展望
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「万世一系」の史料批判
古田武彦
〈まえがき〉
1.最近、皇位継承をめぐる論議がさかんである。テレビや新聞・雑誌等に各氏の各論が掲載されている。
2.わたし自身は「皇位継承」自体については、これに「関与」ないし「介入」する意思は全くない。
3.ただそこで使用されている用語は、学問上、全く事実と道理に反している。いわく「万世一系」、いわく「女系天皇」等。
4.近来政治家や新聞記者・評論家・学者などが、これらについて「あやまった概念」に立って述べている。よって明確にこれを記すこととする。
〈本文〉
第一、「万世一系」という言葉は、古事記・日本書紀にはない。明治維新以降「強調」されはじめた言葉である。これは「神武以来」ではなく、「天照大神以来」の意だ。なぜなら教育勅語の冒頭に「我が皇祖皇宗」とあるけれど、この「皇祖」とは日本書紀の神武紀に、神武天皇が「皇祖・天神」を祭った、と述べられている、その言葉だ。神武天皇が“自分”を祭る道理はない。天照大神なのである。これをうけた「万世一系」を「神武以来」などと、ゆがめ解するのは不当だ。例の「天孫降臨」の神勅がわが国の皇統の「万世一系」の証拠とされた。これを肯定するにせよ否定するにせよ、事実を曲げることは不可である。
第二、言うまでもなく、天照大神は女性である。「夫」は高木神。高木神は「吉武高木」(福岡市)の「高木」。九州在地の神だったようである。ともあれ、高木神ではなく、天照大神を今も伊勢神宮に祭る天皇家が、「大いなる女系の王家」であること、天下に隠れもない事実である。現代の男系主義のイデオロギーのために「古来の伝統」を無視あるいは軽視することは不可である。明治国家はみずからの男性主義のために、この基本の道理を無視することはなかった。
第三、現代の男系天皇主義者は「天照・神武、共に造作」説の津田左右吉の説のあとで、一方の「天照神話」は切り捨て、他方の「神武天皇・第一代」は採り上げる。御都合主義という他はない。(わたしはいずれも、史実と見なしている。)
第四、継体天皇の問題。応神五世(或は六世)の孫とされている。記・紀は「血族国家」観に立つ。全国の豪族の八八パーセント(古事記。日本書紀は四五パーセント。梅沢伊勢三氏による)が「皇系」すなわち「天皇の何代かの孫」とされている。継体天皇は、その中の一人なのである。これで「男系の継続」と称するなら、桓武天皇の子孫の平清盛や清和天皇の子孫の源頼朝が「天皇」になってもO・K。そうなってしまう。笑止である。いずれの国の王家にも、戦乱や変動はある。わが国にも、それがあった。それだけのことなのである。「万世一系」とか「男系天皇」とか“りくつ”をつけはじめると、かえって世界の心ある人々から「?」を抱かれることとなろう。(欽明天皇の生母は武烈天皇の姉で女系。宣化天皇・安閑天皇の生母は尾張の豪族の娘。父はいずれも継体天皇である)。
第五、明治以降は「男子天皇」の立場となった。その理由は明白である。「江戸幕府の将軍を模倣した」からだ。将軍は代々男性。そして男系。これは「明治の常識」だった。勤皇の志士たちは、記・紀には精しくなくても、右の常識は万人周知だったのである。その将軍に代って、全軍を統率する「大元帥陛下」であるから、「男子」以外にはありえなかった。——「明治の天皇制は、古代ではなく、徳川幕府の模倣」これが明治体制のもつ歴史的な姿、その率直な事実に他ならない。
第六、不可欠の反対概念がある。九州王朝説だ。「七〇一」以前が、その時代。天皇家はこれ以降、との立場である。今は学界の定説となった「郡と評」の分岐点。それが「七〇一」だ。そのとき、必ず「廃評立郡」の詔勅が出たはずだ。だが、日本書紀にも、続日本紀にも、それがない。なぜか。ここに「九州王朝」説のリアリティ(真実性)が、しっかりと顔をのぞかせている。 この「九州王朝」説は、明治から敗戦までは「許容」されなかった。政治的に「排除」されていたのである。もちろん、わたしはこれを歴史的真実として真摯に主張している。けれども「学問上の応答」なしにこれを政治的に「排除」しなければ「万世一系の天皇家」というような“超越的”な言葉は成り立ちえない。それは「生物的概念」ではない。“常に政治上の中心権威者であった”という政治的概念だからである。純粋に「生物的概念」ならば万人とも「万世一系」である。やがて「九州王朝説を唱える者は非国民」と言われよう。——学問の自由の死滅である。
第七、今、人あって「万世一系」や「女系天皇」といった「非・歴史的な概念」をもてあそぶならば、必ず外国の識者から「軍部統率の大元帥陛下への復活の野望」の声が大きくあがるのを、おそらくとどめがたいであろう。事実、“外国の王家とはちがう、日本の天皇家”とか、“万邦無比の特異性”を唱えはじめているからだ。ウルトラ・ナショナリズムへの道である。
第八、最後に言う。現実の「皇位継承」いかに。これにはわたしは関心がない。ただ願わくは、皇室内部の女性に“圧力とストレスを与えぬ制度”それを祈るだけである。しかし「歴史の真実の圧殺」に対しては断固、死を賭しても戦わねばならぬ。なぜなら再び日本国民の不幸を、確実に、かって以上に、招きよせるべき重要な因子だからである。
それ以外に、何の他意も、わたしにはない。
ニ〇〇六、二月六日 暁天記了
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