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古田武彦の古代史再発見第1回 卑弥呼(ひみか)と黒塚 1998年9月20日(日)
          大阪豊中市立生活情報センター くらしかん

質問 銅鏡百枚 鏡の用途 卑弥呼の呼び名

古代史再発見第1回

卑弥呼と黒塚 6

-- 方法

古田武彦

質問

 どうかご遠慮なく、なんでも質問して下さい。わたしは何を聞かれても困らない。何を生意気を言うかと言われるでしょうが、ぜんぜん生意気ではありません。聞かれて知らない場合は、「知りません。」と答えますので、なにを聞かれても困らない。当たり前でしょうが知っていることだけを答える。そういう立場を厳守しています。また「こんな幼稚なことを聞いて笑われるのでは。」と思われる方がいますが、そんなことは全くご心配にならずに何でも質問して下さい。わたしは偉そうに言っていますが頭が固いので、半歩前進させて頂くのは、そのような質問が、わたしを導いて頂いています。その場で回答できるかは別にして、遠慮なく御質問下さい。


質問一 銅鏡百枚
 『倭人伝』では「銅鏡百枚」と載っていますが、三角縁神獣鏡でないとなると、先生のお考えではどのような鏡か。

(回答)
 『倭人伝』では銅の鏡であるということしか分からない。それから「百枚」という非常に多様であるということぐらいしか分からない。さらに分かるとすれば卑弥呼のほうは、お化粧道具でなく太陽信仰のお祭りの道具等の目的をもって要求したのであろう。そういうことまでは分かる。しかし『倭人伝』では鏡の種類は書いていないので分からないというのが正解です。それに対してここで答えが分かる。つまり『三国志』を書いた陳寿と同じ時期に死んだ人が持っていた鏡が発掘されて出てきた。洛陽の西晋の墓から出てきたのは前漢式鏡もしくは後漢式鏡である。そうすると卑弥呼の貰った「銅鏡百枚」の鏡は前漢式鏡・後漢式鏡ではないか。前漢式鏡・後漢式鏡が出てくるのは、今の糸島・博多湾岸、これが基本的に中心です。


質問二 鏡の用途
 私は中学生時代から三角縁神獣鏡を写真でしか見たことがありません。前漢式鏡・後漢式鏡のことは知りませんでした。それでは前漢式鏡・後漢式鏡がなぜコピーされなかったのか。百枚も頂いたなら、それをもっとコピーして鋳型にとって、ばら撒くけばもっと権威が上がったのではないか。どうなのでしょうか。

(回答)
 実に良いところを質問して頂きました。時間の関係で省略したところを質問して頂きました。

 まず三角縁神獣鏡というものは日本側にとって非常に有効である。まず最初にそのことを申し上げたい。

昭和二十八年椿井大塚古墳発掘調査報告書
(発行京都府山城町一九九八年三月)

 椿井大塚古墳の報告書を見て下さい。京都府山城町の町起こしの目的で作られた報告書です。昭和二十八年に発掘された古墳の正式の報告書が、やっと一九九八年に作られた。
 その報告書の鏡の断面図をご覧下さい。上の三つは三角縁神獣鏡ではない。それから下は三角縁神獣鏡です。断面から見ると明らかに三角縁になっています。
 この場合よく御覧下さい。真中にひもを通す鈕という穴があります。文字は「紐」の字に糸編を金偏にしたもので、「ちゅう」と言います。この鏡を重ねて納めるとします。重ねるとき、平縁だったらその鈕があると重ねる時、重ねにくいと思いませんか。真ん中が突き出していて平らでは、縁がなければ反っていないと重ねにくいですね。全く反っていなくても収納するとき布で包みますから縁が有れば重ねやすい。加えて三角縁があると重ねやすい。日本人は重ねるのが得意である。収納するときはどうしても重ねた方がよいと思いませんか。銅鐸だって重ねてある。中国などの場合は姿見だから、たくさんいらないから重ねる必要はない。しかし日本の場合は太陽信仰の祭祀に使うから、多ければ多いほど盛大な儀式になる。たくさん有った方がよい。たくさん現場で使う。現場で使う時は広げて使いますが、終わると広げて収納するわけにはいかない。重ねて収納したほうが都合がよい。三角縁だとその方が都合がよい。効率からいって間違いない。今までそういう見地から三角縁を論ぜられていた形跡がないのが不思議である。小学生でも聞けばそう思うと答えると思いますが。
 重ねるだけではない。今言ったように太陽信仰の祭祀に使う場合、野外で写すのは人間の顔でなく太陽の顔である。そうすると台に置いても平縁よりも三角縁の方が安定している。布を敷いても同じである。いわんや古墳の木等に吊るして、太陽が昇ってくるのを反射させるときは、三角縁の方が固定するのに都合がよい。中国の部屋の中で使う場合は姿見だからそのような心配はない。壁に掛けて使っても良い。仕舞うときは箱に入れて収納すればよい。それで収まる。日本の場合、平縁よりも三角縁の方が安定している。 そういう問題もある。
 さらにより重要な問題は、中国の場合は直径一五、六センチの大きさが大部分である。二二、三センチの大きさの鏡は一部である。日本の場合は二二、三センチの大きさが普通である。黒塚の場合も同じである。平原もそうである。平原の場合は特に大きな鏡がある。これはどういうことを意味するか。
 皆さんは展覧会場で御覧になるが、あまり手にとって御覧になったことはないと思います。女性の方が、姿見としてお使いになるのは鈕に紐が付いてある。そこへ指を二、三本通して、他方の手で櫛を持つかたちとなる。一五、六センチなら片手で持てるが、二二、三センチの大きさでは難しい。だから姿見の小間物の実用品としては、一五、六センチ。お墓から出てくるのは圧倒的にそういうものである。だからそれでは中国でも、二二、三センチの大きさの物はあるのかと言いますと、二、三割程度はある。私の考えでは中国でも壁にかけて使う場合、そのほうが都合がよい。面積が広いから。机などにかけ、少し離れて見る場合などは大きい方が便利である。その鏡が、御本人の部屋にあったから一緒に葬ってあげましょうとなる。ところが日本の場合は日本の場合は二二、三センチの大きさが普通である。それでは部屋の中ばかりで使ったのかというと、そうではなくて太陽信仰の道具に使うから、より大きい方が意味がある。多数の民衆を対象に反射させる。そういう祭祀に使った。

 ついでながら蒲生君平が言った前方後円墳。前方後円墳というが、前、後ろと言うのは、あれは間違っている、逆であるということが判っていますので、方台付き円墳という方が正しい。あるいは後台付円墳というべきです。前方後円墳という言葉を使いますと、これも韓国へ行って、「日本のほうでは前方後円墳と言っているが、あれはとんでもない間違いである。」と言われます。現に韓国の博物館ではそういう解説が付いてある。我々の方は蒲生君平以来の口調で慣れて言っているだけであるが、韓国側は知っている。韓国側に「独りよがりで駄目である。」と批判されている。とにかく方台付円墳とか、方円墳という方が正確である。それでは、なぜ台が出てきたかというと、わたしは鏡を使っての儀式が、台の上で行われたと考える。その場合平地で鏡を使う場合と、台の上で鏡を使う場合とは、太陽の反射の領域が幾何学的に広がる。ぜんぜん違う。台が高くなるほど、多くの民衆を集めて反射させ幻惑させる。それで台が上にあがったと基本的に理解しています。

 こういうことで三角縁神獣鏡は、基本的に国産で作られ、実際に台の上で使う場合や収納する場合という日本の実用に応じて作られた鏡である。
 ただしこの鏡を作るノウハウは中国自身にあった。中国の場合は縁は画像鏡だけしかない。画像鏡というのは将軍が遠征して手柄を立てて帰ってきた。その遠征の姿を刻んで作った物である。その鏡を部屋に飾って悦に入っている。そういう類の物である。そういう場合額縁を考えてみて下さい。絵が問題だから縁はいらんよと言うかもしれないが、縁がある方が格好がよい。額が欲しくて三角縁を付けている。中国の場合三角縁はそういう目的を持っている。中国から来た工人は当然そのノウハウを知っている。それを日本の実用に応じて工夫して三角縁神獣鏡というスタイルを考えた。

 それと先ほどの質問の中で、一番大事なことをお聞きになった。それは中国から前漢式鏡・後漢式鏡を貰った。それと同じ物を作れば良いではないか。なぜ違った物を作ったのか。先ほどの説明で機能的によいと説明しましたが、実はもう一つ有る。例が、実はこの「壹」の字である。わたしがこの紹煕本「壹」の字のように最後を跳ねている。この最後の「跳ね」が大事である。最後の「足跳ね」は、オリジナルと同じ物を作るとけしからんよと言われないように付けたものである。

 これと同様に前漢式鏡・後漢式鏡と同じ物を作るとけしからんと言われる。ところが三角縁のような物は中国にない。そのない物にしたほうが、咎められることはない。鏡を作るということ自身は同じだが、鏡を作ること迄、駄目だと言わないだろう。それで三角縁を入れた特異のスタイルで鏡を作った。中国に対してだけでなく、中国とそっくりさんを作っていた、糸島・博多湾岸の本家王朝に対して、盗作ではありませんよ。そう主張している。それはわたしの想像です。もちろん機能的な話は、想像にしても誰がやってみても同じである。重ねるとき平縁より三角縁の方が都合がよい。屋外で木に吊るすとき固定するのに都合がよい。五〇センチもある平原の物は手に持って吊るせるはずもありませんが、二三センチもあるもの、あれは重いですよ。わたしは大阪府柏原市国分神社から出てきた三角縁神獣鏡で一番鋳上がりがよい、最も優良な海東鏡を大阪市立博物館で見せていただいたとき、抱えて持ったことがございます。まあ重いです。「・・・至海東」と書いてあり、『ここに古代王朝ありき』(朝日新聞社絶版)で表紙に使わせて頂いた鏡ですが。最近はそっくりの鏡を作られた方もいると聞いていますので、博物館などで手にとって確かめる機会があると思います。
 以上現在そう考えています。


質問三 卑弥呼の呼び名

 先ほどの鏡の件ですが、日本の鏡はほとんど凸面鏡ですが、これを姿見と考えた場合凸面ではちょっと姿がゆがみ問題だと思います、姿見にするのなら平面だと思いますが。また西晋中国で出てきた鏡は、前漢式鏡・後漢式鏡の表の形状は凸面でしょうか、どのような形状をして、また写っているのでしょうか。
 それと地名と神名が日本の古い言葉そのままだと一般的に考えられていますが、『魏志倭人伝』の中で有名な女王「卑弥呼」の呼び方、一般的に「ひみこ」と呼ばれていますが、先生は「ひみか」と発音されていますが、どのように考えられていますか。また気になるのは「難升米」という人物の呼び方をどう呼ぶか教えていただきたい。

(回答) 
 中国の鏡は写して見たことがありますが、非常に良く写ります。姿見として非常に良く使えます。前漢式鏡・後漢式は全て表は良く写ります。それと違うのは多丑細文鏡です。吉武高木遺跡から出てきたわたしが朝鮮系と思う鏡です。これは逆で凹面です。前漢式鏡、後漢式鏡、三角縁神獣鏡は全て凸です。文字やデザインは裏です。本当の表は下になって見えない。先ほど言いました海東鏡も表はきちんと写ります。
 つぎに卑弥呼の問題ですが、「卑(ひ)」と「弥(み)」については、従来の見解通り問題はない。問題はこの字「呼」をどう読むかです。なぜかと言いますと、別のところに「狗」という字がありますが、対海国・一大国の長官の名前に、私の名前の武彦の「卑狗(ひこ)」が使われています。つまり、ここに「狗(こ)」という字が使われています。
 そうすると気まぐれで、「呼」と書いたり、「狗」と書いたりしていることになる。しかしわたしはピンと来ない。『倭人伝』というのは、基本的に一語一音だと思う。例外と言うか、そうでないケースもあるんですが、それには理由があるので、理由を別に考えなければならない。それがわたしの立場です。
 それで問題は何かというと、この字「呼」には音が二つある。「呼(こ)」という音の時、意味は呼吸です。「呼(こ)」は息を吸ったり吐いたりする意味です。ところがもう一つの「呼(か)」という音の意味は、どう使われるかと言いますと、「犠牲に付ける傷」を「呼(か)」と言う。そういう特殊な用法です。「犠牲」というのは生贄、神様に牛とか豚とかを捧げますが、この場合はただ捧げるのではなく傷を付けて捧げる。そういう習慣になっている。そういう傷を「呼(か)」と言う。変な話をするのですが、わたしがおりました昭和薬科大学のある教授が、講座の学生を集めて家の庭で野外パーティを行った。そこで子豚をまるごと買ってきて焼いて、みんなでビールでも飲もうとした。しかしまんまと大失敗した。子豚を外は焼けて焼けて黒こげになるまで焼いたが、切ってみたら中は生煮えで、結局食えなかった。この場合、傷を付けないといけないようだ。ソーセージでも傷を付けてあるのだから子豚でもかなり厚い皮膚がある。いきなり焼いても、外は焼けても中は焼けない。中を焼くためには、いっぱい傷を付けなければ火は通らないと思う。西部劇のシーンでもよく見ますが、遠くから見ているだけで良く分からないが、やはりノウハウがあるのでしょうね。そういうことをお聞きしたが、神様に捧げる時、ただ捧げたら神様は困るだろう。犠牲に、傷を付けて 神様が食べられるようにして捧げる。この場合人間の都合の良い 一人勝手な理屈ですが、とにかく犠牲に、傷を付けて神様に捧げる。その事自身は想像ではなくて間違いではない。かつ文献にも出ている。その傷のことを「呼(か)」と発音する。
 この場合、この字が出てきたら、「こ」か「か」か、どちらの発音か、悩む必要がある。そうであれば「狗(こ)」は先に使ってあるから「呼(か)」の方となる。大体「こ」でも「か」でも、表す漢字は たくさんある。だからこの場合なにを使うかと問題は、音の問題ではなく、意味の問題である。ですから『倭人伝』では卑弥呼は「鬼道能惑衆」と書いて有るとおり宗教的な女王と書いてある。そうすると同じ「か」の中でも「呼(か)」の方がふさわしい。だから、わたしは、ここは卑弥呼(ひみか)と読む。従来の卑弥呼(ひみこ)という読み方は、江戸時代やその前の段階、史料批判など考えたことのない段階に、天照大神と同じ「日の巫女(ひのみこ)」であろう。誰かがそう考えて読んだ。またみんながそう読み伝えてきた。解読の論理から考えて、こういう理由で「私は卑弥呼(ひみこ)」と読む。そういう論文や議論したものを、わたしは見たことがない。「邪馬台国」と同じで慣例で読んでいる。わたしの解読の判断から言うと「ひみか」である。
 それでは「ひみか」とは何か。「瓶(かめ)」のことを「甕(みか)」という。わたしは実体は変わらないと思う。「み」というのは尊敬の敬語です。煮炊きする物を「瓶(かめ)」と言い、神様に捧げるお酒や清らかな水、それを入れる物を「甕(みか)」という。実体は変わらないですが、神様用を「甕(みか)」という。敬語を付けている。日用品の「瓶(かめ)」の方は、「か」だけでは言いにくいので、「め」という接尾語を付けた。実体は「か」という土器を指すみたいです。「瓦」の「か」でしょう。「甕(みか)」というのは煮炊きをするわけではない。遺体を葬るのに、やはり煮炊きするのではなくて、神様に捧げる神聖な水を入れる「甕(みか)」という容器に、そこに遺体を入れる。そして亡くなった人が永遠に再び生まれ変わることを願う。そういうマジックだと思う。だから私は甕棺でなく、甕棺が良い。そう考えます。甕棺というのは、明治あたりの考古学者が今言った内容を考えずに瓶(かめ)の格好をしているから付けた名前です。それを習い覚えて、お師匠さんの言葉を使っているだけです。それでは遺体は煮炊きするのですか。そう言いますと、そんなことは誰も考えていないと言うに決まっている。だからわたしは正確には「甕棺」と呼ぶのが正しいと考えています。
 そうすると、神様に捧げる神聖な土器としての「甕(みか)」、それに太陽の日(ひ)ということで、卑弥呼(ひみか)という名前だと考えています。
 次の難升米(なんしょうまい なしめ)は、わたしはまだ決めていません。あの『「邪馬台国」はなかった』を書いた段階では分からなかった。下手な読みをしてはいけないと思って書かなかった。大学も退職し、毎日日曜日なので、読めるところがあれば、もう一度読んでみたい。読めなければ読めないでよいが、こういう理由で、現在の立場で、こう読めると考えてみたい。現在のわたしの宿題でございます。
 (終わり)


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