『なかった ーー真実の歴史学』第四号 へ

序言 中言 末言  古田武彦   2008年 2月10日

序 言   古田武彦


 昭和天皇の教科書を読んだことがある。白鳥庫吉による、丹念に書かれた少年用帝王学の国史版である。そのなかの一頁に至って仰天した。そこには「白村江の敗戦」が書かれていた。短文だが、的確だった(『日本歴史上・下』勉誠出版、平成十二年)。
 一方、戦時中の国民用の歴史の教科書では、日本に敗戦の歴史はないことになっていた。「わが国は、かつて負けたことがない不敗だった」。政府も、教科書も、ジャーナリズムも、口を揃えていた。肝心の昭和天皇の教科書を除いて。これが公的歴史の姿だった。 ーー果たして今は。


中 言


 現在の日本の教科書には、九州王朝の存在はない。「日出ずる処の天子」の一節の直前にある「阿蘇山有り」の一文は「削られて」いる。明らかに太宰府と筑後川流域を囲む神籠石群、日本列島の中の「千里の長城」、その図も一切除かれている。
 平成の天皇は、九州王朝の存在を「御存知」か。宮内庁の書陵部に、わたしの歴史観の深い理解者(東北大学出身)もいたから、おそらく「関知」されているかもしれない。しかし教科書にその存在はない。
 わたしの説は「削除」し、それを相手にしなくてもいい。そういう、品格なきルールが学界の「鉄則」であるかのようだ。だから「反論」もない。菊の霧に隠れていたから、明治以降、それが「公的に」許容されてきたのである。
 そのような国家は、はっきり言おう。永続きできない。「君が代」を幾億回、国民に歌わせてみても、一切無駄だ。歴史の女神は峻厳であり、一「国家」の美しからぬ虚偽を許しはしないからである。


 末 言


 竹藪の小道を歩く。昨夜の雷雨で酷暑も去った。さわやかな秋の訪れだ。わたしは幾たびこのような夏を、そして秋をむかえるだろう。それもやがて終ろう。
 しかし、一人のささやかな人間の生涯は、秋の露のしずくのように消え去りはしても、人間の手で明らかにされた、歴史の真実の太陽の消え去る日はついにない。

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  予告
  東日流〔内・外〕三郡誌
ーーついに出現、幻の寛政原本ーー
古田武彦・竹田侑子編
予価四五〇〇円 二〇〇八年三月刊行
株式会社オンブック(電話〇三ー三七一九ー八六一四)
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