『古代に真実を求めて』第十一集


巻頭言

 会員論集・第十一集発刊に当たって

古田史学の会代表 水野孝夫

 「古田史学の会」は一九九四年に発足した会です。十四年目を迎えました。会の目的は会則第二条に記載されています。

 本会は、古田武彦氏の研究活動を支援し、旧来の一元通念を否定した氏の多元史観に基づいて歴史研究を行い、もって古田史学の継承と発展、顕彰、ならびに会員相互の親睦をはかることを目的とする。

 定期的な情報として発行する、会員論集「古代に真実を求めて」はここに第十一集を迎え、会員用のニュース紙として発行する、「古田史学会報」(年六回)は、こちらも八十四号を発行しました。古田武彦氏の新しい研究や講演内容もあれば、それに刺激された会員の研究成果などが、絶えず掲載されています。これらの情報の一部はインターネットのホームページ「新・古代学の扉」(アドレスは巻末参照)にも発表されています。古田武彦氏の言説に関心のある方々のご利用をお待ちします。

 古田武彦氏は昭和四十七年の著書『「邪馬台国」はなかった』以来、定説を否定する驚くべき古代史像を世間に提供してこられました。三国志のすべての写本に「邪馬臺国」と書いたものはなく、「邪馬壹(または一)国」であり、後代の文献に「邪馬臺国」とあるからといって、「壹は臺の誤り」とする根拠にはならないとする氏の説は、これを当然とする、われわれの会の原点であります。この目で見てゆくと、後代の学者の考えで原典の文字を勝手に変えた例が歴史資料に多いことに驚かされます。

 平成十九年は古田武彦氏の学問にとって画期的なテーマが次々に登場しました。
 青森県に伝わる『東日流外三郡誌』をはじめとする「和田家文書」の「寛政原本」(寛政時代に書かれたもの)と思われるものが次々に発見されたこと、『三国志』に記載された「裸国・黒歯国」にあたると思われるエクアドル訪問により、九州と共通する甕棺や黒曜石を認識し現地の人々と交流を持ったこと、などです。
 古田説では三世紀は「邪馬壹国は九州」「その後身は九州王朝」、つまり「中国の王朝から認められた日本列島の代表者」は「九州に居た」ので、八世紀初頭に周(唐)の則天皇帝から認められた「日本国」の都は現奈良県・大和ですから、この期間内に政権と都の変遷がなければなりません。これは「九州説」のもつ必然です。
 古田氏はこのテーマを中心に研究と著作に専念したいとされています。ますますの御活躍を願っております。

 会員論集は会員のどなたにも、定説にとらわれることなく「真実」を探求した成果を発表する場であります。今後とも活発なご投稿をお願い致します。


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