『古代に真実を求めて』 第二十集


んでみた「倭国年号」

古賀達也

 倭国年号※については、これまで主として文字面によって論議されてきた。例えば、善化か善記か、吉貴か告貴か、或は大化か大和か等々。楷書ならばはっきりするところを、草書や略記された字体では、筆の運び具合いで全く別な文字に読まれてしまうことも起こる。そして、それらが年代記や社寺の縁起書などとして後世に伝わる訳である。
 発音史料の無い、眼から入る史料によるしかない現在の私たちは、そうした誤記誤読の不完全な中で論証を交わしているのである。しかし、文字の読めない古代の庶民にとっては、年号も代々耳から伝わった筈であるし、漢字も生活語として、発音通り読み書きされた筈である。
 中国の春秋時代(わが国の縄文晩期)、楊子江流域、江南地方から火ノ国山門(今の熊本県菊池市)に渡来し、後に倭国王家を打ち建てた呉王夫差の後裔たちは、生活語として「呉音」を用いていたことは確かである。
 従って、それらの人たちによって創められた九州王朝の公年号、「倭国年号」も、当然呉音訓みだったことは想像に難くない。
 このように理解した上で私は、これまで勝手に訓(よ)み下されていた倭国年号に、呉音によるふり仮名を付けてみた。
 もっとも、白村江敗戦(六六三年)後の筑紫都督府管理時代から、大和王朝の「大宝」年号に至る迄に定められた年号群は、「漢音」を常用する唐朝や大和朝廷の訓みに従って、漢音によって訓まれたであろう。
 
九州年号表
善記 ゼンコ       善化 ゼンクェ
正和 ショウワ
殷到 エントウ     教到 キョウトウ
僧聴 ソウチョウ
明要 ミョウヨウ    同要 ズウヨウ
貴楽 キラク
法清 ホウショウ    結清 ケチショウ
兄弟 キョウダイ
蔵和 ゾウワ      蔵知 ゾウチ
師安 シアン      師要 シヨウ
知僧 チソウ      和僧 ワソウ
金光 コンコウ
賢棲 ケンサイ     賢接 ケンショウ
鏡常 キョウジョウ   鏡當 キョウトウ
勝照 ショウショウ
端政 タンショウ    端改 タンカイ
吉貴 キチキ      告貴 コクキ
願轉 ゴンテン     煩轉 ボンテン
光元 コウゴン     光充 コウシュ
定居 ジョウコ
倭京 ワキョウ     和京縄 ワキョウジョウ
仁王 ニンオウ
聖聴 ショウチョウ   聖徳 ショウトク
僧要 ソウヨウ
命長 ミョウヂョウ
常色 ジョウシキ
白雉 ビャクチ
   (ハクチ)
白鳳 (ハクホウ)
朱雀 スサク      朱鳥(シュチョウ)
   (スジャク)
大和 ダイワ      大化(タイクワ)
   (タイクワ)
大長 ダイヂョウ
   (タイチョウ)

(カッコ内は漢音)

  付記
 基準年号として、鶴峰戊申が『襲国偽僣考』に掲げた古写本『九州年号』を上段に記し、異なった年号一つを下段に掲げた。なお『二中歴』の最初の年号の訓みは、「継体 ケタイ(ケイテイ)」となる。                               (平成九年七月記)

※平成九年(一九九七)に故平野雅曠氏が古田史学の会会報に投稿された原稿では、「九州年号」と記されていましたが、本書の編集に当り「倭国年号」と書き換えさせていただきました。(編集委員)

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