1) 高知県土佐清水市の唐人石を中心とする巨石群をめぐる調査のための測定並びに実験の概要(前半)及び(九)総括
(一)例言
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本章は高知県土佐清水市の唐人石を中心とする巨石群をめぐる調査のための科学的測定並びに科学的実験の概要(前半)をまとめたものである。 |
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本調査は、土佐清水市教育委員会の事業として実施された。 |
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本調査は、平成5年度後半に行われたものであり、来年度以降の謂査のための予備調査である。 |
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本調査は、平成5年度の7・8・11月の間に実施された。
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以上の謂査の統括責任者は昭和薬科大学教授古田武彦である。 |
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土佐清水市(水道部)の宮田無事生氏、波多の国研究会(中村市)の平石知良会長二西沢孝代表び谷孝二郎氏・畑山昌弘氏(元教育長)をはじめ、地元の多くの方々の手厚い御協力を賜った。 |
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さらに本年12月下旬、唐人石を中心とするレーダー測定実施の予定。 |
1 巨石の概要
位置と環境
土佐清水市は高知県の西南部に位置し、北は大月町・宿毛市・三原村・中村市に隣接している。東に土佐湾、南に太平洋、西に豊予海峡をはさんで九州の東岸を臨み、四国山脈の西南端が峨々として当市に達している。ことに太平洋上、黒潮が足摺岬周辺に迫り、西部突端の臼碆(うすばえ)岬において潮崖接し、深く海流旋回し、渦巻き、大自然の雄大な奇観をなしている。
唐人駄場(公園)
足摺半島の一角南隅に当たり(地図参照)、今回の中心的な観測基点(CCD設置)となった。(唐人駄場自体にも、巨石群の一部が残存する。)
唐人石
唐人駄場の北方に一大巨石群が古立し、一大奇観をなしている。今回の中心的な調査対象となった。
堂ケ森の鏡岩
当岩は足摺パシフィックホテルの西側に位置し、三列石を中心とする石群が存在している。南は、若干の傾斜地をはさみ、太平洋側に直面する。
灘の大岩
上記の鏡岩より東、約500メートルの地点の道路沿いの北側に屹立している。突出した巨岩であるため、その名が通称となっている。
2 調査(測定・実験)の概要
[A]測 定
黒曜石(唐人駄場周辺出土)の屈折率の測定
(立教大学鈴木正男教授実験室において)
[B]実験
1. 測定対象
(a)唐人石
(b)堂ケ森の鏡岩
(c)灘の大岩
2. 測定点(基点)
(i)陸 上
(d)唐人駄場(CCDによる)
(e)足摺パシフィクホテル・プールサイド(CCD及び拡大望遠8ミリによる。)
(f)臼碆展望台(同上)
(ii)海 上
船上観察(カメラ・通常8ミリによる)
大岩付近南方海上より、臼碆海上に至る。
3. 要 具
(i) 銀紙(レフ)
(ii) CCD(3台。内2台使用。)
(iii) 拡大望遠8ミリ
(iv) その他(カメラ・通常8ミリ)
(v) 大型望遠鏡(3台)
3 調査(測定・実験)の日程
<予備観察>
(i) 1993・2/28(古田)
(ii) 1993・4/4・5・6(古田)
(iii) 1993・8/3・4・5・6(古田)
(iv) 1993・9/2(古田)
<基本測定>
1993・9月(金子豊<銀紙と唐人石断片との光度比較測定>)
<測定と実験>
1993・7月(鈴木正男<黒曜石の屈折率の測定>)(古田)
1993・10/25(坂木泰三・普喜満生・古田<海上予備実験>)
1993・11・3(普喜満生・谷本茂・古田)
<当年度予定>
1993・12/20・21・22(予備日24)
ーレーダーによる測定(土佐清水市土木課・谷本茂・坂木泰三・古田)ー
まとめ
(I) |
黒曜石の屈折率の測定は、産地の同定を目的とした。 |
(II) |
唐人石、堂ケ森の鏡岩、大岩に対する測定と実験は、陸上の定点(足摺パシフィックホテルのプールサイド及び臼磐展望台)乃至海上の移動点(船)から、石面に貼布(又は横に定置ー大岩ー)された銀紙(レフ)を観察するとき、どのように見えるか、もしくは見えないか、この点に対し実際的また実証的な回答を与えるものである。 |
(III) |
上記の観察によって、これらの石群が、一面において宗教的信仰(太陽崇拝)上、他面において縄文灯台としての実用をもちえたか否か、に対する回答を与えるものである。 (縄文時代の出土遺物等については、次回考察する) |
(IV) | 本来は次の予備作業が必要である。
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(V) | しかしいずれも環境庁や高知県側の了解を必要とするため、今回はこれを避けた。代わって銀紙(レフ)貼布(乃至横置)の方法で代用した。このさい磨かれた石面と銀紙(レフ)との光度比較実験が不可欠であり、今回の実験の基礎となった。 |
(II)実験の成果
(i) |
陸上(唐人駄場)、及び海上の移動点(船)から、唐人石に対する観測及び測定の結果、太陽光に対する反射光の観測は、ー曇天の時間帯が多かったにもかかわらず、ー予想を上回るものがあった。 (他の二点ー堂ケ森の鏡岩、大岩ーに対する観測データ、また他の二箇所ー足摺パシフィックホテル。プールサイド及び臼磐展望台ーからの観測データの詳細は、次回にゆずる) |
(ii) |
海上の移動点(船)が臼婆海上(黒潮と断崖の衝突個所)に至ったとき、東北方に、二つの凹部の間から唐人石が輝いて見えた。全く予想しなかった「実験の成果」であった。 |
(iii) |
予備実験(10月25日)のさい、晴天であったため、夜(午後10時半頃)月明の中で唐人石が一種神秘的輝きを見せていた。 (唐人石の横の道路側からの観察) この状況からすると、唐人駄場において「太陽信仰」のみならず「月の信仰」の祭祀の行われた可能性も、今後に課題として、テイクノートされるべきものであろうと思われる。この点も、全く事前に「予想」せぬところであった。(写真は11月 4日夜。) |
(III) 今後の注意点
(i) | 上記のように、今回の測定及び実験は予想をはるかに上回る成果をあげえたのであるけれども、なお慎重に「断案」を避け、今後の息の長い調査研究を継続せねばならぬと考える。 |
(ii) |
同時に、黒潮とアジア大陸先端部の日本列島との接点(臼磐)をめぐる、世界でもまれな一大石造物群である「可能性」をもつ、これらの巨石群に対し、「判断」や「断定」は後日にまわしつつも、先ず破損を避け、これを保持することに全力をそそがねばならぬ。破損された場合、文字通り「後悔先に立たず」のたとえ通りになるからである。 |
(iii) |
今後、石面を磨き、樹木を(必要限度に)整除した形での実験(船上等より)が不可欠である。100個以上ありと、土佐清水市の富田無事生などの言われる、これらの巨石群(鏡岩上の存在)があらわとなれば、いわゆる「天然か人工か」の論議も、無用となるであろう。 |
(IV) 今後の課題
(i) |
白皇山(しらおさん)の中腹に峠の巨石遺跡(仮称)が存在する。山中のため、唐人石よりはるかに原形・原遺構が明確に依存している。これを来年度以降の調査の中心としたい。(周辺の樹木の整除必要。) |
(ii) |
足摺岬周辺の巨石群の分布する、その全貌を明かにしておきたい。そのためには、宇宙衛星よりのレーダー撮影等も、有効な一調査方法となるかもしれぬ(阪本泰三氏の提案による)。今後に期待したい |
(iii) |
当年度中に、この概報の続報2を完成し、本報告の足らざる側面に対し、これを補うこととする。 |
(iv) |
今回の調査(測定及び実験)に対し、御教示・御協力・御示唆を賜わった数多くの方々及び各方面の諸機関に対し、熱く感謝したい。 |
(尚THIS・IS読売写真部の稲村健氏がヘリコプターから撮影した写真を提供して頂いた。感謝したい。) |
(I) 平成5年2月28日以来、現地(足摺岬周辺の巨石群)の観測・調査をくり返した結果、その中の三カ所(唐人石・足摺パシフィックホテル横の三列石・灘の大岩)を対象として、実験(11月3日。予備実験は10月25日)及び測量(12月20・21日)を実施した。
(II) その目的は、これらの巨大群が次の二つの性格乃至役割をもつ、との作業仮説の検証にあった。その一は、太陽(乃至、月)信仰のための鏡岩としての性格、その二は、海上からの灯台的役割である。黒潮が衝突する臼碧はその焦点となろう。
(III) 以上の二点は予想通り、というより予想以上の的確な実験結果をえた。その回答はいずれも是(イエス)である。
(IV) ことに臼磐から東北方に望見できた唐人石の反射光、また夕日を受けた灘の大岩(脇)の反射光は印象的であり、いずれも本報告書(概報I‐II)と共に望遠カメラ(ソニーの特別提供)付きの8ミリによって、鮮烈に映像化された。また足摺パシフィックホテル横の三列石は(太平洋との間の樹木をホテル側によって整除していただいたため)黒潮に直面する、海上民の信仰対象としての姿が赤裸々に現出し、明確に映像化された。
(V) 以上のようにして今回(平成5年度)の予備調査は、多くの方々のご協力により、成功裏に終了したのであるけれど、これはあくまで「予備調査」であり、本格的な研究調査は来年度(平成6年度)以降にあることを特に付記させていただきたい。
(VI) 来年度以降の本格的調査については、足摺岬周辺の巨石群について、「遺跡」としての実状及び全領域分布のスケールの実体の確認などが必要である。そのためには、赤外線写真・超音波実験・宇宙衛星その他の諸方法が期待せられるけれども、同時にもっとも基礎的な考古学的調査も当然、将来の重要な課題となろう。今回はその為の「参考資料」として、唐人駄場及び片粕遺跡出土の黒耀石(姫島の「白耀石」。前回、鈴木正男教授<立教大学>による屈折率検査収録。)・縄文土器等の写真を付載することにした。地元の各所有者の方々(新谷良久氏・中川誠二氏・次田郁夫氏)のおかげとして深く感謝する。
(VII) これらの土器の大部分は縄文後初期のものであり、一部が縄文晩期のものであるとの鐙定がえられた。なお石鏃(唐人駄場出土)の中には、それらをさらにさかのぽると見られる早い時期のもののある旨、特に示唆された。(円錐状の飾具については、練り物であり、上記とは別の、新しい時代のものか、との認識がしめされた。)平成6年3月11日、國學院大學考古学研究室、小林達雄教授による。もちろん正確には、現地の周密な発掘調査にまたねばならぬこと、学問上当然であろう。(片粕遺跡については、すでに「高知県片粕遺跡(高知県文化財調査報告書第19集)」が高知県教育委員会〈昭和50年2月〉によって出されている。他に、『高知県史』がある。)共に、稗益せられること、多大であった。
(VIII) お世話になった方々として、前回(概報I)に記させていただいた以外に、次の方々があり、明記して感謝させていただきたい。山本修平氏(土佐清水市、悠丸、2トン、10月25日・11月3日)・吉岡楠雄氏(土佐清水市、第6喜代丸、1.9トン、11月3日)・畑山秀俊氏(土佐清水市、第2栄丸、1.9トン、11月3日)一以上、実験船。
曽禰信輝氏(他)一室戸汽船
和泉誠氏(土佐清水市都市計画課主事)・和泉政彦氏(同上技師補)・角田稔行氏(清水第三土地区画整理組合)一以上、12月20・21日測量者。
(VIII) ことにこの巨石群に早くから注目し、今回の調査を先導して下さった方々として、次の諸氏のお名前を改めて記して、感謝させていただくこととする。
富田無事生(土佐清水市水道課・谷孝二郎(足摺パシフイックホテル常務)・西沢孝(波多の国研究会代表)・畑山昌博(土佐清水市前教育長)・平石知良(波多の国研究会会長)・平野貞夫(参議院議員・土佐清水市出身)ー(アイウエオ順)
なお本報告書作成に、特にお力を賜わった方々として、次の諸氏に深く感謝する。
ー青山富士夫(東京)・稲村健(THIS・IS読売)・金子豊氏(リコー)・坂木泰三(リコー)・鈴木正男(立教大学)・谷本茂さん(YHP)・普喜満生(高知大学)ー(アイウエオ順)
画像データの必要な方は英語版にあります。
尚、画像が重たいので、英語版の表示は時間が掛かります。十分お待ち下さい。
番号 | 記号 | 説明 |
1 | <P.3-1> | 臼磐から唐人石を望む-"Tojin"-stone viewed from Usubae sea (through a recess)- |
2 | <P.3-2> | 唐人駄馬から唐人石を望む-"Tojin"-stone viewed from "Tojin-daba"- |
3 | <P.4-1> | 堂ケ森の鏡岩(パシフィックホテル脇の三列石)-Mirror stone of "Dogamori" (side of Ashizuri Pacific Hotel)- |
4 | <P.4-2> | 灘の大岩-"Nada-no-Ohiwa"- |
5 | <P.5-1> | 足摺岬ストーン(唐人石の断片)-Fraction of "Tojin"-stone (polished, reflecting sun-light--Taken by Fujio Aoyama- |
6 | <P.5-2> |
月光を反射する銀紙(レフ アルミ箔) -foil reflecting moon light ("Tojin"-stone)--Taken by Furuta - |
7 | <P.6-1> |
唐人石から唐人駄馬を望む -Pictures taken from helicopter : "Tojin-daba" seen from above "Tojin"-stone- |
8 | <P.6-2> |
唐人駄馬の上から唐人石を望む -Pictures taken from helicopter : "Tojin"-stone seen from above "Tojin-daba"- |
9 | <P.7> |
銀紙(レフ)を付けた唐人石 -Pictures taken from helicopter : "Tojin"-stone with tinfoil stuck thereon - |