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お断り:当会ホームページに掲載されている三宅利喜男氏の論説に対する史料批判は、これらの本で確認してください。
『古代に真実を求めて』(『古田史学会報』)に掲載
『市民の古代』に掲載
『新・古代学』に掲載
『古代に真実を求めて』第三号(二〇〇〇年十一月)より現在編集中、本人の了解が取れれば発行します。
要旨は、『古田史学会報』二十九号「『新撰姓氏録』の証言」と、『古田史学会報』四十七号「続『新撰姓氏録』の証言 -- 神別より見る王権神話の二元構造」に記載されています。
『古田史学会報』二十九号(一九九九年二月)を下記に転載。軍歴と共に公開
『市民の古代』第十三集(一九九一年)
『市民の古代』第十五集(一九九三年)
『市民の古代』第十六集(一九九四年)
他の書誌および『市民の古代研究』などは、後日確認いたします。
大阪市 三宅利喜男
戦争が終わって復員したのが、一九四五年(昭和二〇年)十一月。遠い昔の話と思っていた日露戦争から四十年目である。今年は戦後五十三年で半世紀を越えている。戦争を知らない子供達も五十歳を越えている。このごろ出版される戦争に関する本に「大東亜戦争」という書き方が出だした。まるで幽霊に出会った感じで、若者に読まれる漫画『戦争論』等はかなり片寄った情報により書かれている。
終戦後は統制がはずれて、書けなかった資料が多く出版され、戦前・戦中の様子が明るみに出された。『戦争論』の筆者は公と私と書くが、公の内容については全く書いていない。天皇制権力や軍閥について無知である。この様なものを青少年が読むと、そのまま受け取りやすい。かつて松本清張が収益を度外視して発行していた『季刊現代史』の中には国内国外の民衆の生の声があふれていて、憲兵政治や植民地の悲惨な状態があふれている。南京大虐殺や東京裁判は勝者による一方的な行為で、誇張や誤りがある事は当然である。
六三三のアメリカ式教育により、今日、自分だけ良ければという若者があふれ、人との共生や他人の痛みがわからない者で犯罪の種を作りつつある。
日本による明治以来の欧米の後追いの植民地主義で自国に踏み込まれた朝鮮・中国の人々の悲惨な姿は、けっして消すことが出来ない。すべて日本軍による他国の中での行動が原因である。それにもかかわらず、軍が逃走の際捨てられた日本の子供達を五十年以上助けて来たのは中国民衆である。ソ連進行の中、婦女子を置き去りにし、三十万の兵士を囚人として、スターリンに天皇制を残す約束で引き渡した関東軍上層の責任はまぬがれる事は出来ない。当時逃げ足の早かったのは憲兵と司令部と民衆の間で言われていた。今日の不況下、民衆の犠牲により、バブル時悪のかぎりを尽くした銀行・ゼネコンを先ず助けるという天皇制政府は戦前と全く変わっていない。
〔筆者軍歴〕 大正十四年七月二十四日生
昭和十九年十二月 陸軍航空通信学校卒業。
二〇年 五月 鞍山(満州)第三航空情報隊転属。温春(満州)第十一航空情報隊転属。
七月 満・ソ・朝国境方面に出向。
八月 九日ソ軍と戦闘。清津(北朝鮮)通信所にて連絡中、ソ軍の上陸始まる。茂山白頭山系より病院列車でソウル航空軍司令部へ。終戦を知る(十九日)。
九月 ソウル南大門警察に所属。韓国保安隊訓練を指導。
十月 安養で米軍に武器引渡し。
十一月 釜山より部隊を連れ帰国。
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