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『市民の古代』古田武彦とともに 第5集 1983年
古田武彦を囲む会発行 「市民の古代」編集委員会編集

 中国の古都を訪れて

ー古代交流を探る旅ー

西宮市 廣岡重二

 壹岐一郎氏の講演会で知り、「金印・邪馬台国のロマンを訪ねて ーー日中古代交流を探る旅」に参加した。『まほろしの邪馬台国』の著者、宮崎康平氏の夫人であり、共著者の和子氏を団長とする十五名の団体である。
 上海・南京・西安・洛陽・北京と(一九八二年)十月十六日から二十七日迄、五千年来の中国の古都をたずね、晴天に恵まれ多年あこがれの夢が果された。
 戦前の歴史教育では全く教えられなかったが、「邪馬台国」の卑弥呼女王の使者が西暦二三九(編集部注『三国志」では二三八)年に訪れた、魏の都は洛陽であった。又「倭の五王」の使者が、それぞれ五世紀に訪れた宋の都は、南京であり当時の名は建康といわれていた。
 各地の博物館には、古来伝来された物と出土品が順序よく、見易く陳列されており、西安の興慶公園には、七一七年に遣唐使として唐の都、長安(今の西安)に渡り、終生唐につかえた安倍仲麻呂をしのぶ、美しい白塔の記念碑が建てられていた。
 又、八〇四年に長安を訪れた空海が修業した「青龍寺」が再建され、本堂の正面に二面の空海像がかけられ、前の広場には四国四県から寄進きれた白石で造られた、美しい三層の「空海記念碑」が建てられ、中国の温い配慮が身にしみた。
 南京には梁代開山の霊谷寺、明の孝陵、孫文の壮大な中山陵があった。ここは一九三七年に中華門から突入した日本軍により、三十万人の市民が虐殺された処である。広島・長崎への原爆投下をなじりながら、この事を隠しつづけている日本の立場はこれで良いのであろうか。南郊の雨花台にある「人民革命烈士墓」に謹んで黙祷をささげて来た。
 西安東北の温泉地「華清池」には華麗な建造物が並び、唐の玄宗皇帝と楊貴妃が愛用した浴室や、大理石の美しい浴槽があり、多くの観光客を集めていた。ここは一九三六年の西安事件で蒋介石が張学良に捕えられ、国共合作が成立して、日本敗戦の端緒になった「捉蒋亭」がある。
 西安の西門楼上に立った時、これが遙か西域につながるシルクロードの玄関口である事を想い、良くぞ来たと感無量であった。唐朝から奈良朝へともたらきれた正倉院の御物でしのばれる、異国の素晴らしい高度の文化・芸術品到来の起点である。
 「九朝の古都」と硝れる洛陽には、中国に初めて建てられた仏教寺院の「白馬寺」や、中国三大石窟の一つである「竜門石窟」が有る。これは北魏から唐代まで七つの王朝に及び彫り続けられた、巨大な、石窟・石仏群であった。
 半坡博物館には仰詔文化で知られる五、六干年前の彩陶が多数出土保存されていた。秦の始皇帝陵からは、二千二百年前の等身大より大きな立俑が数百体発掘きれ、発掘遺跡共に大きなドームの内に完全に保存されている。各地で見た三千年以前の青銅器と共に、日本の縄文・弥生期の出土品を見なれた私達には想像を絶するものがあった。
 北京は二千年来、色々の首都に成って居り、更に明朝・清朝の六百年に亙る首都のお蔭で、故宮を始め豪華な建物や景勝地が作られたのが美しく修復されて、世界中から観光客を集めている。北京だけは日本軍の破壊を免れたそうだが、アメリカ軍が奈良と京都を爆撃から除外したのと同様の古文化財を守るための配慮に依るものであれば、せめてもの慰めになる。
 上海も北京も驚く程の人と自転車の群で、労働体制が三交替制のため盛り場は何時も満ちあふれていた。自転車は夜間全く無燈火で、自動車や街路の燈火も薄暗いのに、これで事故も無く走れたものだ。交替時間の関係で深夜でも通行人が多く、治安は保たれ、日本より余程夜間外出は安全であった。
 広大な農地の手入れは、日本の様に農機具の姿を見かけないのに、実に良く行き届いており、農民の勤勉さがしのばれた。又、道路の広い事と、巨大な何処迄も続く街路樹の並木の見事さは、到る処で感心させられた。
 都会の繁華街で見かける物資は豊富で、しかも安価の様であるが、衣食共に日本とは相当格差があり、友誼商店では立派な商品が並んでいるが、一般市民の街頭で見る食事や服装は、昭和二、三十年の日本を思わせる様な場面に時々出会った。
 しかし、辛亥革命で帝政が倒れ、更に社会主義革命が行われた現在は、かつて毎年数十万人の餓死者が出たり、更に災害により百万単位の流浪者の出た悲惨な過去を知る人達にとって、私達の測り知り得ない安心感と喜びが有るのか、心の豊かさが感じられ、楽しい日中友好の旅行が出来た事を喜んでいる。
 一九八二・一一・九記


 これは参加者と遺族の同意を得た会報の公開です。史料批判は、『市民の古代』各号と引用文献を確認してお願いいたします。
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