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『市民の古代』古田武彦とともに 第5集 1983年
古田武彦を囲む会発行 「市民の古代」編集委員会編集

 「唯物史観」についての色々な理解

東京都 渡辺好庸

 古田武彦先生は、「マルクシズムの歴史観」を『国家と権力は、かつてこの地上に誕上した。それゆえやがて死滅してゆくのだ」という内容で理解され、「すばらしい仮説だ」と指摘されている(『邪馬一国への道標』三一七頁)。また別のところ(『信州の古代文朋と歴史学の未来』六〜七頁)では、マルクスのアイデアはルソーの『人間不平等起源論』の影響を受けており、「いわゆる原始共産制というものをまず頭にえがいて、そしてそのあと、・・・余剰生産力の発生によって、権力が生じ国家が生まれ、それによって人間が搾取するものとされる者に分れて来た、という有名な命題を展開した」のだと言われている。そして、この「マルクシズムの歴史観」のストレートな日本歴史へのあてはめによって、今日一般的な「縄文時代=無階級社会」という理解が生まれたと述べられている。
 日本古代史の今日的研究水準がどの租度であるかをまったく知らない我々門外漢にとっても、先生が言われている通り、「縄文時代が無階級社会」という説は、教科書でも習った、いわば常識であることにはちがいない。更に、この理解がマルクス主義的歴史観たる「唯物史観」による日本古代史に対する解釈によってなされたものであろうことも、我々にとっても予想のつくところではある。そして我々も、その方法に対して我々なりの立場から疑問をもっていなかったわけではない。我々の理解する「唯物史観」というものは、確かに科学的歴史観であるといってよいわけであるが、しかし、だからといって無限に複雑な歴史過程に対して、実証的な分析抜きに一般的にあてはめられるようなものではない。「唯物史観」とは、複雑に交錯した現実の歴史過程を実証的に分析する場合の、一般的基準ともいうべきものであり、それ以上でも以下でもないところに、その科学性もあるといわなければならない。その意昧では、先生が言われているように、縄文時代に関する資料が「貧弱なもの」でしかないにもかかわらず、「唯物史観」を前提的にあてはめて「縄文時代は無階級社会である」としたのが今日までの日本古代史学の現実であるとすれば、それを科学的な歴史学、したがって我々が理解するマルクス主義的な歴史学(それを研究している主体がいかに自分をマルクス主義者だと信じていようとも)ということは到底できないのである。もし貧弱な知識の上に打ち立てられた公式見解を「実証」するためにのみ新たな資料が利用されるようなことがあるとすれば、それこそ非科学的方法そのものといわねばならない。階級社会であるかどうかということに関して「唯物史観」によって与えられる基準は、日本の歴史においても、それが人間の歴史である以上、無階級社会がそこにもあり得たということ、それ以上でも以下でもないのである。それが、縄文時代であったのか、旧石器時代であったのかを、歴史観で判断できないのは言うまでもなかろう。それどころか、「無階級社会」として明確に一時代を画する時期が日本列島にもあったかどうかできえ、「唯物史観によって明らかである」などとは到底いえないのである。少なくとも我々の理解する「唯物史観」と歴史分析との関係は、そのようなものである。
 ところで、その「マルクシズムの歴史観」の内容そのものについてであるが、我々がマルクスから学ぶ歴史観の基本命題は、平たく言えば、人間社会の存立の基礎は人間の自然に対する働きかけ、つまり生産的な労働であり、したがって、人間社会の発展の動力は生産力の発展である、ということ、そして、その時々の生産力に対応した ーーその生産力を充分に発揮できるーー 人間関係が社会の土台になっている、ということ、したがって、人間の歴史が英雄の行動や「人間精神の発展」によって発展するという、「英雄史観」や「観念論的史観」は科学的な歴史観とはいえない、というようなものである。そしてマルクスは、この命題を単にイデオロギー的な仮説として主張しただけでなく、資本主義社会という現実の人間社会の「解剖」によって確証しようとしたのであり、その成果が未完の書『資本論』であったのはいうまでもない。マルクスが資本主義社会の解明を通して明らかにした、あらゆる人間社会に共通な原則ともいうべき内容を基準に、過去の歴史を見る見方こそが、我々の理解する「唯物史観」なのである。それは、確かに階級発生の物的根拠が剰余労働であることを科学的に論証してはいるが、剰余労働があれば必ず階級が形成されるとまで言っているわけではないし、また、剰余労働のない社会が必ずどの地域においても一時代を画して存在した、などと言っているわけでもない。その意味で、先に触れたように日本列島においても、無階級社会があり得たと言えるだけなのであり、それが、どの時期に、どのようなものとしてあったのか、あるいはなかったのかは、実証分析にまつ以外ないのである。
 しかし、このような我々の「唯物史観」に対する理解は、先生がマルクスの命題とされた、原始共産制を頭に描いて、そのあと余剰生産力の発生によって階級が形成される、という内容とも、かなり違うものといわざるをえない。実際、一八四八年(この時マルクスが『人間不平等起源論』を読んでいなかったとは考えにくいのだが)の『共産党宣言」においては、原始共産制を「頭にえがいて」はいなかったようであるし、五九年の『経済学批判」における「アジア的古代的・封建的・および近代ブルジョア的」という場合の「アジア的」というのも、当時のインドにおいて見られた共同体共産制とはいえない)を考えていたようである。原始共産制から階級社会が発生するという理解を「唯物史観」の一般命題としたのは、むしろ晩年のエンゲルスであり(八四年の『家族・私有財産国家の起源』や、八八年の『共産党宣言』への注)、マルクスの著作からそれを引き出すのはかなり困難なことのように思える。もちろん、ここでマルクスとエンゲルスの相違点をこときら強調する必要もないが、それにしても、経済学的理解においても、また「唯物史観」そのものの理解においても、マルクスとエンゲルスとの間に理論的な不整合があるということが、経済学・哲学の領域ではすでに常識となりつつあるマルクス死後百年もたった今日、今なお、日本史学界においては「唯物史観」に関するこのような理解が一般的であるとすれば、それは、おどろくべきことといわねばならない。社会科学相互の協同の必要性を叫ばずにはいられない。もっとも、人間社会の歴史を解明する学問たる歴史学が、「文学部」の中にあるという日本のアカデミズムにそれを期待するのはないものねだりなのかもしれないが。

 付記。
 紙数の関係上、舌たらずなものになりましたが、私は「マルクシズムの歴史観」こそが唯一科学的歴史観であると確信する者として、「縄文時代=無階級社会」論を批判される古田先生の実証の筆の冴えを期待しつつ雑文を書かせていただきました。


 これは参加者と遺族の同意を得た会報の公開です。史料批判は、『市民の古代』各号と引用文献を確認してお願いいたします。
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