『市民の古代』第14集 へ


市民の古代第14集 1992年 市民の古代研究会編

一《物理学国際会議における古田史学の紹介》一

GOLD SEAL AND KYUSHU DYNASTY

金印と九州王朝

上村正康

 

はじめに

 本記事の付録に掲載されている12ぺ一ジの英文(なし)は、1991年11月に福岡で開かれた物理学の国際会議(参加200名)の晩餐会で、筆者(九州大学物理学教室)が「GOLD SEAL AND KYUSHU DYNASTY(金印と九州王朝)」と題し、古田武彦氏の九州王朝説を英語で30分間紹介したものの講演録である。本記事はその解説である。
 講演後、外国人から質問が続出し、その後も会議出席者の間で話題を呼んだようである。この国際会議の会議録はアメリカ物理学会から出版される。晩餐会講演も、物理学とは無関係であるが、好評につき全く異例の扱いで会議録に掲載されることになった。
 この講演の様子を、筆者は、「市民の古代・九州」の11月例会で紹介し、ニュース21号に記事にして載せた。また、講演の英語原稿コピーをご希望の方に差し上げた。これらが、『市民の古代』誌の編集部の目に止まり、英文の講演録とニュース記事を同誌に再掲載できないかという依頼が筆者に届いた。会議録の著作権はアメリカ物理学会にあるので、早速、同会に問い合わせたところ、講演録全部をそのまま再掲載してよい、という非常に好意的な回答を載いた。
 この晩餐会講演は、日本の古代史を全く知らないと思われる外国の物理学研究者を相手に、30分間という短い間に、英語で・・・ という強い制約のもとに、古田氏の九州王朝説を紹介したものである。したがって、その内容については、本誌の読者諸氏には、不満足の点も多々あると思われる。しかし、講演後の反響から見て、所期の目的は十分に達成できたと思われるので、今後、読者諸氏が外国人に古田説を紹介される場合の参考にと思い、本誌の求めに応じ、英語講演録をそのまま再掲載するものです。
 英語の文章については、次の方々に点検・修正をして載きました ーー国際会議参加者で日本語にも堪能なリクボルト教授(フロリダ大学)、会議組織委員長の川崎恭治教授(九州大学)、「市民の古代・九州」のカズコ・ランドリーさん。理科系の人間の書いた硬い英語になっていますが、分かり易く、論旨は明瞭に表現されていると思います。
 以下の和文は、「市民の古代・九州」ニュース21号(1992年1月18日発行)の記事からの転載です(「おわりに」の項を新しく追加)。

講演の発端

 この物理学国際会議のポスターには、開催地の福岡に因んで志賀島の金印が半分の場所を占めてカラー写真で載っている。組織委員長(九大物理学教室・川崎教授)の発案で、会議のハイライトの一つである晩餐会講演では、このポスターの謂れも含め、福岡が古代には日本の中心であったことを外国人にアッピールするような話を取り上げることになった。古田武彦氏の九州王朝説がそれに適うとされ、かねて教室内でそれを吹聴していた小生に講演のお鉢が回ってきた。外国人に楽しんでもらえるように、という難条件つきであったが、古田説を外国にも広める良い機会と考え引き受けた。
 講演では、24枚の解説図表をスクリーンに映しながら説明した。外国人参加者は、日本の古代史については、1一天皇家は古代から綿々と続いている世界最古の王家」という程度以外にはおそらく何も知らないであろう。彼らの関心を惹き起こし、30分間集中させるためには、初めに話の「たて糸」と「よこ糸」を印象深く設定し、それをしっかり頭に入れてもらう必要がある。

シュリーマンと古田武彦

 そこで、外国人研究者なら誰でもシュリーマンのトロイ遺跡発掘の話は知っているはずと考え、次の図に示したように、「シュリーマン」が「ホーマーのイリアッド」を信じ、「トロイの遺跡」の発掘に至ったが、これと平行に、「古田武彦」は「古代日本に関する中国の同時代文献」を信じ、その結果「何を発見したか」それは開催地福岡とどう関係するかこれが「たて糸」である。
 「古代から現在に至るまで、日本には天皇家以外に王朝が存在したことは絶対にない」これは古代史学界の基幹のドグマ(定説・教条)であり、日本人の常識である。しかし、中国の古代文献とは矛盾するところが多々ある。たが、このドグマを信じる古代史学者は、理解し難い箇所はすべて中国側の誤記、誤解、錯覚が原因であり、ドグマには何の揺るぎもないと見なしてきた。古田氏に従って、このドグマを否定することーー これが「よこ糸」である。
 講演後知ったことだが、ここまで話した時に、聴衆は講演の組立てと狙いがはっきり理解でき、一体結論はどうなるのか、知的興奮を覚えた、スリルがあった、とのことであった。
 さて、取り上げた話題は、『後漢書』と金印の倭奴国、『三国志』と卑弥呼の邪馬壱国、これに関連する考古学的出土物、『隋書』の多利思北弧、『旧唐書』の倭国と日本国などである。聴衆は、「たて糸、よこ糸」に照らして、割合楽にポイントをキヤッチして下さったとのことである。
 古田氏によれば、7世紀中葉まで中国と交流していたのは、近畿天皇家ではなく、すべて九州王朝であり、その中心が福岡周辺にあったことが中国側の同時代文献から論理的に結論できるーー ことを強調した。
 古田氏の史料の分析法、論理の組立て方はわれわれ物理学研究者にとっても大いに納得させられるものである、しかし、その結論が、古代史学界の諸定説を根幹から覆すものであるためか、古田説は同学界から受け入れられるに至っていない。ただし、古田説の発表後10数年たつも、今だに同説に対する批判・反論が論文や著作の形で古代史学界メンバーから発表されず、沈黙(黙殺?)が続いているらしいのは、自然科学の学界から見れば、極めて異常なことに見える ーーと述べた。
 講演の最後に、前掲の図を再び出し、「?」の所に「九州王朝(福岡周辺)」と記した。シュリーマンのトロイの遺跡とのアナロジーで我々の結論の念を押し、「今、皆さんは、古代日本の輝ける中心、九州王朝の、まさにその遺跡の上に座っているのです」と結んだ。

 シュリーマンと古田武彦

 

質問と反響

 通常、国際会議の晩餐会講演は一種のセレモニーであって質疑応答はないのだが、今回は10人以上の質問の手が挙がり反響の大きさに驚いた。質問は総て外国人で、「金印の発掘状況は?」「金印を受けた国は如何なる形態で日本を支配・代表していたのか?」「金印は漢の倭の奴の国王と三段に読むと聞いていたが?」「福岡周辺でのみ発見されたという古代の絹(倭・中国絹)の年代を炭素14法で測定したのか?」「古田説は日本の学界にはまだ受け入れられていないとのことだが、外国の学者はどう評価しているのか?」「日本に関する中国の古代文献を信じるとこうなるという話だったが、中国本土や日本以外の周辺国の記述は信頼できるのか。もし、そうでなければ、日本に関することを信頼する根拠が崩れる」などであった。難問もあり、慣れない文科系英語で汗だくで答えたが、四苦八苦の様子を見かねて司会者が、時間もかなり過ぎたので、と言って質問を打ち切ってくれたので救われた。
 翌朝の会議場では、前夜のこの講演をめぐって話に花が咲いていたそうである。また、組織委員長は会議の一カ月後にアメリカの各地を訪問されたが、帰国後のお話では「福岡の会議に参加した人に会う度に晩餐会講演のことが話題になった。よほど強く印象に残っていたに違いない」とのことであった。

新理論と物理学研究者

 さて、物理学(一般に自然科学)研究者にとっては、従来の常識・定説を覆すかも知れないような新しい発見・理論の提唱は常に大歓迎である、むしろ、それに飢えていると言ってもよい。直ちに、「それが正しいかどうか」をめぐって世界的規模で徹底した追実験・追研究が行われ、賛否の論文発表が行われる。新提案は否定されるか、定説の一つの変形に過ぎないことが分かる場合が多いが、それでも、それらの検討の過程で、定説側に進展があったり、思わぬ副産物があり別の発見につながったりする。まして、それが真の新発見・新理論であった場合には、その後の学界の活発化は計り知れない。だから、物理学研究者は、真摯な新提案には真摯に対応しなければならない、と思っている。たとえ否定側に回るとしても、軽視・無視をするのは自分の側の損失につながるかも知れない、否定すべきことはきっちり論文で否定しておかなければならない、もしかしたら、途中で副産物を見つけるかも知れないーー と思っているのが普通である。
 したがって、古田説が、外国の物理学研究者に強い印象を与えた理由は(古田説の中味への興味によることの他に)、第一に、分野は違っても同じく学問の進展をめざすものとして、「従来の強固な常識・定説を覆す理論を提唱したこと(もちろん、克明な論証とともに)」への驚嘆と敬意であろう。第二に、その新理論を、長年、日本の古代史学界が真摯に批判・検討しないこと、そのことの損失に気づかないことへの驚きであろう(日本の古代史学界の学問水準が世界の古代史学界に通用しているのかと言う疑問も含めて)。
 さて、この国際会議の会議録はアメリカ物理学会から刊行される。この晩餐会講演は物理学とは無縁であるが、好評で話題を呼んだため、全く異例のことであるが、それも一緒に掲載することを同学会が認めた。これが世界の物理学研究者の目に触れ、古田史学が海外にも広められる手助けになれば講演者として望外の喜びである。

おわりに

 昨年11月に、九州地区の12の大学の原子核物理学(理論)研究者30名が、一泊二日で古田武彦氏を招待し、じっくりお話をお聞きする機会を持った。出席者一同、古田氏の史料の分析法、仮説の論証法の鋭く、平明で、確固たること(まさに自然科学的ともいえること)に大いに感じ入ったのだが、それよりも驚嘆したのは、その発想の自由さ、遙か遠くまで行ける思索の飛翔力である(論理が飛躍しているという意味ではない)。「りんごの落ちるのを見て、ニュートンは、地上の物体にも天上の星々にも等しく働く万有引力を発想した」という話が思い浮かぶ。
 たとえ仮説を論証する力が抜群であっても、そもそも優れた仮説を発想しなければ優れた理論・実験は生まれない。手元の資料やこれまでの自他の研究成果を前にして、どんなアイデア・仮説を思い付くか自然科学研究者にとって(おそらく古代史研究者にとっても)最も重要な場面であろう。このとき、いかに多様多彩なアイデア・仮説を発想できるか、場合によっては、目先の境界条件に縛られず遙か遠くまで思索を巡らせられるかこの場面で発揮される古田氏の才能のすばらしさこそを、我々は「うらやましい」とさえ思った。
 古田氏の一層のご活躍を祈り、筆を擱く。

【以下の12ぺ一ジ分の英文は本記事の付録である】
   <なし>

追記
 12ぺ一ジ分の英文は、米国物理学会が著作権を所有しており、承諾を得る必要があります。
インターネット事務局 2008.3.25


『市民の古代』第14集 へ

ホームページへ


新古代学の扉 インターネット事務局 E-mailは、ここから

Created & Maintaince by“ Yukio Yokota“