『古代に真実を求めて』第八集


巻頭言

 会員論集・第八集発刊に当たって

古田史学の会代表 水野孝夫

   「古田史学の会」は一九九四年に発足した会です。十一年目を迎えました。会の目的は会則第二条に記載されています。
   「本会は、古田武彦氏の研究活動を支援し、旧来の一元通念を否定した氏の多元史観に基づいて歴史研究を行い、もって古田史学の継承と発展、顕彰、ならびに会員相互の親睦をはかることを目的とする」。

 定期的な情報として発行する、会員論集「古代に真実を求めて」はここに第八集を迎え、会員用のニュース紙として発行する、「古田史学会報」(年六回)は、こちらも六六号を発行しました。古田武彦氏の新しい研究や講演内容もあれば、それに刺激された会員の研究成果などが、絶えず掲載されています。これらの情報の一部はインターネットのホームページ「新・古代学の扉」(アドレスは巻末参照)にも発表されています。古田武彦氏の言説に関心のある方々のご利用をお待ちします。

 古田武彦氏は昭和四十七年の著書『「邪馬台国」はなかった』以来、定説を否定する驚くべき古代史像を世間に提供してこられました。三国志のすべての写本に「邪馬臺国」と書いたものはなく、「邪馬壹(または一)国」であり、後代の文献に「邪馬臺国」とあるからといって、「壹は臺の誤り」とする根拠にはならないとする氏の説は、これを当然とする、われわれの会の原点であります。この目で見てゆくと、後代の学者の考えで原典の文字を勝手に変えた例が歴史資料に多いことに驚かされます。
 『三国志』魏志倭人伝の最も信頼できる版本は、日本の皇室図書寮に現存する、いわゆる「紹熙本」とされ、この写真版から作成された「百衲本」の写真は岩波文庫に引用・掲載されて流布していますが、百衲本跋文には、中華民国の学者・張元済によって、「日本皇室図書寮の本から写した」と宣言されているのに拘わらず、「郡支国」が「都支国」に換えられていることが、在オランダの難波氏らによって発見されましたが、ほかに「黄憧」一箇所が「黄幢」に換えられていることが分かりました。古田武彦氏にしても跋文を信用して、百衲本は紹熙本そのままの写しと思い込んでおられたようで、「思い込み」を排除することの難しさを感じさせられます。

 会員論集は会員のどなたにも、定説にとらわれることなく「真実」を探求した成果を発表する場であります。今後とも活発なご投稿をお願い致します。


新古代学の扉事務局へのE-mailはここから


『古代に真実を求めて』第八集

ホームページへ


制作 古田史学の会
著作  古田武彦