『新・古代学』 第1集 へ

「エラズマス・ダーウィン」書評 へ
『新・古代学』古田武彦とともに 第1集 1995年 新泉社
特集2 和田家文書「偽書説」の崩壊

エラズマス・ダーウィンと進化論

ロンドンのキング・ヘレ氏との往復書簡

 

はじめに

古田武彦

 この往復書簡は、デズモンド・キング - ヘレ氏と日本の古田史学の会の会員との間で交わされたものである。
 日本側の質問に対し、ヘレ氏は見事な応答をしめしている。一八世紀末という時間帯において、長崎に進化論や宇宙爆発説がもたらされ、日本側で記録されていることについて、氏は感覚的には「あまりありそうに思えぬ」と言いながら、論理的には「可能です」と明言している。そしてその「可能」である理由を、質問の四箇条に対応させつつ、明快に分析し、回答している。真に、学者らしい学者の面目躍如たるものがある。
 さらに、ここでは触れられていないけれど、日本側の記述(和田家文書、秋田孝季)するところは、生物の始源を「海中の見えざる菌」に求めるところなど、「チャールズ・ダーウィンの進化論」というより、祖父の「エラズマス・ダーウィンの進化論」の方と対応しているのである。
 そのような「祖父の進化論」に関しては、今回、キング - ヘレ氏の著『エラズマス・ダーウィン』(和田芳久訳、工作舎、一九九三年)が公刊されるまで、わたしたちはその内実を知ることがなかった。この点を精視すれば、一見「ありそうに見えぬ」このテーマのもつ論理的「可能」性に対して、日本の科学史学界が虚心担懐、そして率直にならざるをえぬ日がすでに迫っているように思われる。
 キング - ヘレ氏はイギリスの科学史委員会の会長、物理学者。一九二七年の生まれである(翻訳は、古田武彦による。物理学者、林一氏に校閲していただいた)。

【往信】

デズモンド・G・キング - ヘレ博士殿

一九九五年二月二〇日

 貴殿がErasmus Darwinについて研究されていることを、著書「DOCTOR OF REVOLUTION」で知り、大変感動しました。実は一八世紀末の日本にErasmus の理論が紹介されていたのではないかと思われる文献が一九八六年に、日本で刊行されています。書名を「TUGARU 6GUNSI TAIYOU」と言います。一七九〇年ごろに書かれたという本です。「TUGARU」は日本の東北地方の古い呼び名です。著名は「TUGARUにあった六つの郡の歴史の概要」という意味です。
 現在日本では、この本は後世に作られた偽書であるとされています。なぜなら、本の中で「Darwinの説」として紹介されている「進化論」や「宇宙の創成」に関する説が非常に現代的であり、「Erasmusの説とは考えられない。孫の有名なチャールズ・ダーウィン以後の説であり、そうであれば「一八世紀末に書かれた」というのはおかしい、という理由です。
 日本のある研究者は偽書であるという理由を次のように述べています。
(1)本のなかで宇宙が始まった年代を「一兆億年」、星座の大分裂を「二百億年」などと書いているが、少なくとも一八世紀のヨーロッパではこんな数字は語られていない。フランスのビュフォンが「三〇万年以前」という数字を出しているぐらいだ。

(2)人間が祖猿獣から進化していくプロセスを絵で表しているが、Erasmus の時期は人間の祖先は巨人であると考えられていた。原人という概念はなかった。
(3)宇宙の大爆発についてはErasmus は、本の解説や絵のようなはっきりした考えはしていなかった。
(4)「オランダ人のボナパルト」が講義したというが、Erasmus のグループはイギリスの田舎の小さなグループであり、オランダ人が彼の考えを理解したり、外へ伝えたりしたとは考えられない。

 以上のような理由から、この本が一八世紀末に書かれたというのはうそであると言います。
 私は、この本を他の記載からみて、偽書ではない、と思っています。ただ、一八世紀末に書かれた原本は現在公表されておらず、現在公表されているのは一九〇〇年ごろから一九三〇年代にかけて書写されたものです。書写する段階で、あるいは新しい理論で書いたものを挿入した可能性もないことはないかもしれないと、迷っています。
 貴殿の研究でその辺のことがはっきり出来ないか、と考えて、手紙を書きました。もし、Erasmus の理論が、当時鎖国をしていた日本に、一八世紀末に伝えられていたとしたらどんなにかすばらしいことでしょう(本に書かれている「長崎」は当時の日本で唯一外国に開かれていた港です)。
 該当箇所のコピーと英訳したものを送ります。お手数をかけますが、本に書かれていることが「Erasmus の理論」と考えて良いようなら、そして、日本の研究者が言っていることが正しいものなのかどうかを、教えてください。コピーなど証拠を添えて教えていただければ幸いです。Erasmus 時代の理論と考えてよいということでしたら、ビツグニュースになると考えています。よろしくお願いします。
        古田史学の会、会員より

【返信】

一九九五年三月一四日

 二月二〇日付けの貴方のお手紙と、エラズマス・ダーウィンに関するわたしの本についての貴方の親切なお言葉に対して感謝しています。貴方の御質間にお答えします。
 エラズマス・ダーウィンの進化に関する思想(ideas)が「TUGARU・・・」という本に用いられていたということは可能ですが、あまりありそうに思えぬ(I think it is possible but not very likely)ことです。
 エラズマス・ダーウィンの思想について申しますと、わたしたちが現在それを呼んでいるような、生物学的進化に関する思想は(その名前〈that name〉は、一七九〇年代には〈in the 1790s 〉その意味で使われていなかったのですけれども)、一七九四年に出版された彼の本「ズーノミア」において始められました。
 それは、その本の巻一の三九節(四八二〜五三七頁)にあります。また、わたしの本の第二章(日本版の三八○〜六頁)で論じています。
 わたしはここで明瞭な回答を提起することはできませんけれども、貴方が貴方のお手紙に引用されていること、すなわち日本の学者によって提起された諸理由がまちがっていること、それは、確実に申し上げることができます。

(1)エラズマス・ダーウィンは、生命の進化に対して "millions of ages" という、時の物差しに言及しています。もし一つの "age" 一〇〇年であるならば、
これは「一億年」( "hundreds of millions years" )を意味しています。そして地球それ自身は、なおより古いことでしょう。
 これは「ズーノミア」(第一巻五〇九頁)にあります。これはわたしの本(三八四頁近辺)に引用しています。
(2)エラズマス・ダーウィンは、魚類や爬虫類や両生類を経て「人間的動物」( "the human animal" )に至る進化を彼の詩「自然の神殿」(The Temple of Nature, 1803)において描写しました(わたしの本の四五四〜四六九頁参照)。
 彼が人間をサルから由来したものと見ていたことは、一般に周知のところでした。そして彼はこの問題に大変熱中しました。たとえば、わたしがわたしの本の中で言及しました「三角関係の愛」(The Loves of the Triangles, 四一四頁近辺)などもそうです。
(3)エラズマス・ダーウィンは宇宙の創造を、飛散する物質によって、ハッキリと描写しました。それは現代において天文学者が信じている「ビッグ・バン」のようなものでした。
 わたしの本の三三六〜八頁と、エラズマス・ダーウィンの「植物の秩序」(Economy of Vegetation, 1791)の第一編の九七〜一一二行を御覧下さい。
(4)エラズマス・ダーウィンの仕事(著作)は、ヨーロッパ全体に大変よく知られていました。そして彼はゲーテに影響を与えました。「ズーノミア」は一七九五〜七年においてドイツ語に翻訳されました。そしてのちにイタリア語やフランス語に訳されました。わたしの本の五三三頁を御覧下さい。

 わたしはこれが何等かのお役に立つことを望んでいます。
 もし貴方がわたしの手書きの字をお読みになることができなければ、わたしはこの手紙をタイプにいたしましょう。しかし手書きは何一つコストがかかりません!
              真心をこめて(敬白)デズモンド・キング - ヘレ


「エラズマス・ダーウィン」書評(http://www.kousakusha.co.jp/DTL/edarwin.html) へ 下にあります。

『新・古代学』 第1集 へ

ホームページへ


これは研究誌の公開です。史料批判は、『新・古代学』各号と引用文献を確認してお願いいたします。

新古代学の扉 インターネット事務局 E-mail sinkodai@furutasigaku.jp

Created & Maintaince by“ Yukio Yokota“