万葉集第一歌

”籠もよ み籠持ち”

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(なし 古田武彦解説)

3 ”籠もよ”の歌
(なし 古田武彦解説)

制作 古田史学の会

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英文解説

これは雄略ではない

万葉集巻一の一 これは雄略ではない

籠もよ み籠持ち 堀串もよ み堀串もち この岳(おか)に 菜摘ます児 
家聞かな 告らさね そらみつ 大和の國は おしなべて
われこそ 居れ しきなべて われこそ座せ われにこそは 告らめ 家も名も

 この歌は『万葉集』の先頭にある歌で、大王雄略の歌だと言われています。しかしこの歌では言葉が変えてあり、それに従い解釈が改竄(かいざん)されています。ですから歌の理解には間違いがあります。
 最初の問題は「師<吉>名倍手」と全ての『万葉集』の写本には書かれておらず、そう読めないことである。加えて「しきなべて」は日本語ではない。いかなる写本にも「吉」とは書かれていない。「告」という言葉が、漢字で形が似ている「吉」という言葉に変えられている。この解釈を行ったのは本居宣長である。
 実際全ての写本に書かれてあるのは「告」である。また江戸時代以前は「師」と「告名倍手」は別れて読まれていた。その結果「師」は前の言葉に移動し、前の節と一体で解釈し、理解する。

万葉集巻一の一 われこそ居(お)りしか 告名経て

吾許曽居 師<吉>名倍手
われこそ 居れ しきなべて
私の居るところは、全てここもあそこも私の支配する所だ

次のように読めば明確となる。

吾許曽居師 告名倍手
われこそ居りしか 告名 経て
私は(以前は)大和に居ました。そして名前も名乗り終わりました。

 「告名」は古代では愛を告白する行動のルールです。

 最初にこの言葉の改竄(かいざん)を行ったのは本居宣長ただ一人です。なぜ彼が「告」を「吉」に変えたのか? この歌の原形では、作者である大王雄略の名前と家が語られていることになる。しかし大王雄略の名前は語られていない。雄略の名前は『日本書紀』では「大泊瀬稚武尊」です。彼は後に大王あるいは天皇と呼ばれた。雄略天皇は漢風諡号(かんぷうしごう)と言って古事記・日本書紀編纂時の名前です。加えて宣長は、大王雄略自らが彼女に名前を名乗ることは正しくないと考えたかも知れない。
 しかし、もしあなたが相手に家と名前を訪ねるならば、その前に自分の家と名前を名乗るのが、人間としてのルールの基本である。大王雄略は無礼な男だ。しかし大王雄略でないならば、押奈(あふな)戸手(とで)という名前が存在する。姓の押奈(あふな)は、現在の島根県古代の出雲に大穴持貴命(おうなむち)として名前が存在する。名前の戸手(とで)は同様の名前が「韋提(いでい)」として関東の金石文に存在する。私は彼の名前が語られていたと思っている。それは押奈(あふな)戸手(とで)である。彼の名前の存在はこの歌が大王雄略の歌でないことを示している。

 2番目の問題は、全体として「我<許>背齒 われにこそは」は、その解釈は難しいことである。そして「背 そ」とは読めない。なぜならば「曽 そ」が2度に渡り既にこの歌に使われている。他方普通は背中の「背 せ」という読めばたいへん理解しやすい。もし「者 わ」を西本願寺本のように追加すれば、更に読みやすくなる。

万葉集巻一の一 こわせば

われにこそは
我許(者)背歯
だから私に名前を言いなさい

この節の意味の変化は大変な変わり方となる。

吾こわせば 
我許(者)背歯
私がお願い致します。

3番目の問題も、また「家聞かな 告らさね」という不自然な読み方である。明らかに英訳されている二番目の「名, name」は全ての写本に存在しない。「名」は一つだけである。文章として成立しない。それに何を名乗るですか。加えてまたこの歌は「籠」と言っておいて、「お籠」と言い直している。このように最初は彼女を丁寧に扱っていますが、後では名前を名乗れと強要している。このように、この歌の解釈は混乱している。私はそのような感覚は理解できない。

万葉集巻一の一 家聞かん

しかし次の節のように置き換えれば説明できる。

家吉閑 名告沙根
家聞かん 名告らさね
家をお聞きしたい。名前を言って頂きたい。


 最後に、次の価値を認めることによってこの歌の解釈の洞察を行なった。一つは全写本を尊重し、その中に書いてあることを認めることです。もう一つは世の中の常識に従うことです。これらの価値はこの歌に対して次の理解を私達にもたらした。

万葉集巻一の一

(読み例)
籠もよ み籠持ち 堀串もよ み堀串もち この岳(おか)に 菜摘ます児
家聞かん 名告らさね そらみつ 大和の國は 押奈(あふな) 戸手(とで)
われこそ 居(お)りしか 告名経(へ)て われこそ座せ われ請(こわ)せば 告らめ 家も名も

(原文の配置)
毛與 美籠母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳尓 菜採須兒
家吉閑 名告沙根 虚見津 山跡乃國者 押奈戸手
吾許曽居師 告名倍手 吾己曽座 我許<者>背齒 告目 家呼毛名雄母

なお私はこの歌は現在の京都府丹後、天橋立の籠神社の付近で歌われたと考えている。なぜならば「この」は代名詞である。しかし指し示すものがない。これは地名と「籠(こ)」がつながっていることを示している。

他の歌と同様、この歌の解釈でも次の理解を得た。
1 歌で信用できるのは、歌そのものである。歌は第一史料、直接史料。
2 注釈は第一史料ではない。その歌集を作ったときの編集した人の考え方がどうであったかを示す第二史料である。

私たちはこの歌は大王雄略の時代(西暦456ー479)に 押奈(あふな)戸手(とで)さんが作った素晴らしい恋の歌であると理解している。

図6の読み一覧表に今まで分かったことをまとめて見た。

万葉集巻一の一 文法

注釈
1)「そらみつ」の解釈は複雑です。ここでは、「満ちた空」としておきます。

下にサンプルとして写本の印影本を示します。(交渉中)

また関係地図を揚げておきます。

万葉集第一歌 地図

(翻訳 横田幸男)

補正表

1)こそ〜しか は已然形の係り結び との指摘を受け改訂。

(改訂年月日 99年8月25日)


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