靖国参拝の本質
古田史学会報
2001年10月 1日 No.46
古田武彦
序
近来、話題とされている靖国神社の問題について、忌憚なく、この小文でわたしの理解をのべたい。すでに触れられたところ、触れられていないところ、いずれも一党一派に一切かかわりなく、一人間として、これを記したのである。
一
第一は、祭祀対象である。靖国神社に合祀された、いわゆる「A級戦犯」の問題は後述する。しかし、この問題に関し、「死者に対しては、もはや差別
せぬのが日本人の宗教感情」といった立論(小泉首相など)があるけれど、これは「靖国神社の実情」に反する弁明だ。なぜなら、近藤勇や土方歳三、さらには彰義隊や五稜郭の死者たちは、いずれも「生前の業蹟」によって差別
され、合祀されていないこと、周知である。それどころか、西郷隆盛すら、西南の役で「官軍」側でなかったから、死後も差別
されて合祀されていない。彼等は果たして「お国」のためを考えなかった徒輩であろうか。
明治維新以前の「お国」(体制側)は幕府側であった。隆盛に至っては、ただ「反、山県(山県有朋・大久保利通
)派」だっただけだったこと、周知のごとくだ。靖国神社ほど、死者を「生前の業蹟」によって峻別
してはばからざる神社は、日本では珍しい。
首相はこれらを「知らず」に食言したのであろうか。もし知っていて言ったとすれば、詭弁に堕せざるやを恐れる。今は中国等の外国人研究者(明治維新の専門家)にとっても、これは既知の常識と思われる。
二
第二は、異宗教の死者。日本の各宗教別の信者数は仏教が圧倒的に多い。死者の葬儀が通
例「仏式」である事実がこれをしめす。キリスト教(旧・新教)等もある。逆に「神式」(日本の神道)は少数だ。
右のような死者の所属宗教の方式を無視し、国家や特定宗教の「力」で各人(兵士)の〈死後の世界〉を変更させる。そのような「力」を誰がもちうるのであろうか。無体だ。
たとえば、最大宗派の浄土真宗(東西本願寺等)。その信者の願うところは「西方浄土」への往生にある。周知の事実だ。靖国神社に祀られた「戦死者」の大部分も、当然「門徒」(浄土真宗)である。それを、国家や他宗教の手で、死者の国を「浄土の世界」から「神の世界」へと変更させるとは。ハッキリ言って、無茶だ。たとえ「日本国民」をそのように洗脳したとしても、世界の誰一人、納得する者はいないであろう。「世界は理解せずとも、日本人はこれでいい。」というのでは、戦前の超国家主義の独善と五十歩百歩。首相の弁明に、世界の心はうなずくまい。
念のために言おう。もしかりに、外国で、たとえばキリスト教の墓地で「回教の兵士」をも含ましめて祀っている例があったとしよう。それが混乱していること、疑いない。逆に、その「誤方式」を以って自家(日本)の弁明とすべきでは決してないのである。
三
第三は、敵人祭祀。より微妙、より重大な問題だ。靖国神社(明治十二年)の淵源が招魂社(明治二年)にあり、その淵源が桜山神社(慶応元年、下関)にあったこと、著名である。高杉晋作が奇兵隊を組織して外国軍隊(四国艦隊)と戦い、その死者三九一柱(追祀、二十三柱)を同神社に祀ったのである。戦いの直後であること、身分、位
階にかかわらず、一切平等に祀ったこと、二十四才の晋作の英断である。
けれども、「敵の死者」たる八名(外国人)は祀られなかった。彼等は「侵略者」であったけれど、あの元軍の兵士の戦死者を祀った蒙古塚や奉祀の社(志賀島や対馬等)の精神から見れば、この八名をもまた「合祀」すべきであった。或は「合祀」しえた。しかし、二十四才の「目」はそこにまでは達していなかった。
これが、「非官軍の死者」すなわち「敵」を祀らざる、靖国神社の「悪しき慣例」となったのである。
特に、奇兵隊の場合は「自国の防衛」であった。「侵略の非」は敵側にあった。しかし、今回の戦争(日支事変、大東亜戦争)の場合、「侵略の非」は我にあり、「敵」は「侵略の犠牲者」であった。彼等は、或は兵士、或は老人、或は女や子供であった。
このような現実の中で、「我」のみを祀り、「相手」を祀らぬこと、それは晋作の精神とは似て非なるもの、ハッキリ言えば、「被侵略」と「侵略」の実質が「一大逆転」し、その一点の意義が気づかれぬ
まま、五十五年を経てきていたのではあるまいか。
遠慮なく言えば、晋作の精神を「実現」していたのは、中国における各地の「抗日戦士之一大記念塔」類なのである。
わたしたちは、五十五年前、「敵の兵士や老人・女・子供を祀る一大慰霊塔」を靖国神社の前に、或は中に建設すべきであった。それが、他国の大地で戦闘し、その大地の人間を多く殺してきた、不幸なる日本兵士に対する真の慰霊であった。そしてすべての英霊の真に喜び給うところだったであろう。わたしは堅くそう信ずる。
四
第四は、宗教伝統。弘仁四年(八一一)六月、最澄の記したとされる「長講金光明経会式」の中には、その冥福を祈るべき諸霊として、次の文言が見える。
崇道天皇御霊等、伊予親王御霊等(中略)東夷毛人神霊等(中略)結恨横死古今霊(下略)
(伝教大師全集、二八七~八頁)(注1)
古より、国家の政治・戦乱の間に「結恨横死」した諸霊に対し、「桓武天皇御霊等」と共に、その冥福が祈られている。
このような「精神」の中から、あの親鸞やさらに日蓮のような、権力者の前で一歩もゆずらず、しかも彼等の「敵」(権力者)に対して、その永遠の救済を求める、人間の、人間らしき宗教輩出の時代を迎えたのである。
これらに比すれば、明治維新以降の「靖国の精神」は貧困だった。決して日本古来の伝統をうけついではいなかったのである。
たとえば、「大祓(はらえ)の祝詞」では、「天つ罪」と「国つ罪」をあげ、共に、
すめみま みこと みかど よも
皇御孫の命の朝廷を始めて、天の下四方の国には、罪といふ罪はあらじと(下略)
(注2)
と言い、「敵の罪」を非とし、「我が罪」は是とするような、「けつの穴」の狭い精神は全くしめしていない。これが日本の伝統であり、靖国神社はこれに反している。
百三十年の非を決然と改め、靖国神社は近藤勇も、西郷隆盛も「合祀」し、日本の悠久なる、深き宗教伝統に今従うべきである。
さもなくば、直ちに「靖国」の名を「靖天皇」と改めねばならぬであろう。
五
第五は、A級戦犯。わたしは「この人々の霊を、断乎、靖国神社に祀るべし。」そう考える。なぜなら、右にあげたように「結恨横死の霊」こそ祀らるべきなのである。幸福な人生を遂げ、衆人の賛美の中にその十全の人生を過ごした人々より、この「結恨横死」の人々こそ祀らるべきだ。それが真実の宗教である。
日本軍の「侵略」の中で死んだ、外国の多くの人々も、当然そうだ。日本の中では、他の誰人よりも、まさに「A級戦犯」の人々ほど、「結恨横死」にして、今も霊が宙にただようている人々はいない。その人々をさしおいて、他の誰を祀るのか。
もう一つ、「A級戦犯」というのは、政治だ。これに対し、「祭祀」は宗教である。政治を宗教に優先させる。これは天下の邪道だ。近代国家の傲慢である。宗教は、政治の外、政治の上に立つ。これが人類史の到達してきた道標である。
それ故、「A級戦犯、除外」という政治判断に対して、わたしはハッキリ「否(ノー)」と言う。その点、靖国神社側の判断は正しかった。いかなる外国、近代国家の「干渉」がかりにあろうとも、断乎「拒否」すること、それこそがわたしたちの「軍国主義、徹底拒否」の証明である。もし「除外」された霊は、必ず報復の日を、何千年でも待ちつづけることであろう。日本国民と世界の人民に対して。
六
第六は、天皇の任務。近年、「靖国参拝」問題が首相に関して語られること、不審だ。なぜなら、誰人よりも、この参拝をなすべきは、天皇その人である。靖国に祀られている人々は「天皇の名によって」戦い、死んだ人々だからである。
外国の批議や非難を恐れ、参拝したり、中止したりする、いわゆる「A級戦犯の合祀」で、また態度を変える。醜い。
「A級戦犯」の執った道は、まさにあやまっていたこと、疑いないけれど、それが彼等の主観においては、ひたすら「天皇のため」であったこと、わたしは一度も疑ったことがない。
それなのに、当の天皇が右顧左眄(べん)し、参拝や不参拝にためらうとは、わたしには信じられない。
「天皇のために」の前に、本当の「国民のために」がなかったこと、さらにその前に「アジアと人類のために」のなかったこと、それらが天皇参拝の一瞬に、両者の間に電光のように光りかがやくのではあるまいか。「A級戦犯」の霊も、深くその一瞬を喜ばれることと信ずる。
首相の主任務は、政治だ。しかし天皇の主任務は祭祀だ。その祭祀を怠ることは、一国の象徴として、許されうるところではない。
七
第七は、諸宗教参拝。これが核心である。問題の本質だ。戦争で亡くなった兵士たちは、必ずしも「神道信者」ではなかった。「死んだら、靖国へ。」を鼓吹したのは、軍国主義の「洗脳」の表現だった。まさにそのためだった。今は、それらの「軍国主義、洗脳」は否定された。それを再び「復活」させてはならない。
天皇は、朝に靖国神社へ参り、夕に築地本願寺へ参らねばならぬ。或はカトリック教会、またプロテスタントの教会、そして創価学会の霊域に参拝すべきである。
なぜなら、そこにはやはり、戦死した英霊が祀られている。また戦時中の宗教弾圧の中で憤死した偉霊が祀られている。天理教も、大本教も、そうだった。
それらの諸霊の前に、天皇は深く拝礼し、「謝罪」すべきだ。それは何等恥ずかしいことではない。もちろんだ。逆に、人類の面
前で、はればれと「わたしは、日本の天皇です。」と言いうるための、いわば必須の「洗礼」なのである。
首相もまた、「靖国参拝」は大いに可だ。何の遠慮もない。ただし、同時に右の諸宗教参拝の行為が不可欠だ。それがなければ、世界から、内心で「怪しい奴(やつ)」と見られることであろう。そのような世界の人々の心に「戸」を建てることはできない。いかなる「首相の弁舌や権限」を以ってしても、それは不可能である。
八
第八は、榊(さかき)立て神事。信州(長野県)の穂高神社に「榊立て神事」がある。アルプス山麓の古社だ。お船祭で名高い。来年五月十五日の御遷宮祭に先立ち、二月十一日に「榊立て神事」が行われる。神社の周辺、一里四方の四個所に榊を立てる。その内域が神聖なる領域となったことを宣告するのである。本来の意味、正しい意味での、真の「聖域」だ。簡素ながら、古来の由緒深い儀式である。
首相は「靖国参拝」に先立ち、靖国神社の社前で(或は、外で)この「榊立て神事」を行い、その場で、中国や韓国やアジアなど、全世界で戦のために死んだ人々、特に日本軍の犠牲になった万霊をとむらう、簡素にして荘厳なる儀式を行うべきである。
そのあとで、「靖国参拝」を行うこと、これが日本の首相のなすべき義務だ。世界はその一事を注視していることであろう。
わたしも、八月十五日、わが家の小庭の木の一枝に「中・亜・全世界の慰霊樹」と書いた、小さな紙片をくくりつけたいと思う。一介の庶民のささやかな願いと一片の志をそこに深くこめたいからである。
〈補〉「中国・韓国の発言」について。
首相の「靖国参拝」に関し、中国や韓国から「中止」の要請が伝えられている。そしてこれを「内政干渉」のように論ずるものがある。非(ノー)だ。
なぜなら、これは両国にとって「国内問題」である。抗日や反日の戦いに斃れた人々を祀ること、両国にとって、その国の立国の「精神」にとって、不可欠の重大事だ。
その点、たとえば中国の場合、「抗日戦士之一大記念塔」は、日本の奇兵隊と同じく、「外国の侵略を防ぐ」ための名誉ある戦死であるから、何の問題も生じないか。わたしはそうではない、と思う。
なぜなら、同じ「抗日戦士」でも、中共軍(八路軍)と国府軍があり、後者の子弟(子孫)も、当然ながら、中国本土の国民(人民)の中には多く存在する。その処遇をめぐって、さまざまの問題や困難が生じよう。
これに対し、「抗日の対象」たる日本人、すなわち「A級戦犯」を日本の首相が公然と参拝したとすれば、そしてそれを現在の中国政府が「賛成」もしくは「黙認」したとすれば、中国の全土の全人民から、猛然たる反応がおこる。それを中国政府は深く恐れているのではあるまいか。すなわち「国内問題」だ。韓国の場合も、これと大同小異の問題を内蔵しよう。
従って、「内政干渉」云々の言辞を内につつしみ、当方(日本)のすじの通った対応、決然たる意思と深い哲学、それがもっとも、今、求められている。そのように言うべき時なのではあるまいか。
もし、日本政府にその自信がないのなら、「参拝」のいかんを問わず、今回もまた、真の問題を「先送り」する他はないことであろう。
〈注〉
(1) 当文書成立に関する史料批判は、別
述。
(2) 『まぼろしの祝詞誕生』(新泉社刊)参照。
― 二〇〇一・八月八日、記 ―
インターネット事務局注記2001.8.20
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