『彩神(カリスマ)』 第十話 若草の賦(ふ)1・2・3・4・5 杉神1
◇◇ 連載小説 『 彩 神 (カリスマ) 』 第 十 話◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
若草の賦(ふ)5
−−古田武彦著『古代は輝いていた』より−−
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇深 津 栄 美
翌日から、白日別(しらひわけ 北九州)における天火明(ほあかり)と邇々芸(ににぎ)の共同統治が始まった。兄が午前中、祭儀を司り、弟は午後から軍事訓練や領内の視察を受け持つ。人々が新政府に納める租税は穀物や粗布にしてどれ位か、農民は一人当りどれだけの田畑を所有するのか、大臣達は何軒の家、何人の奴婢を持つのが適(ふさわ)しいか、商人(あきんど)達が市を開く日取りの決定といった司法、行政問題は、兄弟が相談して解答を出した。兄弟で国を治めるのは、新たな戦いを誘発する原因になりはしまいか、と天国(あまくに)の兵士らも内心で、危ぶんでいたが、権限の分担がうまく行った為か、二人の足並みは揃い、新政府は順調に滑り出して行く様子だった。
新政府樹立にちなみ、中心となる橿日の宮(かしいのみや 現福岡県香椎宮かしいぐう)が高祖(たかす)、金山(かなやま)、立花(たてはな)と連峰を背にしているところから、「木の国」の名は「耶馬」(山)と改められ、白日別の人々が代々信仰して来た曽富理(そほり)神も天照(あまてる)に取って変わられ、宗主だった大国(おおくに)は「出雲」と改称されて須佐之男(スサノオ)は天照の弟、栄光(はえ)ある御先祖(みおや)の大年(おおどし)、連甕(つらみか)らはその子孫に編入されて一段下の身分と目される事となった。
「須佐之男様が天照の弟だと?」
「酔ったあげくに新嘗殿(にいどのでん)を汚し、山野の開墾の邪魔をし、縫殿(ぬいどの)に馬の死骸を投げ込んで女達を惨殺したとは、まあ、よくもでたらめを思いつけるもんだ。」
「おまけに出雲へ放逐(ほうちく)されただなんて、大国はいつから流刑地になり下がったんだい?」
「八千矛様も『日隅(ひすみ)の宮』で呆れてなさるだろうよ。」
「これからは酒作りの時、連甕様の讃歌(ほめうた)も唄えないのかねえ・・・?」
橿日の宮お抱えの語り部達が改竄神話を合唱するのを聞いて、人々は二の句を継げなかったが、木の国の王女二人を人質に取られた格好では手の刻(ほどこ)しようもない。
無理矢理敵将との婚礼に引き据えられて以来、岩長は殆ど奥の間に籠(こも)っていた。天火明(ホノアカリ)は、運動不足は血の道持ちになりやすいと気遣い、土地勘を養う口実で暇を見ては岩長を馬に乗せ、表へ連れ出した。大陸から天国へ伝えられた染色技術を白日別でも一般化させようと仕事場を設けて、岩長や木の花にも半強制的に訓練を受けさせもした。
農耕中心社会では、誰でも十才前後になると炊事、洗濯、掃除、牧畜や農作業の基礎を教え込まれる。染色は原則的には女の仕事(もの)だったが、子供や老人の場合は男も参加して構わない事になっていた。
「まあ、坊や、上手ねえ。」
「この翠鳥(そにどり 川蝉)の舞い、巧く出来たじゃないの、お爺ちゃん。」
並みの女では考えつかないような色模様を描いて、くやしがらせている者もいた。
岩長や木の花も、茜草(あかねぐさ)や紫貝の絞り汁に布(きれ)を浸したり機(はた)を織ったりしている間は、余計な事に頭を煩わせていられなかった。染織は細かい神経を要求されるから、仲間に話しかけられても返事も出来ない時がある。
が、反物(たんもの)なり衣服(きもの)なりが仕上がって気が休らいだ途端、一体、自分達はこんな所で何をしているのか、という思いが襲いかかって来た。若草色の地に浮き出た白百合の花模様は宗像の祭礼の為、建御名方も交えて久山(ひさやま)の裾野へ花つみに赴いた時を回想させ、浅茅ケ原のような朽葉色に榛の木で染めた疾走する焦茶(こげちゃ)の馬は、嫌でも峰風の姿を髣髴とさせた。爽快な海風、目路(めじ)の限り広がる青い燦めき、鴎の鳴き声、港の彼方に黒い大どかな翼を見せている宗像の森・・・笠沙の岬へ向かう馬上で、自分は何と幸福だった事か。国は平らかであり父母も叔母も健在で、桃の花が綻(ほころ)び、満開(ひら)き、香わしい実を結ぶように、妹の将来も保証されているかに思われていた。だが、今、自分達は心ならずも敵将の妻になり、父母は殺され、叔母は自害、許婚者(いいなづけ)とは引き離されて故国(くに)は壊滅、先祖伝来の信仰さえ蝕(むしば)まれている。
けれども、鉄と銅では勝負にならない。古(いにし)え、黒曜石の鏃で「北の大門」(現ウラジオストク)攻めを敢行した大国の御先祖(おみや)の八束(やつか)が、青銅の武器を持つ農波(のなみ「北の大門」に同じ)、佐伎(北朝鮮)の軍勢に苦戦を強いられたように、被害を拡大せず、木の国を再建するなら、自分達が率先して鉄の精錬法を普及させる事だ。自分達は木の国の王女、庶民を守り、導くのが役目なのだから。
しかし、自分達の忍従を贖(になが)うものが、この世には存在するのだろうか・・・?
心は愛しい建御名方の後を追い続けているのに、現(うつ)し身は夜毎敵将の腕の中に休まねばならないのだ。
(建様、どこにいらっしゃるのです?あれから一年《当時は年に二回年を取る二倍暦。従って、この場合は半年となる》はたつのに、あなたも、追撃に向かった建雷や天鳥船も帰って来ない・・・便りのないのは吉報と申しますから、あなたが討ち取られたなどとは信じません。唯、どんな形でも良い、無事でいると一言、お便りを寄こして下されば良いのに・・・)
だが、それから間もなく、岩長の苦悩に追い打ちをかける事が生じた。
ある夜更け、
「この大騙り!」
激しい平手打ちの音と共に、
「嫌、嫌、やめて!」
と、悲鳴が聞こえ、
「何事だ?」
天火明や岩長が起き出してみると、邇々芸と木の花がもみ合いながら転げ出て来た。邇々芸が髪の毛をつかんで引摺り回そうとするのを、木の花は必死にもがいて逃れようとする。
「やめぬか、こんな時間に──」
天火明が割って入ったが、
「花、その姿は・・・?」
岩長は息を飲んだ。妹の腹が大きく膨らんでいる。今朝まで異常は見られなかったのに・・・自分達が天国の皇子(みこ)兄弟と結ばれて半年以上たつのだから、妊娠してもおかしくはない。だが、姉にも黙っていたという事は、木の花は敵将の子を孕んだのを恥じて固く帯でも巻き付け、隠していたのだろうか・・・?
邇々芸も岩長とは別の意味で疑問に駆られたのだろう、
「彼女は俺の子だと言っていますがね。俺が木の花を引き入れたのは、後にも先にも釣川でだけですよ。一回きりで妊(みごも)るなんて、兄者は聞いた事がありますかね?」
まるで、天火明が妻の不義の相手でもあるかのような調子で聞いた。
「一度で妊ったのなら、正(まさ)しく宇宙神(あめのみなかぬし)の申し子というべきではないか。何年かかっても、一人の子も生めない者も大勢いるのだぞ。」
天火明はなだめたが、
「兄者までそんな事を・・・?」
邇々芸は眉を吊上(つりあ)げ、
「川縁(べり)で木の花が相手にしたのは、俺だけじゃない。誰が父親かも判らないのに、神も申し子もあるものか──!」
と、吐き捨てた。
「口が過ぎるぞ、邇々芸。」
声を荒らげる天火明を掠(かす)め、やにわに邇々芸目がけて松明(たいまつ)が飛ぶ。
「花──!」
止めようとする姉の手を摺抜けて、木の花は外へ走り出た。周囲が見る見る昼と紛う明るさになる。松明が、白木の柱や床板に燃えついたのだ。
「火事だ──。」
「水を!」
「邇々芸様のお室の方だぞ──。」
番兵達の叫び声と足音が木精(こだま)す中を、木の花は池へ飛び下りた。池心(こしん)には、父が麻羅の一族に造らせた噴水(ふきあげ)が、夜目にも勢い良く飛沫(しぶき)をはね返している。木の花はためらわず水柱の下へ潜り込み、裾をたくし上げ、股間に両手を差し入れた。木の花の愛くるしい顔が、水飛沫を透かして天竺(インド)のシバ神の忿怒(ふんぬ)もかくやといわんばかりに歪(ゆが)む。
「待て、早まるな!」
「花、後生よ──!」
岩長と共に追いすがった天火明を、木の花は指さして、
「我が腹に宿りしは三つ子、中(うち)一人は邇々芸に蹴られて死産した。残る二人も、運には恵まれないであろう。今後、双子は家に災いし、天国の血は未来永劫呪われよ!」
と、絶叫し、二つの血の巨塊を水中へ叩き落とした。
(完)
これは会報の公開です。
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