I み吉野の御船の山に立つ雲の常にあらむとわが思はなくに

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二〇〇〇年一月二十二日 古田武彦懇親会

み吉野の御船の山に立つ雲の・・・

 最後に面白い問題を述べたい。
 佐賀県武雄。武雄温泉、以前の調査でも一泊しました。今回も古田史学の会木村さんが、いち早くここへ水野さんや私を連れて行きたい。そう言って宿を予約していただいた。八日が嘉瀬川の調査、九日の午後博多の講演と言うことで忙しかったのですが、木村さんがぜひ見せたいと思っていたのは御船山なのです。
 これについては実は問題の歌で、人麻呂が歌った歌がある。
 
 岩波古典文学大系に準拠
『万葉集』巻三 二百四十四歌
 み吉野の御船の山に立つ雲の常にあらむとわが思はなくに
  右一首、柿本朝臣人麻呂の歌集に出づ。
(原文) 三吉野之 御船乃山尓 立雲之 常将在跡 我思莫苦二

 実は私はこれを発見して喜んだ歌なのです。何故かというと『古今和歌集』の序文。古今和歌集の序文というのは、紀貫之が大変なエネルギーと独創力をつぎ込んで書いた名文章であると私は考えている。それを後世の人は誤解してきたのではないか。その中で、人麻呂は歌の聖と言われていた。ところが貫之の方から見ると「物足りないよ。」という話が出てくる。それが今の歌である。吉野を歌って、雲だけを歌い桜を歌っていない。そう言っている。しかし岩波の古典大系の注を見ますと「そんな歌はない。」と書いてある。しかし何処かで見たような気がする。だから一生懸命探したらあった。それがこの歌巻三の二四四です。雲を歌って桜を歌っていない。紀貫之がいちゃもんを付けているというか、人麻呂のことを「歌の聖」と言われていたが、自分から言うと物足りないと云っている。確かに奈良県の吉野なら、桜を歌って当たり前だ。そう思われても仕方がない。『万葉集』でも桜の歌を結構歌っている。万葉に桜の歌はないというのは嘘で、万葉に桜の歌はかなり有ります。だのに桜を歌っていない。紀貫之がそうクレームを付けている。その意味で彼のクレームは非常に鋭い。そのクレームの後、人麻呂と赤人の比較論に入っていく。「人丸は赤人がかみにたゝむ事かたく、(人麿は赤人の上にいかない。人麿は赤人の上ではない。)」と書いてある。詳述は略しますが、今度発刊される『古代史の十字路ー万葉批判ー』(東洋書林)を見て下さい。結局どちらにしても「赤人が上だ。」という話に入っていく。いきなりその話に入っていくのではなくて、間にクレームが入っていることに意味がある。それで最後は、「いにしへをあふぎて、いまをこひざらめやも。」で終わっている。つまり我々の古今集がもっとも優れた歌である。赤人もかなり進んでいるが、もっと良いのは我々古今集が技巧的に優れている。これこそ芸術だ。そういう文脈となっている。だから今の人にとって、その歌がないと理解した為に、その歌が持っている仮名序における文脈上の役割が、カットされてしまった。私は、この歌を見つけたことに非常に意味があった。とにかくそういう経過で『万葉集』には、明らかにこの歌がある。人麻呂の若いときの歌のようで、また人麻呂歌集とあるので人麻呂自身の歌か議論がありますが、紀貫之の目から見ると人麻呂の歌である。
 その歌に「御船の山」とあるが、奈良県の吉野にも三船山はある。しかし行って見て、はてな!と首を傾げた。全然特徴がない。あれが三船山かとさんざん考えた。さらに宮滝の歴史資料館の方に行って、やっと確認した。その山は特に船の形をしていませんし、第一宮滝は舟遊びは出来るかも知れませんが、船になにか特徴があるような川でもない。そこで「御船の山」と『万葉集』に有ったから逆に付けた名前ではないか。そんな馬鹿なと思われかかも知りませんが、「水分(みくまり)山」という山がある。あれが「水分(みくまり)山」だと霞に霞んでいたが、宮滝の歴史資料館の方に教えていただいた。但しあそこの山は分水嶺になっていませんと正直に言われた。別 の山があって、その山が本当の分水嶺の山である。分水嶺の山になって無くて「水分(みくまり)山」という名前を付けることはあり得ない。現在万葉を読んで「水分(みくまり)山」が無くては困る。だから名前を付けた。そういう話になっているようだ。だから「御船の山」もどうも同じ手口ではないか。どうもあの山を見ても、この山だという気がしない。
 それに対し佐賀県の御船山は、木村さんが絶対に見せたいと思ったとおりの「御船の山」ですよ。私はお恥ずかしいのですが、前回行ったときに御船神社に行ったので、明日の講演のこともあり今回は遠慮します。皆さんで行って来て下さいと言った。しかし朝になって考えて気が附いたのは、吉野ヶ里にも吉野がある。吉野山もある。ふたつ吉野がある。それから古賀さんに情報を頂いていたのは、武雄にも吉野はある。場所はどこか分かりませんが『太宰管内志』にも吉野がある。そうすると吉野が三つ有る。それまで私は「三吉野」という言葉が出てくるが、美称の接頭語である「御(み)」であると理解していた。皆さんもそうであったと思う。奈良県に吉野は三つ無いです。一つしかない。しかし佐賀県に三つ有る。文字どおり「三吉野」です。「三吉野の御船の山」は本当に、ここではないか。あわてて宗旨替えしまして、私も連れていって頂きたいと言いました。そう考えてタクシーに乗って行きました。確かに素晴らしい山だ。一回見たら忘れられない御船山だ。船の形をして居て、平地の中にその山だけが突き出ているから印象的だ。しかも山の上の岩。岩があること自体は珍しくないですが、岩が実に小刻みに刻んだ岩が目の前に大きく連なっている。何とも言えない神秘的な忘れられない印象の山です。木村さんが見せたい!と思ったのは当然です。ついでながら簡保(郵便局の簡易保険)の宿が、高い山の上にある。まさに御船山を見下ろす絶好の位 置にある。そこの三階のレストランに上がると御船山が見事に見えていた。しかしその場合は、そこから頂上は二つしか見えていなかった。ところが運転手さんに聞くと三つ有りますよ。その日は博多に行かなければならないので、そこで終わった。
 そして京都に帰ってから武雄市に電話すると、文化情報課の担当の女性の方が非常に熱心に教えて下さった。そして資料と写 真を送って頂いた。まさに三つ見えるのは、JRの線路の上から三つ見えます。しかも艫峯(ともだけ)、帆峯(ほだけ)、次が先頭なのですが何と鞆峯(みよしだけ)。船偏に手の鞆と書いて「ミヨシ」と読みます。辞書を引いたら出てきます。ここでも「ミヨシ」が出てきた。

図一佐賀県武雄温泉
 御船山
図二御船山南 東側


三吉野の御船の山に立つ雲の常にあらむとわが思はなくに

 ここで、まず間違いなく、「三吉野の御船の山・・・」と人麻呂が歌っているのは、ここだと思った。この御船の山を歌わなければ詩人ではない。そのような山だ。歌うに価する山だ。そうすると、この歌はすごい歌になってきた。以前でも古今和歌集の紀貫之が言った歌を発見した後、高田さん当たりに言っていたのはこの歌は平凡な歌ではない。「常にあらむ いつも世の中は同じとは思えない」と歌っているとおり、無情というか、そういうものを述べている歌でなかなかのものですよ。そういうことは言っていた。しかし事の真相に気がつかなかった。なぜかと言いますと「三吉野」は三です。「三船」も三です。掛け算三X三=九です。冗談かと思われるかも知れませんが、これには伏線がありまして、人麻呂の他の歌に「十六社者」と書いてありまして「ししこそは」と詠んでいる歌がある。これは万葉では有名な例である。人麻呂が算術の計算をして表記している例なのです。そういう人麻呂ですから三X三=九の計算ぐらいは出来るでしょう。そうすると「三X三」とは何かというと、雲が立っている。その雲は「九重の雲」が立っているとなる。
 つまりこの歌の真意は、今は九重の雲が棚引いているが何時までもあるとは私には思えない。そういう歌になる。「九重の雲」とは天子のことで、天子と言って今は威張っているけれども、しかし何時までもあるとは限らない。今は覆(おお)っているが何時までも覆っているとは限らない。この歌は並の歌ではない。人麻呂歌集ですから若い頃の歌だと思いますが、若い頃からそういう非常に鋭い感じ方を持っていたのではなかろうか。そう思います。
 以上二〇〇〇年初めの大きな収穫を得ることが出来ました。


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