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古田史学会報18号


『奥の細道』芭蕉自筆本と筆跡学の水準 天国在銘刀と和田末吉
古田史学会報
1997年 2月26日 No.18
和 田 家 文 書 研 究 余 話

『奥の細道』芭蕉自筆本と筆跡学の水準

京都市  古 賀 達 也

  わたしが和田家文書研究を始めて、まる三年になる。おかげで、さまざまな学問分野について勉強するきっかけを得たのだが、なかでも筆跡学は真偽論争の中心テーマをなしたためか、古田先生より手ほどきをしていただく機会にも恵まれた。東京出張を利用し、その帰りに本郷の先生宅へうかがい、和田家より送られてきた明治大正写 本を、それこそ何時間も見て見て見抜く、という基本調査に始まって、次いで喜八郎氏と章子さんの筆跡を対象として同様の日々が続いたものだ。その一方で、先生の親鸞研究における筆跡研究論文を何度も読み返した。そうして、ようやく分かってきたのが、「一目見ればピタリとわかる」という「筆跡鑑定家」ほど信用できない、ということだった。偽作論者がまさに、この好例だ。
 そんなわけで、昨年『奥の細道』芭蕉自筆草稿本が発見されたときも、その筆跡鑑定に注目していたのだが、本年、岩波書店よりその影印本が発行されたので早速入手し、読んでみた。特に興味を引かれたのが、巻末に収録された上野洋三氏による解説「芭蕉の書き癖」であった。
 氏の解説によれば、「生涯」などの「涯」を芭蕉は「」と書く癖があるが、発見された草稿本も同じ誤字が書かれている。その誤りを受け継いで、弟子の利牛による写 本(曾良本)も同じように「」と書かれている。 ただし、曾良本はその誤字に気づいた芭蕉自らが横に「涯」と「見せ消し」にして書き改めている。これとは反対に、芭蕉の誤字を書写 者が正字に改めているものもある。
 後者の例で、思い出されるのが、『新・古代学』1集に掲載された和田喜八郎氏の自筆中、「断固」の「固」を「」と書き誤る喜八郎氏の書き癖が和田家文書明治大正写 本中にも見えることを根拠に、偽作論者(斎藤隆一氏)が、誤字が共通するから同一人物が書いたものとされた例の一件だ。喜八郎氏は『東日流外三郡誌』などを写 したり、参考にして研究する中で、末吉や長作の文体や書き癖に似てしまったのだが、同じく斎藤氏が喜八郎氏の自筆原稿とされた「知られざる聖域日本国は丑寅に誕生した」という大部の原稿中の「固」は正しく「固」と書かれている(全二例。類字の「個」もすべて正しく書かれており、つくりが「」とされたものはない。全四例。いずれも筆者調査による)。この筆跡状況は、斎藤氏や偽作論者たちが喜八郎氏との自筆原稿として筆跡鑑定の基本資料に用いた「知られざる聖域日本国は丑寅に誕生した」が喜八郎氏の筆跡ではないことを裏づける。 すなわち、古田先生が指摘されたように、この原稿は娘の章子(ふみこ)さんの筆跡なのだ。
 章子さんも和田家文書や父喜八郎氏の文書の書写や清書をされるうちに、書き癖が先祖の字に似たのであるが、同原稿清書のさい「固」の字については喜八郎氏の誤字を改めて正しく書き直されているのだ。この現象に斎藤氏は気づいておられないか、あるいは自説に不利になると知って、伏せられたかのいずれかであろう。なお、章子さんへの聞き取り調査によれば、ご自身いくつかの字体を使い分けられているとのこと。それは、先祖の字と自らの本来の字体との使い分けと思われる。
 このように上野洋三氏の解説は現在の筆跡学の水準の一端を示しているのだが、それに比べると和田家文書偽作論者の筆跡鑑定は全くおそまつと言うほかない。上野氏は解説末尾に『奥の細道』曾良本の筆跡に関連して、次のような辛らつな一文を記されている。

「<天理図書館善本叢書第十巻に掲載された『奥の細道』曾良本の>解題を書いた故宮本三郎教授は、章題には『奥の細道伝曾良筆』としながらも解題本文の中では、

 慎重を期して一応伝曾良筆として取扱って来たが、その筆蹟は曾良句箋・元禄三年九月廿六日付の芭蕉宛曾良書簡(天理図書館蔵)、その他の確実な曾良筆蹟に徴してほぼ曾良自筆と断じて誤るまい。

として、その曾良筆なることを言明したのであった。だが、宮本教授の学識と善本叢書の権威にもかかわらず、この断定はひそかに信用がなかった。<中略>このような状況から、近年は再び『曾良本』の筆者は全部芭蕉だとする意見も出始めている。だが、それは短絡的であろう。芭蕉真蹟とされるものから遠ければこそ、曾良の筆かとされたのである。『曾良本』はやはり芭蕉の筆などではない。そのような論者は、伊賀の土芳や半残などの筆蹟を、名を隠して見せたら、喜んで芭蕉の字体だと断言するであろう。伊賀上野の人々は、あるいは習字の師系を同じくするのであろうか、しばしば芭蕉の筆蹟に似ている。『曾良本』よりもはるかに。」
(<>内は古賀による注)

  大家や権威の筆跡鑑定にも間違いがあり、習字の師系が同じ場合、しばしば筆跡が似るという、まことに的を得た指摘だ。これが現代の芭蕉研究や筆跡学の水準なのであろう。比べて、所蔵者や当事者への確認も怠り、書き癖や誤字が似ていればすべて喜八郎氏の筆跡と喜んで断言してきた筆跡鑑定者や偽作論者たちは、深く恥じねばならない。
 偽作論者たちは、『奥の細道』芭蕉自筆草稿本の筆跡鑑定の方法を自らの鑑定方法と同じなどと称しているようだが、上野洋三氏にすれば、さぞ迷惑な話であろう。筆跡学の水準を踏まえた芭蕉自筆本の研究に比べ、偽作論者の鑑定は筆跡研究史上好個の悪例なのだから。

インターネット事務局注記2000.12.31

は編は三水で、旁は雁(中の人編はありません)です。
は編は国がしらで、旁は吉です。


中 間 報 告

天国在銘刀と和田末吉

京都市  古 賀 達 也

昨年末、和田喜八郎氏より次の情報が寄せられた。

1. 「天国」「天座」在銘の刀剣が仏壇の掃除中出てきた。父(元市氏)が既に売ったと思っていた。

2. 大正時代のものと思われる「鑑定書」も付いていた。(日本刀剣学会の印あり。古備前包平作と鑑定。)

3. 同じく大正時代の新聞の切抜きが付けられており、「天国」を刀剣展覧会に和田末吉が出品したことが記され、国宝級とされる。(ただし、和田末吉の「和」の字は破損のため読めず。また、記事は途中で切断され、全文は不明。見出しの「国宝級」の下にあったと思われる見出しの続き部分も切り取られている。)

 新聞の記事については、藤本光幸氏により本号にて報告されている通りだが、新聞名や発行日部分はないため、現在調査中である。喜八郎氏によれば祖父長作氏からの話としてこれらの刀は先祖代々和田家に伝わったもので、大正二年か三年頃に刀剣展覧会に出品したが、大凶作のため一族の生活の資金を得るために、売りに出した。その後、昭和になって買い戻した。とのことであった。
 現在、調査途中なので断定は避けなければならないが、これらの情報は次の重要な意味を持つであろう。
一つは、和田末吉の名前が和田家文書以外の新聞紙上で見つかったこと。
二つは、昔から和田家には貴重なものなどなかったとする偽作論者の主張が虚偽情報であったことが明白となること。
三つは、新聞の切抜きを保存していたという事実は、末吉・長作文盲説への反証となること。
四つに、和田家の収蔵物を偽物扱いする偽作キャンペーンに対して、大正時代に「国宝級」と鑑定されていた刀が、今も和田家に存在するという事実が明かとなること。

 などである。なお、問題の新聞切抜き記事は東奥日報でも弘前新聞でもない可能性が強い(一段の文字数や見出しの付け方が、両紙とは異なる)。以上、現地の会員の方々へ調査協力をお願いし、中間報告とする。


 これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』第一集〜第四集(新泉社)、『古代に真実を求めて』(明石書店)第一・二集が適当です。 (全国の主要な公立図書館に御座います。)
新古代学の扉 インターネット事務局 E-mail sinkodai@furutasigaku.jp


野村孝彦氏の和田氏控訴審に関するその後の報告 仙台高裁、「盗作説」を退ける へ

古田史学会報18号

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