『なかった ーー真実の歴史学』第6号 へ

序言 中言 末言  古田武彦   2009年 7月20日

序 言   古田武彦


     一

 筆をおこう。歓喜の擱筆である。六号にして本誌刊行の目的を達し、深い喜びをもってこの稿を終える。天与(てんよ)の幸せだ。
 本誌の依って立つ「真実の歴史学」の立地に対し、賛成する方であれ、反対する方であれ、すべての方々に対して厚い感謝の声を贈りたい。ありがとう。

     二

 思い出す。平成十八年、わたしは書いた。
 「『寛政原本』も、必ず日の目を見ることがある。そう信じています。(1)
と。しかるにその年、文字通りの「寛政原本」に接したのである。東京の八王子の大学セミナーの講師室だった。
 青森の竹田侑子さんから送られてきた文書群の中に、わたしはそれを「発見」したのである。
 これにより、すでにことは決した。“ふんぎり”悪き人々は、これからも長広舌をなすかもしれないけれど、すべては無駄だ。事実を「舌」で消すことは、人間には不可能なのであるから。

      三

 望外だった。「東日流(内・外)三郡誌」の中から「天皇記と国記」が“発見”された。その引用が散見すること、すでに知られていたけれど、そこには恐るべき「リアリティ」が含まれていたのである。
 日本列島への稲作の渡来時期(BC九二三)など北方(ピョンヤン方面)と西方(江南方面)からの各伝来経緯が書かれていた。記紀(古事記・日本書紀)には及びもつかぬ、歴史認識、それが他でもない「天皇記」からの引用だった。
 今回の「寛政原本」発見の“偉人なる副産物”となった。(2)

     四

 発見が相次いだ。
 七世紀後半の銘文(金石文)が次々と九州王朝の実在を実証したのである。従来は「誤謬」や「錯誤」、また「追造」とされていた銘文が、実は九州王朝という「柱」をいったん導入すると、歴然と“解けて”きた。
 金銅小野毛人墓誌(京都)と「船王後墓誌」(大阪)の銘文が「矛盾」と見えていたのは、あくまで「近畿天皇家一元史観」に立ち、記紀の記述を「絶対化」していたためにすぎなかった。それが今や明白となったのである。

     五

 今年は、わたしにとって記念すべき年となる。
 『「邪馬台国」はなかった』『失われた九州王朝』『盗まれた神話』にはじまる一連の著作の「新版」の刊行だ。振仮名と共に、若い読者へのメッセージ(補注)の添付である。面目を一新しよう。
 懸案の研究叢書『俾弥呼 ひみか』と共に、わたしの一生の思い出を記しとどめよう。
 ただそのための「休刊」に対し、江湖の方々の心からの御支援をいただきたい。そして願わくは、天が若干の余命を恵まれんことを。

 
(1)『古田武彦と「百問百答」』(古田武彦と古代史を研究する会編)八四頁。
(2)藤沢徹氏の御教示による。


中 言


     一
 楽しい本に出会った。『七十歳からの自分史、わたしの棟上寅七』という。著者は、中村通敏(みちとし)氏。私家版ではあるが、歯切れよく、読みやすい。「棟上寅七」はペンネーム。すでにホームページで鋭い書評を連載されてきた。
 七十歳まで、国の内外での仕事を終えたあと、その後の人生を次の一事に向けよう、と決意された。「古田の歴史学の視点から、古代史関係の、一般に読まれている本を一つひとつ調べてみよう。」との趣意だった。
 たとえば、安本美典『倭の五王の謎』、邦光史郎『邪馬台国の旅』、高木彬光『古代天皇の秘密』などが“槍玉”にあげられている。興味深い。もちろん、わたしには「未知」の方だった。
 かつて在職中に「がん」の告知を受け、定年前に会社を去り、「古田の歴史学の立場で、日本の歴史を分かりやすく書いてみよう。」と、少年少女向けのストーリーを書きあげることを、残りの人生の意義とされた。あの酒井紀年さんのことが思い合せられる。(1)
 中村さんの場合、至って健康な月日の中で、お孫さんの「ノリキオ画伯」の応援を得て、多くの挿画付きの今回の本が完成した。(2)

     二

 さらに楽しい本が出ようとしている。角田彰男さんの歴史推理小説『炭焼長者・黄金の謎 (3)』(仮題)だ。「別府温泉の意外な古代史を解く」と副題されているように、舞台の中津は豊後、大分県である。そして、発端は富士山の地下に発するが、推理は日本列島を駆けめぐる。九州の一画(壱岐)でベストセラーの座を占めて話題となった、前作『邪馬台国五文字の謎』を上回るスケールだ。近畿一元史観から“解き放たれた”ときの想像力が羽ばたいている。

     三

 括目(かつもく)の論稿に接した。菅野拓(かんのたく)氏の「『梁書』における倭王武の進号問題について」だ。わたしの九州王朝説に対する、再検討である。(4)
文献上の、精緻な史料批判が展開されている。見事だ。本誌にも、氏の別稿を収録した。いわゆる「学界」の内外を問わず、すべての研究者の熟視を待ちたい。

     四

 好著が出ようとしている。松本郁子編の『太田覚眠全集・全三巻」だ。(5) すでに『太田覚眠と日露交流』を物した著者が、この仏教者の実像を江湖にしめし、学問上の手堅い手法を志した。壮挙である。
 すでに新庄智恵子(6) ・冨川ケイ子(7) 等の活躍と共に、現代は新鮮な、女流時代の到来へと今当面しているようである。


(1)「ちくしの女王『ヒミカ』」酒井紀年(本誌各号掲載)。
(2)原書房刊(二〇〇九年二月)。
(3)原書房刊行予定(二〇〇九年七月以降)。
(4)古田史学会報(二〇〇九年No.91・92)。
(5)オンブック(電話〇三-三七一九-八六一七)刊行予定(二〇〇九年七月以降)。
(6)本誌第五号(五頁)、および『壬申大乱』。
(7)古田史学会報(各号)。


 末 言


    一
 八十代に入ったわたしは今日もまた、後継するすぐれた「後生」の驥尾(きび)に付し、毎日の朝夕、新たな世界へと挑戦している。
 たとえば「日本道(1) 」、たとえば「日本批判(2)」たとえば「日本車(3)」など、現代にとって不可避のテーマに対する、わたしの生涯をかけた仕事、思想形成の一端だ。
 また「部落言説学」(I〜V (4) )は、日本言語学の新領域への展開となろう。

    二

 いずれも「未知」の世界だ。朝夕の一瞬を惜しみつつ、探究しつづけよう。そして今回の「休刊」を新出発点として、いのちある限り、学び、求め、そして悔いることなく死んでゆきたい。(5)

 
(1)『TOKYO古田会NEWS』No.124(二〇〇九年一月)。
(2)同右、No.125(二〇〇九年三月)。
(3)同右、No.126(二〇〇九年五月).
(4)『多元』No.88〜92(二〇〇八年十一月以降)。
(5)本誌を「終刊」にあらず、「休刊」としたのは、ミネルバァ書房からの強い御要望によった。


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