<注>


 (6)「筑紫〜津軽」間の交流について
 両地は、必ずしもこの安日彦・長髄彦の「移転」が最初ではないかもしれません。
 たとえば、縄文後期、対馬の蜂町の佐賀(さか)遺跡では、東北地方北部以北の貝飾りや津軽海峡圏に分布する「モリ」が出土し、「津軽〜九州」の交流をしめしています。従って「筑紫〜津軽」の稲の交流も、すでに「安日彦・長髄彦の移動」以前から存在した、という可能性も十分ありえます。このような交流があったからこそ、この兄弟は、新たな拠点をこの地(津軽)に定めた、そういう可能性にもまた注目しておくべきだと思います。

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和田家文書(東日流外三郡誌)については、『新・古代学』へ


制作 横田幸男
著作 古田武彦