中谷義夫
ここ何年間は古代史ブームが続いているといわれているが、さてその古代史の実体を探ると、いかんながら非常に歪められた古代史であることを発見する。然も、その壁は厚く戦前の皇国史観を否定しながらも又、新しい皇国史観が成熟していることに気づく。その一例を挙げると、大和朝廷の天皇を中心とした一元的な解釈が施されつつあるということである。
五世紀以前の日本の古代史をひもとくと、定説とはなっているが果してそれは定説かというとそれは仮説であり、問題提起にすぎないものが多い。考古学にしても「紀記」に災いされて今や出土物の編年を再検討しなければならない時が来ている。これは日本の出土物には絶対年代というものがないから、凡て相対的年代によらざるを得ない事に端を発しているのであろう。又その一例を挙げるとあの同時代史書として正確な三国志に書かれている邪馬台国の出現する弥生の後期(三世紀)に於ては日本国中その出土物は皆無という今の考古学界の見解は再出発しなければならない時点にさしかかっているのである。
今、私たちは視野を広げて東アジアに向けるならば中国、南北朝鮮は古代史の為に、国を挙げて凡ゆる発掘にたゆまぬ努力を続けている。だが日本はどうであるか。誤れる皇国史観が存続して天皇陵は申すに及ばず、陵墓参考地に対しても一指だにふれささないという現状は国際の信義上、誠にもとるものである。
この処、日本の古代史界は、高松塚や稲荷山鉄剣で大騒ぎをしているが、世界の出士物に比べて何とみすぼらしいものであるか。現在、日本の古代史界はゆきづまりつつあり、この打開策の一環としてここに微力ながらも、徐々に市民の声を集大成し古代史界の現状を世に訴えんとするものである。
昭和五十四年六月