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古田武彦とともに 創刊号 1979年 7月14日 古田武彦を囲む会編集

「邪馬台国」はなかったを読んで

三木カヨ子

 三食昼寝つきならぬ三食夜泣き起きの毎日を過していた私が、図書館で何んの気もなく借りた本が「邪馬台国はなかった」でした。何時もの様に子供の昼寝や砂遊びの時、この本を斜め読みしながらなんと読みにくい本でしょうと思いました。読みなれない見なれない字が多く、原文「紹煕本」一行、一字を読むのになぜ、あの本の例、この本の例を引用してあるのかしら、と思いながら読めないところは飛ばしてようやく最後まで読みました。そして結論の邪馬台国はなかった。あったのは三世紀では邪馬一国、所在も九州だった。博多だったとゆうことが分りました。私に分ったのはこの二点でした。
 今まで色々な邪馬台国についての本を読んでいましたが、いつも言われてみるとそうね、書かれてあるとそうねと思うばかりでした。ところが古田武彦先生の「邪馬台国はなかった」を読んで初めて、研究とか考えるとゆう事は思いつきとは違うものだと分りました。ですから、この本を読んで一番良かったのは、物を調べるとか考えるときの考え方、方法です。アイデア、思いつきを確かめる、実際に文献にあたる、こんなことが実行されず、出来もしなかった人が教授とか学者といわれているなんて不思議ですね。
 それにしても、古田先生の様に考えられるのはどの様な環境、教育から生まれてくるのでしょうか。三人の子供の母親として先生の様な考え方を身につけるには、どの様にすればいいのかしらと思うこの頃です。


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