ヨットマン 青木洋
◇訪問
それは四年前の秋であった。この本を執筆中であった古田さんは、海のことを聞きたいと言われ、私は古田家を訪れることになりました。海のことを知るなら、学者もいることであるし、私を招かれたのは、何か理由があるのに違いないと思ってはいましたが、古田さんのご質問は、私の困るような具体的なものばかりでした。それは木造船の構造、帆走の実際、英語に相当する船の用語にまで渡ったのですが、それに反して、日常のことは全然話題にのぼらないのです。
お昼にはおすしをごちそうしていただきました。奥様が作られたそうです。そしてのり巻にそえ、みそ汁も古田さん自ら出して下さったのです。ところが、インスタントの粉末がおわんの底にたまっていて、初めは薄味、終りは大変濃いみそ汁を、私はいただきました。
そして帰りは駅までお送り下さったのです。こうして私は古田さんの一途さ、旺盛な好奇心の一端に触れさせていただきました。それは、現在の私のあり方にも、深い示唆を投げかけているようです。なぜなら、年とった人にもこのような一途なお人がいるという事実ほど勇気づけてくれるものはないからです。
その後、本が出版されると間もなく、一冊が届きました。中をめくると私の描いたスケッチや訪問のことがのっていたのです。こうした古田さんとのご縁や、藤田友治さんからのご依頼もあり、私はこの稿をまとめさせていただくことになったのです。そこで私は、次のようなテーマを自分に課すことにしました。
◇倭人も太平洋を渡ったのだろうか エバンス説対マラー説
古田さんは倭人伝を一字もゆるがせにせず読むという方法から、この倭人南米交流説に達したと書いておられます。しかし文献を解読したから、そうであると言うだけでは、もう一つ、説得力に欠けるように私には思えるのです。そこへ、エバンス夫妻は土器という物証をもって、同じ日本南米交流説を唱えられたものだから、これを知った古田さんが、胸をときめかされたのは無理もないことでありましょう。なぜなら、主張というものは、なぜそうなるのかという論拠と、論拠を裏付けるテータがあってはじめて説得力を持つのでありますから。
ところがそのエバンス説に対して、異議を唱えるマラーさんの主張が掲載されています。エバンス説が覆えるなら古田説も共倒れになりかねない。そこでまずマラーさんの論理を私の方法で分析してみよう。
マラー説
前提
一つの様式の研究には、形式だけではなく、その全体の構造も扱わなければならない。
↓
↓ところが
↓
論拠
エバンズ氏は、土器の形式的類似性にとらわれている。
↓
↓だから
↓
結論
不適当な方法から得られたエバンズ氏の結論は正しくない。
古田さんは日本人にしては並みはずれて論理に厳しく、それがかえって日本では反発を受けているように思えるのですが、西洋では論理的、つまり言いたいことの筋道をはっきりさせられないということは、致命的であります。それはその人にはインテリジェンスが欠けているとも言えるのである。その西洋的な目からすれば、マラーさんの主張は実に筋が通っている。古田さんが驚かれるのも無理はありません。
さて、マラーさんの論難に対して、エバンズさんは何と反論しておられるのだろうか。
エバンズ説
マラー説の応用に対し
↓
↓しかし
↓
論点
土器の形式的類似性だけをもって立論しているのではない。
↓
↓なぜなら
↓
論拠
土器の類似性は内容、年代の全体にわたり見受けられる。
↓
↓だから
↓
結論
日本とエクアドルの交流が合ったのは正しい。
これもなかなか見事な反論である。西洋にはこのように、あいまいさを許さず、明るみのもとで対決するというロゴスの原理が大いに働いているように見受けられます。これに反してわが国では、古田さんの九州王朝説、倭人南米交流説に対して、ここに見られるような反論はなかった。黙殺だけが古田説を迎えたのであります。さぞ残念であったに違いない。そういう意味では、最近ようやくあらわれた安本美典さんの反古田説は、古田さんにとっても待ち望まれたものであるとも言えるのではないだろうか。実に喜ばしいことである。
さてエバンス説対マラー説にもどると、私の見解は次のとおりである。
ふられた男が言う。「あー女はやはり不誠実だ」
これは実際によくある例だが、論理としては、まちがっている。なぜなら、「あの女は不誠実だ」とは言えるかも知れないが、だからといって女全体を不誠実だと言うわけにはいかない。このような誤りを、部分を全体に及ぼす誤りという。詭弁の一種である。
マラーさんの前提はそのルールを大前提として表明しているように受けとれるが、その論拠の方は果たして前提を満たしているであろうか、皆さんもお考え頂きたい。
論理の効用
このように論理というものをここにとりあげたのは、私に切実な思いがあるからです。というのは、私は古代史学者ではなく、土器のこともわからないし、倭人伝を自分で読むこともできません。その素人である私が興味あるテーマに対したとき、それをどのように判断したらよいのであろうか。邪馬一国がどこにあったのかを知りたいし、倭人は太平洋を渡ったのかも知りたい。また原子物理学のゆくえも哲学のめざすものも、社会問題も自分のこととして知り、判断を下したい。このように願うなら、そこには判断の基準となるものさしが必要となってきます。その一つとして、ここにあげたような論理のものさしを私は考えているのです。
私の感想
このように私は専門家ではありませんが、南米交流があったかどうかについて、次のような感想をもっています。
古田さんは倭人伝の解読から、倭人南米交流という、おそるべき論理的帰結へと至ったと書いておられます。しかし私には、『「邪馬台国」はなかった』の巻尾で、その主張を知ったときも、何らおそるべきことであるとは感じられませんでした。むしろおそるべきことと思われた古田さんの方に、不思義な感じさえ受けました。なぜでしょうか。
本の中でジェットさんも指摘しておられるように、文明社会に住む人たちは、小舟で太洋を航くということは、考えもできない恐ろしいことのように思っているのではないだろうか。小さなヨットで太平洋を横断する人が、毎年のようにあります。成功すればマスコミは大変ほめたたえ報道してくれます。これも、普通ではできないことをしたという裏がえしの反応であると言えなくもありません。現代の進んだヨットでさえ難しいのに、縄文人に太平洋を渡ることができるのであろうか。
私はできて当り前、そう思っています。なぜなら、現代人でさえヨットで太平洋を安全に渡れるからです。日本から単独で太洋を渡ろうとした人は十指に余りますが、誰一人、死んだ人はおりません。
その現代人に較べ縄文人は、はるかに秀れた航海者であったのに違いなく、文明生活になれ親しんだ私たちは、雲の現れた意味を知る方法も、風の息吹が示す意味を知ることも忘れてしまいました。気象庁の天気予報が60パーセントしか当らないのに較べ、漁師の古老は、95パーセントも土地の天気を当てることができるのです。つまり現代人は、技術を進歩させはしたが、人間に備わった自然と対する力、直観力というものは、かえって退化させてきたと言えるでしょう。
科学的合理主義の精神は、確かに文明の進歩をもたらしたかも知れない。しかし失われてきた反面は、それにも優る貴い存在であるようにも思えるのです。風と語り海と語り、自然と直接対する能力は、縄文人の方が、はるかに秀れていたに違いない。その縄文人に、何で太平洋の渡れないことがあるものでしょうか。沖縄でいまも漁船として活躍しているサバニ、それはくり舟であるけれども、世界で最も経験あるヨットの設計者でさえ、その性能に驚嘆しているのです。
古田さんの説を巡る反応を観て、科学精神が破壊してきた人間の生命の反面、それの全体性の回復が求められている時に現代はさしかかっているのだという思いを、さらに深めています。
古田さんは九州王朝説を立て、倭人南米交流説を立て、いったい何を求めておられるのであろうか。
(本文は川喜田二郎氏創始のKJ法を用いました。一九八○年八月三十一日)
おわり