【目 次】
巻頭のことば 古田武彦を囲む会 会長 中谷義夫
特集 日本書記の史料批判(講演録)
001 遺隋使」はなかった 古田武彦
《はじめに》/九州王朝説と近畿天皇家一元主義史観/「隋書」「日本書紀」記載内容に対する理解/「隋」と「大唐」の読み替え問題/裴世清の官職名/日本書紀の年代誤差/「倭皇」と「倭王」/第一代天子の「宝命」問題/国名の「大唐」/聖徳太子の「遣隋使」は「遣唐使」の誤り
021 関東と蝦夷 古田武彦
《はじめに》/津田学説とその批判説の展開/日本武尊の東征説話/蝦夷の補虜に対する処置と佐伯部/佐伯部への疑問/中国の解釈/古事記と日本書紀の食い違い/伊勢神宮と鹿島神宮
〔研究論文〕
036 中国の研究者との文通 いき一郎
039 中国二十四史の整理、出版(上・中・下) 鐘 華
(上) 《はじめに》
『二十四史』はどういう書物か
『二十四史』の成立過程とその内容/「紀伝体」につい/なぜ「紀伝体」が採用されたのか/著書について
(中) なぜ『二十四史』を整理したのか
(下) 『二十四史』の整理について
科学的な態度/句読点と段落/校勘/出版説明/老年・中年・青年の協力
051 古典解釈への疑義 河野喜雄
序
一、万葉歌疑義
(1)語学的・語法的誤訓/(2)論理的誤訓
二、論語疑義
057 古田史学論序説ーその思想と方法論の生成について 藤田友治
一、はじめに〜古田説をめぐって〜/二、学界に「市民権」を得るとは/三、古田武彦を誕生させた「家庭」/四、恩師・村岡典嗣教授を思慕して−村岡史学の二人の「弟子」−古田氏と家永氏−/五、思想形成の視角から−未発表論文を中心として−/追記
071 藤原不比等の夢を砕くもの 織田重治
一、不比等の死/二,不比等の朝廷への出仕の時期/三,不比等と国史/四、不比等の夢を砕くもの
081 『記・紀』より現れ出でた志賀島 児玉奈翁一
《はじめに》/(一)海神の宮の所在/(二)潮流の特異現象/(三)天照大神の生誕の場所/(四)海神・星神の生誕の謎/(五)天照と?天文博士?/(六)天照と海神の連合/(七)天照君臨の地/(八)大八島(洲)の謎/(九)天国の都・壱岐島
091 「天皇陵」発掘調査要求運動の現段階とその意義について 藤田友治
《「陵墓」発掘調査要求運動の経過》
《はじめに/古田武彦氏の質問状/学会の動き/宮内庁長官の国会答弁》
《「陵墓」測定事業》
(1) 「陵墓」測量事業にいたる前史/(2)「陵墓」測量中断の意味/(3)「陵墓」の測量事業の完了と終焉の意義/(4)戦後の「陵墓」の測量の開始
追記
「天皇陵」発掘に関する新聞等の資料」
104 「国引きの説話」の検討 清水浴行
109 倭国の終焉 田坂元祐
113 地名「野間」の年代 今井久順
116 小説「倭の五王」 邦光史郎
一/二/三
127 『倭人も太平洋を渡った』を読んで 青木 洋
訪問/倭人も太平洋を渡ったのだろうか エバンス説対マラー説/論理の効用/私の感想
131 暢草考 後藤茂樹
李白の詩に/ウコン木綿の産着/〔補記〕
135 紀ノ川の神武 義本 満
●歴史への旅
142 山陰古代史の旅 中谷義夫
《はじめに》/神魂神社/上原神社/淀江の石馬/岡益の石堂/宇部神社
146 北関東古代史の旅 徳田順彦
153 古田先生と古墳を廻る−北山城古墳見学会− 石川 昇
155 古墳めぐり 古墳研究班 織田重治
《はじめに》/第三回古墳探訪記(南山城の部)/第四回古墳探訪記(北山城の部)/《おわりに》
●ひろば
166 私と古田史学 星合政敏
168 古代史へ 枡田夜雨
169 次元の高い論争を 清水裕行
172 京都−奈良線ぶらり散歩 中谷義夫
178 芭蕉と「海賦」 岡本謙一
182 ドキュメント「日本古代史」を見て 大塚伊惣司
183 侏儒の国 中村大三
184 ”80龍谷大学祭 古田武彦氏講演始末記 講演会実行委員
185 古由武彦氏に学んで 原田 実
188 古田氏講演会に参加して 三輪信之
189 山陰古代史の旅雑詠 藤田誠三郎
191 中学生からの手紙 宮崎字史
●出合い
194 資料『季刊邪馬台国』古田武彦関係論文集 編集部
195 九州王朝年表(その1) 丸山晋司
九州王朝年表作成にあたって/年表
編集後記
[10 参 考]
1 出版経緯
(1) 再刊
『合本市民の古代』第一巻(第1〜4集)として発刊
・発刊日:1988年(昭和63年)11月5日
・出版社:新泉社
2 記事の所収書物
〔講演録〕関東と蝦夷(古田武彦著) 『古代の霧の中から』所収
3 その他
(1) 〔古田武彦講演録〕「遺隋使」はなかった
・講演:日本文芸研究会第三十二回大会
・日時:1980年(昭和55年)6月14日