今、日本古代史学界をはじめとする、古代史に興味をもつ全ての人々に、鋭い問いが、なげかけられている。
邪馬壹国論争から端を発した古田武彦説は、「失われた九州王朝」によって、近畿天皇家以前の連綿と続く九州王朝を鮮明にうちだし、更に「盗まれた神話」によって、「記・紀」に関する戦後史学の到達点を、新しい質でのりこえる視点を打ち立てた。
活火山のように、内部からほとばしる学問、真実探求への情熱と、変ることのない厳密で精緻な論証を駆使しながら、次々と新しいテーマに挑戦される。
「遣隋使」はなかったーーは、これからの重要な古代史界の一大問題提起となろう。教科書でも、「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙(つつが)なきや」という名文句であるが、これは隋書イ妥国伝のいうとおりだとすると、聖徳太子の事蹟ではなくて、多利思北孤(たりしほこ)であり、妻をもち、後宮の女、六〜七百人を擁している男王なのである。従来の学説の全ては根本的に問われなければならない。既に「市民の古代」の第二集で問うた教科書批判は、心ある現場の教師達の手で読まれて「資料日本史」が、新しい視点で "81年時作成されはじめた。
今、再度、古田武彦氏の論証に、「黙殺」ではなくて、批判するか支持するか立場を鮮明にされるよう心ある学者・市民に訴える。
古田武彦を囲む会 会長 中谷義夫