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市民の古代・古田武彦とともに 第4集 1982年 古田武彦を囲む会発行
「市民の古代」編集委員会編集

経過報告

古田武彦を囲む会のあゆみ

大阪の活動経過と記録

事務局長 藤田友治

 古田武彦氏の提起される鋭い問題提起と学説を真摯に受けとめた市民が、あらゆる職業の違い、性別・年齢の差を越えて集まり、古田説を中心にして交流をつづけてきました。発足時のささやかな集まりから、今や数百名の『会』になっていったのは、ひとえに古田説の斬新かつ精緻な論理がもつ説得力と古田氏の魅力ある人柄に接し得たからでしょう。 そして、その交流や共感を支える地道な会の運営を、幹事を中心として続け、八十一年度からは、今までのガリ切りによる「囲む会ニュース」から、読みやすく、しかも内容も豊富になった「市民の古代ニュース」にと、発展してまいりました。古田武彦氏は、そのユニークな論文集『邪馬一国の証明」(角川文庫)で、「けれどもこのさい、言うべきことがある。わたしの研究は、終始わたしひとりの探求に尽きたにもかかわらず、望外にも少なからぬ『知己』をえたことである。東京・大阪や博多・下関・小倉と、各地に熱心な読者の方々が生じ、講演会の開催はもとより、読者の会による冊子(『市民の古代ー古田武彦とともにー』)の発行まで再度に及んだ。」(同上書「はじめに」七頁〜八頁)とのべておられます。九州方面については、壱岐一郎氏から、東京の会については高田かつ子さんから、それぞれ御多忙の中を、本誌に原稿をいただいていますので、私は大阪の会を中心として、又古田氏の活動を軸として歩みをふり返り、これからの『道』を同行される方々への道標の一つとしたいと思います。

 

各地に広がる講演会

 講演会の依頼が、全国各地から古田武彦氏に寄せられましたが、とりわけ特徴的な事柄として、関西方面の教育委員会からの講演依頼が目立ったことです。例えば、枚方市教育委員会主催、第一回歴史講座「九州王朝の興亡」(81年 6月20日)、第二回「近畿の三王朝」( 6月27日)では、百名を越える市民が会場を満員にして講演に聞き入っておられました。他に、吹田市教育委員会、姫路市教育委員会主催「市民大学講座」も、市民会館にて同様に行なわれました。このことは、「古田説」が私達の切望してやまない本格的な市民権を得て来ていることの現われではないでしょうか。
 「囲む会」としては、「九州王朝の風土記」・「画期に立つ好太王碑 ーー三角縁神獣鏡について」をテーマに講演会を催して来ましたし、講演会の内容については、いつも病気や遠方等の理由で参加なされない方々へ、問い合せに応じてレジュメを送る等をしていますが、講演会の熱気をも解っていただけるよう、録音テープを複製して送り、多くの方々の謝意を受けました。又、講演会のテープおこしを、今回もやっていくことができ、本誌に掲載し、広く読んでいただけるよう配慮することが出来ました。
 更に、山口県下関の地においても、前田博司さんを中心に年二回、既に四回の講演会がおこなわれています。前田博司氏が、『郷土」(第24集、下関郷土会編)の「長門は国のさいはてー“九州王朝”説による“穴門”史試論1」で、自分達の住む郷土の歴史を古田説によって展開されるという“コペルニクス転回的”試みをなされました。このような、全国に数多く存在する郷土誌研究会と有機的につながりを持つ方向は私達にとって古田史学の論証の実践的課題であり、郷土史家にとっても郷土史解明に向けて大いに役立つであろうことは疑うことができません。
 次に、会員諸氏が永らく待望してきた古田史学による「古代史通史」が実現したのも、八十一年度の特筆すべき特徴でした。朝日カルチュアセンター主催の「古代史講座」では、八十年度の「日本列島のあけぼの」から「邪馬一国」までの全十回の後を受けて、いよいよ四世紀から七世紀までのハイライトを迎え、四月二十五日からの第二・四の土曜日、六ヵ月にわたって、全十一回続行されました。これは、“通史”ということで解りやすく始められたのですが、いわゆる“通史”の概念が打ち破られ、最新の古田氏の考証も人り、おびただしい史料をもとに専門的にもふれられるなど、古田史学の全面展開の場となりました。又、阪急文化センター(梅田)で「日本古代文化を考える」シリーズ講演〔第一回(十月〜十五日)〜第三回(十月二十九日)〕がおこなわれました。それぞれの講演会を通じ、幹事による「囲む会」ニュース等の配布がなされ、新しい会員が入会されました。

 

海外に交流する古田氏とその学説

 海外での講演旅行の依頼をうけて、はじめてパスボートを取得された古田氏は、続々と各国を歴訪され、一段と古田史学を強固なものとされ、又学術上の知己を数多く得られたことも八十一年度の大きな特徴となりました。
 まず、朝日カルチャー・トラベル主催の「中国古代史の旅」の団長として、三月二十三口から四月三日までの十一日間、中国の史跡、博物館を訪ねられました。とくに、北京で国家文物局の謝辰生、郭労為各氏と会見され、高句麗好太五碑の拓本が、「従来の拓本でほぼあやまりがない」という証言(両氏の署名)を得られたという成果がありました。(詳細は、本誌「画期に立つ好太王碑」参照)(五月の韓国旅行についても別稿参照)。
 また、西日本テレビ芸術祭参加番組『古代、九州人は太平洋を渡った」(九州地区ーー(テレビ西日本、十一月十五日)、東京地区ーー(フジテレビ、十一月二十五日)、関西地区ーー(関西テレビ、十二月五日)それぞれ放映される)のために、古田氏は七月二十七日より、八月七日まで南米旅行をされました。南米のエクアドルにおいて、エバンス氏と同行するという期待は、残念ながらエバンス氏の御逝去によってかなえることはできませんでしたが(詳細は「市民の古代ニュース」No.17 )、先生と考古学者ベティ・J・メガースさんとの対話、壁画古墳と『海賦』の究明は、本で読む世界とは別の、迫真力と説得力をもって、深夜、人々をTVにくぎづけにしました。
 夏の下旬には(八月二十一日〜二十八日)、古田氏は、念願の「高句麗・好太王碑の開放」の交渉のために私とともに再度の訪中をされました。(「市民の古代ニュース」No.19 、本誌「好太王碑の開放を求めて」に詳述のため割愛)。

 

囲む会の今後の課題と方向

 さて、本年度の『囲む会』の課題としては、深化してきた『古田説』をさらに広めるために、会員の一層の拡大、通信活動の活発化、研究活動の充実、そして組織体制の確立、があげられましょう。数名ではじまった『囲む会』が、数百名の『会』になってしまった実体にあわせて、実務的にも、財政的にも、ガッチリとしたものにしていく必要があります。そして、さらに会員数が拡大していくことに照準をあわせて、会の組織構成をますます実際的なものにしていく用意が必要でしょう。その意味で、熱心な会員の方が、自発的に会の運営に関わってこられることを、特に望みたいと思います。
 古田氏の新しい論証、諸行事予定、出版予定を、機敏に、会員のみなさんにお知らせしていく通信活動にしても、財務にしても、テープ複製の作業にしても、まだまだ多くの手を必要としています。研究の交流を保障すると言う「歴史を語る会」等でも同じことです。是非とも御協力下さり、ともに『囲む会』の発展を期したいものだ、と考える次第です。


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