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市民の古代・古田武彦とともに 第4集 1982年
古田武彦を囲む会発行 「市民の古代」編集委員会編集
歴史研究論文

 鉛丹と鏡

奈良市 水野孝夫

 ご承知の通り、魏志倭人伝には、卑弥呼が魏王からもらったものとして、鉛丹五〇斤がある。この鉛丹も邪馬壹国の性格を明らかにする資料として、役立つものと思われるが、古田氏の『ここに古代王朝ありき』では、くわしくふれられてないので、調べてみようと考えた。塗料を専門とする化学技術者の私に、最適のテーマと考えたからである。
 鉛丹は、現在でも用いられている用語であり、鉛の酸化物で、あざやかな橙色の顔料である。橋とか鉄骨など大型の構造物が、工事完了に到ってない状態のときに、榿色の塗料が塗られているのをよく見かけるが、あれが鉛丹の色である。鉛丹は鉛を高温でとかし、空気中の酸素と反応させて作られる。鉛丹は、紀元前一世紀ごろ、すでにエジプトでは製造されていたとされ、魏代の中国でも作られていたのであろう。鉛丹は、また光明丹、赤鉛ともよばれることがある。この橙色の顔料が、なぜ明帝から、卑弥呼への贈り物の中に加えられたのであろうか。
 鏡、玉、錦などを与えるについて、明帝の詔書は「特に汝に好物を賜うなり」と明記している。卑弥呼の好物であったらしい。
 鉛丹をもらって、倭国側はこれを何に使ったのであろうか。ごくふつうに考えて、絵具か塗料である。高松塚古墳や法隆寺壁画にも使われている。ただ赤色の顔料は鉛丹に限るわけでなく、古代からベンガラ(酸化鉄)および朱(硫化水銀、天然のものは、辰砂という)も知られていた。鉛丹と朱を混用することは、黒色の硫化鉛を作る原因となるので、現代も行われない。
 五〇斤とは、どれ程であろうか。三国時代の武将、関羽が使った青龍刀が八二斤というのが、三国志演義に出てくる。宋代の水滸伝で、豪僧、魯智深の使う禅杖が六〇斤である。これから考えると、五〇斤は、豪傑なら、ふりまわせる位の重さである。現代中国の重量単位も参考にして、二〇ー二五キログラムぐらいと考えた。比重が大きいので、わりに小さい(三リットルぐらいの)荷物だったことになる。これを塗料にしたら、三回塗り重ねて、三百ー四百m2(約百坪)ぐらい塗れそうである。
 そこで私の仮説はこうである。即ち、鉛丹は宮殿などの建築物に塗料として塗られた。
 今日、神社の鳥居や社殿が赤く塗られているのは、その影響である・・・と。古田説では、伊勢神宮や鹿島神宮など「神宮」と名がつくところと、一般の神社では異るところがあると説かれていたが、伊勢神宮は衆知の通り、鳥居も社殿も赤塗りではない。赤塗りでないのは卑弥呼の系列ーー 九州王朝の系列ではない ーーといえないだろうか。
 現代の神社建築で、鳥居などに使われている顔料は鉛丹だろうか。調べようと思いつつ、まだそこまで至っていない。鉛丹の用途は、まだ他に考えられないか。そう思いつつ、「抱朴子」を読んでみた。
 抱朴子は、東晋の葛洪編による道教、錬金術のテキストである。鉛を焼くと鉛丹になることもこの中にあった。丹、真丹、など丹のつく用語は無数に登場するが、文脈からは鉛丹なのか、丹砂(朱)なのか、私には区別がつかない。真丹は仙人になるための薬品の原料のようである。真丹が鉛丹のことなら、卑弥呼は、鉛丹を長寿薬の原料として、使うつもりだったのかも知れない。ただし鉛丹は、有毒であることは、現代では衆知のものである。もっとも、水には溶けないので人間が口に入れても、大部分は排出されるだろうけれど、鉛丹塗料の霧が散った場所の雑草を食べた牛のミルクから、鉛が数十PPMの濃度で発見されたなどの報告もあり、長寿薬とは考えにくい。抱朴子を読み進むうちに、「鏡」がでてきた。道教の修業者「道士」は、仙人になる方法を求め、そのための薬として「金丹」を合成しようとする。この秘法は、神聖な山に入って行わねばならない。山へ登るときの魔よけが、「鏡」であり、魔よけの効果が大きいのは九寸以上のものである。年をへた動物の精や、鬼たちは人間に化けて、仙人修業を妨げようとするが、鏡に照らされると本相をあらわすのである。一節をあげる。
「古の入山の道士は、皆明鏡の径九寸已上なるものを以て、背後に懸く。則ち老魅も敢て人に近づかざるなり」

 道士は、鏡を背中に負って歩いたらしい。抱朴子によれば神仙の道を信じない儒教が政治の中心思想となる以前は、道教が政治の中心思想であった。儒者からみて、鬼道に事え、能く衆を惑わす、とされた卑弥呼は、道教を好み、従って鉛丹や鏡が好きであったと考えられる節がある。


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