浦和市 高田かつ子
だいぶ以前のことになるが、新聞に「アンデルセンは王子の私生児?」という記事が載ったことがあった。それを教材に中国からの留学生に仮説と定説の話をした。一つの仮説が定説になるためにはあらゆる資料を集めて検証しなければならない。どの論証を取り上げても矛盾がないとなった時初めてその仮説は定説になる。と話したあと、日本の古代史学界のことに触れ、「邪馬台国」の呼称について話した。原文には邪馬壹国と書いてあるが日本の学界ではなんの論証もなしに、邪馬臺国を定説としています。どうして? という不審そうな顔、東大と教大の先生がそう言っているから。始めきょとんとしていた顔が突然笑い出した。私が冗談を言っていると思ったらしい。
そう冗談ではないのだ。笑われても仕方のないことを古代史学界を冒している。松下見林の改訂以来なんの論証もなしに壹を臺に変えて「邪馬台国」としてきている学界に対して「臺の論証」「闕の論証」等あらゆる論証をしつくして原文通り壹(一)が正しいと論じてきた古田説は定説に近い仮説なのである。いや仮説という言葉は間違いだ。原文通り正しいとするものが仮説であるはずもない。壹を臺に直したほうが仮説なのであるから。
ともあれ謙虚に仮説としておこう。幸いにも私たちは偉大なる仮説、古田説に出会い素直に感動し共感し納得することが出来た。
後世の人、他国の人に笑われる愚を冒さずにすんだことを幸せに思う。その感動が更に大きく広がり古田説を支持する強力な集まりとなり、その集まりが活動しつつ十年も経過したことに深いよろこびを覚える。そしてそこに参加できたことにひそかな誇りを持っている。
四年前に具体的な活動を始めた関東例会では現在『常陸風土記』 を徹底して読もうと輪読会を行っている。何年かかろうとも最後まで読み通して研究成果を発表したいと張り切っている。先人の研究を踏まえつつも古田史学の光を通して眺めた時、新たな世界が展開するのではないかと期待しつつ、しかし「師の説にななずみそ」と肝に銘じつつ、こつこつと勉強を続けている現在である。