『古代に真実を求めて』第十八集

 


真実の「聖徳太子」研究のすすめ

古田史学の会 古賀達也

 

 わたしたち「古田史学の会」の会誌『古代に真実を求めて』十八集をお贈りします。
 本誌は本号より大幅にリニューアルし、特集企画『盗まれた「聖徳太子」伝承』をメインタイトルとして、表紙装丁なども一新しました。
 特集企画では「古田史学の会」の研究陣による多元史観・九州王朝説に基づき、従来は「聖徳太子」(厩戸王)のものとされてきた数々の伝承・事績が、実は九州王朝の天子・多利思北孤とその太子・利歌彌多弗利(『隋書』による)のものであったことを、様々な切り口から明らかにしました。
 本書により、読者は真実の「聖徳太子」像を知り、真実の日本古代史(古田史学)に触れることができるでしょう。
 古田武彦先生は名著『失われた九州王朝』(ミネルヴァ書房より復刊)において、弥生時代から七〇一年まで日本列島の代表権力者は近畿天皇家(後の大和朝廷)ではなく、博多湾岸や太宰府を首都とした倭国(九州王朝)であったことを様々な史料や考古学的事実により明らかにされました。
 本書では、『隋書』俀国伝(資料集に収録)に記録された六世紀末から七世紀初頭に活躍した九州王朝の「日出ずる処の天子」多利思北孤(タリシホコ)とその太子の利歌彌多弗利(リ、カミトウのリ)の事績に焦点を当てました。
ちなみに、この時代の近畿天皇家の天皇は推古天皇(女性)であり、『隋書』に記されているように、その国書で自らを「日出ずる処の天子」と称した「阿蘇山が噴火する」国の天子・多利思北孤(男性)とは全くの別人であるにもかかわらず、日本古代史学界は『日本書紀』に見える「聖徳太子」(厩戸王)ら近畿天皇家の事績とする「研究不正(史料事実の無視・軽視)」を永く続けてきました。
 わたしたち「古田史学の会」はこうした日本古代史学界の「研究不正」に対して、真実の古代史(古田史学)を世に訴えてきました。ここに、盗まれた「聖徳太子」伝承を正しく九州王朝の事績として復元し、読者の皆様に提示します。学問的批判や反論は大歓迎です。そして、古代に真実を求める学問研究の大道をともに歩みたいと願っています。

       二〇一四年十二月一日記


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