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編集後記


 先にお知らせしたとおり、「古代に真実を求めて」第十九集では、「九州年号」特集を企画しておりましたが、編集作業のさなか、古田武彦先生が平成二十七年十月十四日にご逝去されました。
 まことに悲しく残念至極であります。古田先生の「名」を戴く「古田史学の会」として、急遽「九州年号」特集は次号第二十集に先延べし、この第十九集を追悼号とさせていただきました。

 (1).生前の古田先生の業績を偲び称えて、多くの追悼の辞をいただきました。
 (2).ご逝去の一ヵ月半前に収録し放送されましたKBS京都ラジオの抄録を掲戟しました。
 (3).古田先生の記念碑的遺稿の再録を行いました。

 実は、平成二十六年の八王子セミナーでは講演時間が、一時間を超えると(限界なのか)古田先生は、控え室にさがられ治療されて再開するという状態でした。その年末に先生のご自宅を訪れて、インタビュー取材(第十八集に収録)をさせていただいたのですが、その際も一時間話をされると別案で治療をされ、そして再開するという具合でした。平成二十七年の夏六月、古田先生にお敦えいただこうと、個人的に手紙をお送りした所、すぐに先生からお電話をいただきました。この時は三〇分くらいで一〇分くらいの休憩を挟むという状況でした。
 ところが八月の京郡ラジオの放送収録の際には、休憩無しに二時間ぶっ通しで熱く語られたのです。テープ起こしを担当された茂山憲史さんが「この収録は先生の遺言のようだった」と感想を漏らされましたが、この臨場感でもう一度古田先生の最後の言葉を焼き付けていただきたいと思います。
 古川先生の教えの肝は「学問の方法」「学問をする姿勢」だと思います。(3).の記念碑的遺稿はまさしくそういう観点から、古賀代表の強い意向で再録したものです。「なぜ教科書に古田説が採用されないのですか』と言う質問をされることがあります。その問いに答える、古田史学の会はそんな「次のステージ」に入ります。その際に忘れてはならない記念碑的遺稿です。

                          (服部)


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