『古代に真実を求めて』第八集へ
古田武彦講演記録(二〇〇四年一月十七日)
ロシア調査旅行報告と共に(一、神々の運命) 二,「磐井の乱」はなかった 三、トマス福音書について
古田武彦
古田でごさいます。お見苦しい姿を、見せております。昨年の八月急に顔面神経痛に襲われまして、このようになりました。最初は舌のほうも痺れておったのですが、十月以降は回復しました。目のほうもだいぶ良くなりました。
今日お話したいテーマが三つありまして、一つは、ロシアウラジオスットクに行った目的と成果をお話したい。その次に、途中に用事で帰りますかたがあるかも知れないので、結論を言っておきますが「磐井の乱はなかった」ということでございます。いままで『失われた九州王朝』では、継体の反乱であるということは書いた。大義名分の問題だった。ところが実はそうではなくて、磐井の乱も継体の反乱もなかった。そういう自分でも思いもしなかった結論に八月三十一日に到達した。これはもちろん古代史の重要な問題ですから、話させていただきます。最後に、いま夢中の問題、『聖書Bible』の問題。いま世界で一番たくさん売られている本はバイブルだと言われています。その現在あるバイブルは偽物というか改竄(かいざん)本ではないか。そういう問題が出てきました。もう一つは大乗教典。創価学会や日蓮宗の根本にある法華経。浄土(真)宗の開祖とされている法然・親鸞は大無量寿経を基本にしている。この法華経・大無量寿経も『聖書Bible』の影響下に成立したのではないか。そういう問題。みなさん、そんなことは思ってもいない。わたしもそんなことは思ってもいなかった。その問題が具体的に出てきた。もちろん概論としてはあったのですが、わたしの場合はいつもそうですが実証的な論点を追って出てきたので、昨年から夢中なのです。
それで以上のことを、結論を申させていただいたので、時間のある限り話させていただく。そのように考えています。
ついで結論ばかり言いますが、本日の講演の全体の結論は、「宗教が人間を殺さず、人間が宗教を超える」そういうことを考えてみました。「人間が宗教を殺す」と言えば、問題がはっきりするでしょうが、そこまでは遠慮して「人間が宗教を超える」とします。
いま宗教が人間を殺しています。これは宗教の越権です。越権があふれている。宗教の末期現象、そう言うのはアウト。ノウ。宗教を産んだのは人間ですから、その人間が宗教を超えるのだ。それに従わない宗教は滅ぼす。人間にはそういう権利がある。わたしはそう思う。今日の結論はそういうことです。
前置きはそのぐらいにしまして、本論に入っていきたいと思います。ロシアに行ったわけです。わたしは九月二日にツアーの皆さんと一緒に行きました。ツアーは一週間ぐらいで終わったわけです。ツアーの皆さんがお帰りになった後、わたしは一人だけ残ったわけです。松本さんのお友達の関係でロシア人の若い女性で日本語の訳や通訳をされているかた。その方は結婚されていて、その方の広いお宅にお願いして、一室余裕があるので二週間ホームステイさせていただいた。これが良い経験になり、後に述べるいろいろな成果をあげることが出来ました。団体旅行もありがたいですが、それでは経験できない、いろいろなことを学びました。
なぜわたしがロシア沿海州ウラジオストックへ行こうとしたのか、そういうところから述べさせていただきます。それには三つの理由があります。
一つは、二年前に皆さんと北陸の神社巡りをしたことがあります。その中で得た重要なテーマがあります。それは「気 ケ 」というのは、神様を意味する言葉ではないか。 北陸から石川にかけまして気多神社・気比(けひ)神社など、「気ケ」がつく神社がたくさんある。意味はわかりませんが。
もちろん、これには伏線があります。『古事記』『日本書紀』に二種類の神があることは、何回も話をしました。七・八割の神様は、神のことを「カミ」と言います。天照大神(アマテラスオオミカミ)などです。ところが「カミ」という言葉を使わない神様がある。それは「チ」である。ヤマタノオロチ、アシナヅチ、テナヅチ、オオナモチ、すべて「チ」がついています。この「チ」が神様を意味する言葉であることは、わたしの先輩で、わたしが東北大学の学生の時に助手をしておられた梅沢伊勢三さん。晩年に古事記学会の会長を勤められ、一生『古事記』『日本書紀』だけしか学問研究はしない。そう言っておられた方だった。その方の研究の成果の一つに、『古事記』『日本書紀』には二種類の神様の言葉がある。「神かみ」が大多数であり、それとは別個の神を意味する言葉がある。それは「チ」である。そういうことを克明に論証され主張されつづけた方だった。それで現在では、学界でも反論がなくそれが定説のようだ。わたしもその考えを知っておった。
その考えで見ますと、関西で人を叱る言葉「え(い)こぢなやつ」の「えこぢ」の「ヂ(チ)」は神様ではないか。そう考えましたのは、網野の調子塚古墳に上り、風荒き日本海を眼下にしたみごとな展望をあとにしつつ、下る途次に、脳裏にひらめいた。さっそく皆さんに報告いたしました。つまり『古事記』『日本書紀』だけではなくて、現代語でも「チ」という神様は生きている。しかも神様と知らずに、日常使っている。そのように感じたのが、今までの世界から、大きく一歩を踏み出した瞬間です。そういう経験がありましたので、「ケ」も神様なのだと言われると、「オバケ」の「ケ」、「タワケ」も「ケ」はどうかと思うでしょう。上岡竜太郎さんが、あのような『全国方言マップ』という本を作って、ののしり語や罵倒語を集めて研究された。その中の「オバケ」「タワケ」も「ケ」も神様なのだ。「タワケ」は関西でよく使われ、「オバケ」は全国的に使われています。
そう考えていきますと、福岡県糸島半島西北端の芥屋の大門(けやのおおと)。観光名所で雄大な玄界灘に向かっている海の洞窟がある。磐がアーチのように出ていまして、依頼すれば観光船に通ってもらえます。その芥屋(けや)の「ケ」。そしてまた「君が代」に出てくる、苔牟須売姫神(こけむすめのひめかみ)の「ケ」です。これは芥屋の大門のすぐ裏側というか、少しはなれたところにある。
「けや」に対する、それと対を成す「こけ」。「コ」は、「越こし」と同じ接頭語が付いたものです。やはり「ケ」の神様の一つ。
今度は北のほうへ行くと、知る人ぞ知るというか東北へ行くと、有名な津保化族の「ツボケ」。『東日流外三郡誌』に出てくる津保化族。「ツボ」は、おそらく素直に考えれば土器の壺の「ツボ」です。あれは日本語の壺(つぼ)だと思います。ところが壺を依代(よりしろ)にしている神様がいる。それが「ツボケ」。三内丸山にも土器がたくさん出ています。その土器に宿る神様。それを神様とする津保化族。『東日流外三郡誌』によると、大陸から二番目に日本に来た。第一陣は粛慎の阿蘇辺(あそべ)族。第二陣が靺鞨の一派の津保化族。しかもアメリカ大陸周りで、筏(いかだ)に乗って津軽に到着した。
(『古代に真実を求めて』第七集 明石書店 講演記録「歴史のまがり角と出雲弁」参照)
ともかく津保化族は、神様のことを「ケ」と呼んでいた。
このように「ケ」の神様は、日本国中いたるところに痕跡を残している。「オバケ」もそうであるし、関西で誰でも知っている言葉の「タワケ」もそうです。このように考えてきたわけです。
このようにわれわれの使っている日本語は複雑だな。単純ではない。われわれの知っている日本語というのは、一色で統一された言語であると思い込んでいる方も多いし、学校で学べばそのような感じになる。しかしとんでもない話です。わたしの概念規定を言いますと、どんな言葉にも神様を有する言葉がある。神様の意味する言葉を忘れた言語はない。全部調べたわけではないから独断ですが、しかしわたしは、神様を意味する言葉を有しない言語はないと考えています。今のところ、そういう独断的仮説を持っています。その仮説が正しければ、A、B、C、D、Eという五種類の言語があれば、A、B、C、D、Eという五種類の神がある。一〇種類の言語があれば一〇種類の神を意味する言葉がある。
これも後で言いますが、「神(カミ)」の「ミ」が、ほんらいの神を意味する言葉であろうと考えています。そうしますと、「カ」「イ」「チ」「ケ」、それぞれの神があるわけです。要するに神を意味する言葉はいくつもある。他にもあげれば、あるでしょう。
気になるから、もう一つ言いましょうか。阿蘇辺(あそべ)族の場合は、語幹が「ソ」です。これが神様。阿蘇山の「ソ」、木曽の御嶽山の「ソ」。人の名前で言えば、久曽神(クウソジン)さん、『新古今集』の研究者です。これは、もとは「クソガミ」さんだと思います。その「ク」は不可思議なという意味の「ク」。「ソ」は神様の意味で、「カミ」という解説付きになっています。木曽(キソ)の「キ」は不可思議という意味、「ソ」は神様です。阿蘇(アソ)の「ア」はもちろん接頭語で、「ソ」は神様です。このように日本列島の各地の重要なところに、今なお現代日本語の中に使われています。
他にもありますが、これで打ち止めにします。とにかく日本語の中には、いろいろな神を意味する言葉がある。簡単に言えば大陸からきた言語や海洋からきた言語、そういういろいろの言語の集合体、統一された言語としての日本語がある。わたしにとって、いろいろの事例を見ていくと、そのように考えないと神様の事例が理解できないということです。
そのように見ていくと、お分かりいただけるという事例の一つに八岐大蛇(やまたのおろち)という神様がいる。先ほど言いましたが「チ」は神様を意味する言葉です。ですが日本海の対岸にオロチ族がいる。これは萩原真子(おごはらしんこ)さんという千葉大学のロシア語の学者の方が黒竜江の現地民の神話・習俗を研究しておられる方がいる。ひじょうに親しくさせていただいた。この萩原真子さんからいただいた現地地図を見ますとオロチ族がいる。オロチ族がいること自身は知っていましたが、再度見直すとオロチ族がいるのは、日本海の海岸に面している。北海道や樺太(サハリン)に面したところですが。八岐大蛇(やまたのおろち)は出雲ですから、広く言えば日本海に面している。この斜め向かいに面しているのが、まったく偶然の一致とは違うのではないか。単なる面しているだけで断言はできませんが。これは何か関係がある、可能性があるのではないか。
もう一つ、わたしに影響をあたえた言葉は「オオカワ」の「カ」という言葉です。伊豆半島の東海岸。ここ東伊豆町に「大川おおかわ」というところがある。ここに巨石がありまして、現地の方から、見にきていただけないかと言われました。それで見に行きました。その巨石は、四国足摺岬で見た巨石群と同じく、文句なしに旧石器・縄文以来の巨石である。現地の方は、わたしの本をご覧になってわたしを呼ばれたようです。それはその通りでしたが、新しい発見があった。この巨石の下に水が溜まっている。この言い方はふさわしくないが、大きさはこの部屋ぐらいの池なのですが、池という言葉ではもったいない感じがする。深さは十数メートルぐらいなのですが、底の石が一つ一つ勘定できるぐらい透明そのもの。普通、池はそんなことはない。ですが、その池は透明そのもの。池という言葉はふさわしくない。湖とも言えない。そこが「オオカワ」。わたしは流れ出しているリバー(river)の意味の川だと思っていたら、別の名前がついている。「オオカワ」ではない。土地の人は、すべて川は「オオカワ」ではない。このように言われる。要するに「オオカワ」は透明そのものの、澄んだ水たまり。
それで、ハッと気が付きました。「オオ」は美称。「ワ」は三輪とか、信州の上原(わっぱら)遺跡の「ワ」。上原遺跡は、最古のストーンサークルであると言われ信州大町にあります。「ワッパラ」の「ワ」です。遺跡を見ると、文字通り輪(ワ)です。真ん中に男性のシンボルのようなものが建っていて、周りを石が囲んでいます。典型的な輪(ワ)です。その祭りの場が輪(ワ)です。奈良県三輪(みわ)の「ワ」も祭りの場です。
そうしますと「オオカワ」の「ワ」も、とうぜん祭りの場です。そうしますと「カ」が神聖な水たまりの意味です。それでわたしは、やっとそうかと気が付いた。何かと言いますと関東で悩んでいたことがある。それは氷川(ひかわ)神社の問題です。関西の人は、あまりご存知ないが関東には各地にある。一番有名な氷川神社は埼玉県大宮市(旧地名)の大宮です。あの大宮は、氷川神社の大宮です。本家本元のような感じです。しかし、どこにもリバー(river)がない。講演のたびに氷川神社の近くに住んでいるという人に必ず聞いた。氷川(ひかわ)という川はありますか。帰ってくる答えは「氷川」はありません。しかし氷川神社。それが解けた。もちろん氷川(ひかわ)の「ヒ」は「氷」では当然ない。当て字です。太陽の「日(ヒ)」だと思う。たぶん天照大神(あまてるおおかみ)に遠慮して、「氷」に変えてしまった。「ワ」は祭りの場。そうすると「カ」が神様から賜った神聖な水。そうすると「ヒカワ」は、太陽を写す神聖な水。太陽信仰の場なのです。どの池だって太陽は写ります。
とうぜん昔は水がもっとも大事なものの一つです。今は蛇口をひねれば水が出るように思っていますが、とんでもない話で、古代においては水なくして生活はできない。かならず水の周辺に、人間は生活の場を作った。そういう生活の場の水を、もちろんこれは人間が作ったものではない、それを神様から賜わった水と考えた。それを「カ」と呼んだ。そのように考えますと「大川おおかわ」という地名も解けるし、関東にたくさんある氷川神社の「氷川ひかわ」も解ける。ですから「カ」というのは、神様から賜わった神聖な水を意味する言葉であることを知った。
それから北陸の神社の旅行で知ったのですが、神社で一番重要なのは水です。神社の中には、奥殿が井戸の真上に建てられた神社があってびっくりした。びっくりするほうが本当は問題でして、本来は水が基本である。ですから神社は教会と違って、必ず入り口に手水(ちょうず)鉢、水が出るところがある。これを本来は単なる手を洗うところと考えるのが間違いで、逆なのです。奥殿は大工さんが作った。人間がでっち上げたものです。水は人間がっち上げたものではない。水を神聖なものとして扱い祭っている。それが本末転倒して、人間が作った奥殿のほうが中心で、手水(ちょうず)鉢の水は付け足し。そういう錯覚をもっているにすぎない。一口に言いましたけれども、それが北陸旅行で知ったことです。そういう神様から賜わった水を示す言葉が「カ」である。
そうすると皆さんがすぐお気づきになるのは神様の「カ」がそうです。「神(カミ)」は現代語ですが、「カ」は神聖な水を表す言葉ではないか。そうすると「ミ」は何かと言いますと、これが先ほど言いましたどの言語も神を意味する言葉があると言いましたが、『古事記』『日本書紀』の七・八割を占めている神を意味する言葉は、イザナギ・イザナミの「ミ」です。「ミ」は女神を意味する言葉です。
海(ウミ)という言葉はわれわれにとって大事な言葉ですが、女神がいるところが海です。そういう話に「カ」という言葉が「ミ」という言葉と関連して表れている。
そうすると皆さんすぐお気づきになりますが、カムチャッカ(半島)の「カ」などがあります。お手元にお渡しした地図に「ハンカ湖」というところがあります。現地語と言うとあいまいになりますので、先住民語の「ハンカ」の「カ」。これが日本列島と同じなのか。それとも違うのか。そういう問題意識をもって探求を始めたわけでございます。
本の紹介。『中国から見た日本の古代』(ミネルヴァ書房)沈仁安著 藤田友治・藤田美代子訳
北京大学名誉教授の沈仁安さん。二・三年前まで主任教授だった人ですが、沈仁安さんが日本の古代について書かれた本です。今日も来ておられる藤田友治さんご夫妻が日本語に訳してくださった。ここに書かれていますが奥さんが主に訳してくださった。特に奥さんは中国語が堪能ですから。そこにわたしが解説を書いている。普通の解説と違いまして、沈仁安さんの書かれた内容を逐一批判しています。批判というのは、ほんらいは悪口という意味ではありません。ほんらいは実体を明らかにするという意味のCreativeです。そういう意味で遠慮なく間違っているということも言わせてもらっているし、すばらしいということも言わせていただいています。そういう意味でわたしはあたり前だと思うのですが、型破りな解説を書いていますので、それも含めてご覧戴ければ幸いです。
沈仁安さん自身が、わたしの研究をたいへん評価して下さって、「古田の言うことは今後の日本の学問を考えるうえで特に重要だ。」とはっきり言われた。日本の学者は逃げて書きませんが、その点でもありがたい。
それでは後半の話に入りますが、キーポイントを押さえながら話させていただきます。
先ほどの話のとおり日本語の基礎単語、単語のもう一つの元をなす「言素」のような言葉が、日本語の構成要素として存在する。さきほどの神の「ミ」が海の「ミ」であるように。太平洋から来た、海のほうから来たグループが、女神を「ミ」と呼んだ。「ウミ」は女神が居りたもう場所です。それに対し「カ」のほうは、どうも大陸側に分布しているようである。
それで今度ロシアへ行った目的の一つは地図を手に入れることだった。日本では入手できないので、それで捜しまくった。幸いにたくさん手に入りました。たとえばウラジオストックの細かい地図は日本では手に入らない。書店でも断られた。現地でも直ぐは手に入らないものですが極東大学の女性の主任教授であるエリェナ教授にお会いすることが出来、地理学の教授を紹介していただきました。初めは地図を手に入れるのはかなり難しそうな話でしたが、こちらの目的をお話したら「わかりました。任せてください」と、好意的にたくさんの地図を自由に手に入れることが出来ました。目的はお分かりですね。地名が欲しかった。地名に残っている先住民語を確認したい。そのような見当で地図が欲しかった。日本では本当にごく一部の地図しか手に入らない。日本で精密な地図を手に入れることは難しい。あそこは軍港ですから、日本と違って、なにしろ今も生きている軍港です。わたしは青年時代広島県呉で育ちましたが、軍港でしたからほんとうに不自由でした。地図などはとんでもない。そんなことをしたらスパイですものね。ウラジオストックでもそうです。ですから現地でも本当に手に入れることは出来なかったが、エリェナ教授のご紹介を得て、その地理学の教授が次の日曜日に、ご自身で本当にたくさんの地図をお持ちいただいた。 大収穫でした。いや、本当はこれから大収穫です。
話を戻して、日本語の中の構成要素としての基礎単語、二音節でもよいのですが一音節の基本的単語・「言素」が存在する。大事な回り道の話をさせていただきますが、物理学で原子と言われるものが存在します。これは存在するけれども、単独ではなかなか存在しません。すぐ他の原子と結びついて分子を構成します。ですからあれと同じで、わたしのいう「言素」、これも単独で、たとえば「チ」だけで、使われることはあまりない。イコヂな、アシナズチ、など結びついて使われることが多くて、単独でもあることはあるが、原子状態ではなくむしろ分子状態で使われている。
さて先の話を続けますと、地理学の主任教授から手に入れた地図を見ましても、町の名前に「xxカ」という名前がたくさんあります。それで「カ」は語の最後に付いていますから、最初は町とか村とかにあたる単語と考えた。しかし水を中心に村を作るのは、ロシア人でも先住民でも変わりはありません。そうすると先住民語に属する地名であれば、・・・ロシア語とは限りませんから・・・その「カ」は水のある場所の意味ではないか。カムチャッカ(半島)の「カ」もその一端ではないか。もちろんハンカ湖は、琵琶湖の何倍もある大きな湖です。そこを「ハンカ」と言っているのは神聖な水を意味するのではないか。それで大量の地図を手に入れたのは大きな収穫です。
もう一つの問題は、ズウズウ弁に関心を持ちました。これは皆様ご存知ですが、出雲神話の国引き神話を分析しましたときに、四方から国を引っ張ったと書いてある。第一の新羅の岬、第四の越(こし)の岬(能登半島)はよい。あいだの二番目と三番目がおかしい。これも「北門きたど」(北の門)と言っているところがおかしい。これを従来は、岩波の古典体系でも日本海岸・島根県の各所に当てていた。しかしわたしは、これはおかしい、第一の新羅も第四の越(こし)も出雲ではない。出雲の一部分をあてて出雲が大きくなったというのはおかしい、これでは蛸の足食い。だからこれは出雲から見て北にあって、入り口・出口に当たるところ、それは一つしかない。ウラジオストックを「北門」と呼んでいるのではないか。当時として思い切った飛躍でしたが、そのような仮説を立てました。
一方で、この話は縄文神話と考えました。なぜなら金属器が出てこない。「国生み神話」は矛とか戈が出てきますから金属器の時代です。しかし国引き神話には金属器はなし、綱と杭だけですから、金属器は出てこない。金属器が流入する以前に成立した神話ではないか。つまり縄文神話ではないか。これも従来の日本の神話学では、このような考えはしていなかったのですが、わたしは論理的にそのように考えました。
そうしますと、その時代にすでにウラジオストックを「北門」と呼んでいたとすれば、当然ウラジオストックのことを知っていた。そうしますと出雲というのは黒曜石の産地である。今の隠岐島(おきのしま)、空港のある西郷町の方。それは優秀な黒曜石の島です。もしウラジオストックと縄文時代に交流があったとすれば、隠岐島の黒曜石がウラジオストックから製品として出てこなければならない。これは頭の体操で、そのように構成した。それを見つけにソビエト(当時)に行った。十年あまり前になりますが、そのときは博物館が休みで失敗して帰ってきた。しかし無駄ではなかった。八ヶ月後ソビエトの学者二人が、黒曜石の鏃(やじり)八十数個を持って日本に来た。そして立教大学の理学部で黒曜石の光の屈折率を検査した。それで調べると産地がわかる。それを早稲田大学の大実験室で発表された。わたしはその部屋の一番後ろで聞いていました。わたしにご招待というか、お呼びがかかったので、わたしの提言がきっかけになっていたとわかる。それで立教大学で調べてもらった結果は、五十パーセントが隠岐島の黒曜石であった。四十パーセントが札幌が近くの北海道の赤井川の黒曜石であった。津軽海峡圏で使われている黒曜石です。あとの十パーセントは不明。不明とは対照資料がないということです。この発表は、わたしには忘れられない経験です。わたしの作業仮説が正しかったということですね。
それをバックにしまして、出雲弁というのはズウズウ弁である。東北はもちろんズウズウ弁である。飛び離れた出雲と東北がなぜズウズウ弁なのか。もちろん能登などに小さな飛び石はありますが、大きなところでは出雲と東北の二つです。それで先ほど言いましたが『東日流外三郡誌』には、津保化(つぼけ)族がアメリカ経由で大陸から来たということが書かれています。これは『東日流外三郡誌』の古代史のメインテーマです。アメリカ大陸から来た、黒竜江領域から津保化族は来たと書いています。同じく出雲風土記の国引き神話では、国を引っ張ってきた。土地だけ引っ張って来ても「国引き神話」とは言わない。人間が乗ってなければ「国引き神話」とは言わない。あれは人間が来たと言うことを語っている神話ではないか。これもあとで気が付いて考えて飛び上がったのですが、初めから考えてみればあたり前の話です。土地だけで国というはずはない。だからウラジオストックから人間が来たという神話です。そうすると東北と出雲に共にズウズウ弁があるということは、ズウズウ弁の淵源は、このウラジオストックにある。するとツングース族。津保化族はツングース族だと書いてありますから。そうするとそのツングースの一派が片方は出雲に来て、片方は東北へ来てズウズウ弁を今にしゃべっているのではないか。これもいまは一・二分で言いましたが、頭の中の体操では悪戦苦闘しながら考えて、結局そこにたどり着いた。
それともう一つ記憶にありますのは梅棹忠夫さん。関西では大阪の万国博公園後の国立民族学博物館の名誉館長として梅棹忠夫さんは知らない人がないくらい有名ですが、彼のところへ行ってお話をお聞きしました。またわたしのぶつかっている問題について率直に説明しました。梅棹さんはこのあたりのことに非常に詳しい。梅棹さんの出世作は岩波新書の『モンゴル探検記』で、三十台のお話だと思いますが、それで非常に有名になった。ですが実際はツングース探検を先におこなった。その梅棹忠夫さんから、「ツングース語は楽ですよ。単語さえ覚えれば、日本語のように並べれば通じますよ。ただしかし発声がちょっと難しい。」そのように言われた。わたしは梅棹さんとは旧制高校の生徒同士のように、ワイワイガヤガヤと、寮ででも話合っているような雰囲気で一時間半ばかり話し合っていました。そのとき松本さんが同行していましたが、彼女がわたしに帰りがけに尋ねました。今日梅棹さんが、ツングース語は発声が難しいと言われましたが、ズウズウ弁となにか関係があるのでしょうか。わたしはギョッとしましたね。そんな考えなしにワイワイガヤガヤと喜んで話し合っていましたが、なるほどそうかも知れない。ズウズウ弁も聞けばなるほどそうかと思いますが、しかししゃべれません。自分で口では言えません。それで重要なヒントを彼女から得た。
次に話が後先になりますが、シベリヤで、団体旅行のかたがたが帰られた後に、オロチ族の地に行きました。宮沢さん、松本さんと三人で行きました。宮沢さんは男性で北海道から来られた高校の教師の方です。そのときには、まずソビエツカヤ・ガバニーという最大の港湾都市でウラジオストックに次ぐ、第二の軍港に行きました。もちろんこの地名はソビエトの命名です。そこで七十前後のオロチ族の協会長さんに迎えられて歓迎されました。その妹さんが六十歳前後で実務的にシッカリ対応して下さった。それでオロチ族の根拠地がウシカ・オロチスカヤ。車に乗って協会長さんとともに数時間、ガタンゴトンと山並みを幾度も上がったり下りたりして連れられて行った。その車の中で話された協会長さんの話が印象的に残っている。「我々のオロチ語はロシア人には発音できない」そのように言われた。口で発音してくださってテープにも入れたのですが。だからロシア人は発音できないものだから、別の表記となり別の言葉になってしまった。それが今の発声が難しいという今のツングース語の言葉です。もちろんオロチ族もツングース族の一派、親戚ですから、その発音できないツングース語の発声をしている。
もちろんわたしは、出雲弁や東北弁は堪能ではないからドンピシャリには行きませんが、どうもそれらしい状況にぶつかった。現地でオロチ族を自由に操れる老人が二・三人は残っているそうです。山か海か仕事に行かれてお会いできなかったが、テープに録って送りますという約束をしています。カセットレコーダを置いてきましたので、テープを送っていただけると楽しみにしています。オロチ語の中にも、われわれにもロシア人にも発音しにくい言葉があるということは確認できました。先ほど言ったズウズウ弁とつながる可能性はあった。「シベリアに、ズウズウ弁があった、間違いない」と、とてもそこまで言う力量はないですが、しかしそれらしき臭いは十分あった。
もう一つオロチ語について言いますと、最初に歓迎していただいたとき歌舞団の踊りを見せていただいた。もちろん歌舞団は現地の人々を集めてつくられたもので、昔ながらにあるという感じではない。ですが、その歌舞団の名前にハッとした。「キエハラ」と言いますが、故郷、ふるさとという意味ですと返事された。これを見て、わたしは気がつきました。野球選手で有名な清原という名前の選手がいますが、この名前は意味がわかりませんね。「清い原っぱ」では日本語の意味としてはナンセンスです。しかし『古事記』『日本書紀』でも天武のところで、「浄御原キヨミハラ」「清原キヨハラ」などが出てきます。意味不明ですが、われわれはよく知っています。これも意味は聞かれたら分かりません。「キヨハラ」と「キエハラ」は、音はすこし違いますがよく似た言葉です。一方の『古事記』『日本書紀』の天武のところの意味は分かりませんが、一方は「故郷」の意味がある。これならわかります。そうすれば「清原キヨハラ」は故郷の意味があるかも知れません。もちろんこれは断言できませんが。
オロチ族の言葉を調べていくうちに間違いないと判断できる言葉に「ナム」という言葉がある。ながい車中で何回もいろいろと尋ねた。その中で「ナ」というのは水のことだ。「ム」というのは大地のことだ。「ナム」は海のことある。そのように言われた。そうするとお気づきの方もあると思いますが「大穴牟遅オオナムチ」という神名、「チ」のついた神様です。ハッとした。だれでも知っているけれども、われわれの知っている日本語では意味はわからない。大国主のほうは日本語の意味はわかりますが。ところがオロチ語で解けば、サッと解ける。つまり「ナム」は水のある大地、あるいは海。わたしが後で考えたことですが、これは二段階にわたり意味が変化している。このオロチ族というのは北方にいた。北方というのは、先祖は黒竜江の上流にいた。今は海岸にいる。「オロ」というのはトナカイのことです。断言できないが、たいへん有力な考え方です。「チ」は神様です。それで先祖は黒竜江にいた。今は海岸です。そうするとその先祖人々は海を知らなかった。当然ですね、黒竜江の上流だったら。そこに水はあるから、水は「ナ」です。大地はとうぜんありますから、「ム」という呼び名です。それで海に接するにおよんで、海を「水の大地」という意味で「ナム」と表現した。それで「大地の側にある水」という意味か、「大地のような水」という意味か、解釈はいくつも出来ますが。とにかく水という言葉と大地という言葉を結合して海という言葉を造っていることは間違いない。
そうすると「大穴牟遅オオナムチ」は、それではないか。大いなる海の神、あるいは先ほどの早い時期の言葉でしたら大いなる水のある大地の神。これでもよい。人間にとっては島国も大地ですから、大いなる水のある大地の神。わたしはいつも言っている「那ノ津なのつ」の「ナ」も、水辺の土地だと使われている状況から判断していたのですが。水を意味するオロチ語なら、そうですかという感じではないか。だから早い時期の言葉なら「水のある大地の神」と言えますし、遅い時期だったら「海の神」と言える。どちらかではないか。少なくとも日本語では屁理屈でしか解けなかったのが、なにげなく解ける。おどろきました。これも何回も言っておきますが、これで日本語と同じだと断言はしません。ようやく入り口というか幼稚園の段階にたどり着いただけですから。しかし予想以上の感触にぶつかったのですが、その一端を述べさせていただきました。
それからナナイ族のところにも行きましたが、地図でおわかりのようにハバロスクのすぐ右上にあるのがシカチ・アーリアン。ナナイ族というのは日本人によく似ているということで有名で、日本人観光客もよく行く場所です。わたしもおばあさんにお会いしてご馳走になりましたが、ここの食事はたいへん日本人にはおいしい。ふつうロシア料理は一回食べるのはよいが二回目は飽きてくるということが多いが、ナナイ族の食事は食べやすい。日本人にはひじょうになじんだ味付けを持っております。それでこれも忌憚なく言わせていただくと先ほどの「シカチ」という言葉が問題です。それで「アーリア」という言葉は、これは(アーリア)山脈という意味か、あるいは先住民族語であれば魚のたくさんいる穴のたくさんある水の深い場所という意味らしいです。ですから「アーリア」はどちらにしろ分かっている。わからないのは「シカチ」という言葉です。これは地図にも出てくる大きな地名です。しかしナナイ族に聞いてもわからない。
気になって何回も聞きました。いずれもわからない。ところが日本語では意味が解ける。先ほどは言わなかったことですが、大きな意味をもった言葉が「シ」です。人が生き死にする場所が「シ」である。漢語ではない。時間がないので言いませんが、多元の会の機関誌で詳しく述べておりますのでお読み下さい。だから信濃の「シ」も、実はその「シ」だろう。松本深志高校の「シ」も松本市の大字地名ですが、そういう「シ」ではないか。越(こし)、筑紫(ちくし)、島(しま)、潮路(しおじ)などの「シ」。海上と言わず陸地と問わず人が生き死にする場所を「シ」という。そこへ帰ることを「シ」という。そういうテーマがある。そうすると「シカチ」の「シ」は、人が生き死にする場所。「カ」は先ほど言いました、神様から賜った水。それこそ黒竜江はそれこそ豊富な水ではないか。「チ」は神様を意味する言葉。そうすると、日本から持っていった言素でみるとみごとに解ける。現地の人には古老に聞いてもわからないし、いくら聞いてもわからない、わからないと言っていたのが、われわれが行くとサッと解ける。解けたからこれで良いとは言えませんし、言うべきでもない。言語というものはもっと複雑で難しいものですから軽はずみには言えませんが、しかしこのような実例に当たるとは思っていませんでした。このような実例はいくつもありますが、これぐらいにしておきます。
それからナナイ族について、言い様のない話を最後に付け加えさせていただきます。通訳をしていただいた男性の方ですが、彼は阪大の大学院に留学生として日本に来ております。その方とはウラジオストックでお会いしたのですが、そのかたの話でエッと思いました。彼は日本語が得意ですから通訳をして日本人観光客を案内して何回か行っております。その方に日本人観光客から、今回の旅行で質問が出まして、あなたがたナナイ族がいま一番欲しいものは何かと聞いた。相手のナナイ族の人がどう答えたか、「お金です」と。ちょっとガッカリした。もっと来た甲斐がある話を期待していましたが、大阪で聞いてもおなじような返事だったのでガッカリした。わたしも聞いていて、ナナイ族にも資本主義社会が進展しているなあと思っていた。その後お会いしたとき、話の真相がわかった。普通こんなことは門外不出、話をされないと思いますが、日本人の観光客を連れて行ったときに、ナナイ族の女、つまり奥さんとか娘さんを出す。結局日本人観光客がそれを買う。つまり金を得るために奥さんとや娘さんを提供している。こんなことは普通あまり言わないです。行っている日本人は何もしゃべれないから通訳してもらわなければロシア語もナナイ語も出来ないから何もできない。しかし通訳には守秘義務もあるから、何も普通は言わない。しかし言われて、ああそうか。われわれがふつうお金といえば、遊ぶ金とか、きれいに着飾るためのお金とか、そういう感覚ですが、そうではなかった。つまり奥さんとか娘さんを売らずにすむためにお金がほしい。ちょっとわたしは言葉がなかった。つまりそういう話は集団で行ったときはなかなかしません。一人で行ってもふつうは少し会ったぐらいではそのような話はなかなかしません。二十代後半の彼はひじょうに良心の鋭い人ですから、そのようにナナイ族のことを教えてい ただいた。
それは先ほどの話と何か関係がある。アホーニン、アカデミアの主力有名教授。大学の副学長格のかたですが、その方のところへ行って少数民族の研究をしていただきたいと言いました。それで若いかたで研究するかたがおられましたら、現地へ行って言葉をテープに納めてきていただきたい。そういうお願いを、テープを持って行ってお願いしようとした。そうしますと「お断りします。今は居りません。昔はいましたが、今は少数民族というものはいません。研究するような暇のある研究者は、わたしどもの大学にはいません。お断りします。」、にべもないとは、このことを言うのでしょうね。びっくりした。先にオロチ族など少数民族のところへ行っていたから良かったものの、がっかりして先に会っていたらどうなったかわからない。再度、わたしどもはこのようにオロチ族などの言語を、このようにテープに納めてきました。しかし、かれらは少数民族の一部であるから、全体を知りたいので言語をテープに納めていただきたい。研究をお願いしたいと再度言いました。ですが、お断りします。同じことを何回も言われ、本当ににべもなかった。それで最後に録音したテープを渡して、もし研究する方があれば、お渡し願いたいともう一度研究のお願いをしたがやはり突き返され、しつこく渡して最後に置いておこうとしたが、それも返却されて帰ってきた。
これも日本に帰ってロシアに詳しい方にお聞きしました。真相がまたわかった。つまりロシアの大学で一番えらいのはナンバーワンの学長ではない。旧ソ連圏ではナンバーツーが、一番えらい。ナンバーツーは昔ならソビエト共産党、中国は今でも共産党。ソビエトでは中央から派遣された副学長が一番偉い。ナンバーワンの学長は知名度の高い業績をあげた学者が選ばれるが実権はない。実権を握っているのは北京やモスクワから派遣されている人です。ソビエトからロシアになったけれども、その体制は同じというか変わらないでそのまま続いている。ロシアを知っている人は、そのように語った。ですからアホーニンさんが一番心配しているのは、かれらが心配しているのは、日本人がやってきて少数民族に接触して、少数民族が(自覚して)独立反乱を起こされたらこまる。自分の責任になる。そのように考えている。わたしはびっくりした。そんなことは夢にも思っていなかった。わたしは学問研究において、古代の姿を知りたいだけです。そういった理由はキッチリ説明しているし、松本さんにもキッチリ通訳していただいた。しかも相手は日本語をだいたいわかっているらしい感じを受けた。しかし、こちらの言っていることは分かっているけれども、受け取り方は違う。やはり少数民族には反乱を起こされては困る、それが本音だ。
このことは、日本に帰ってロシヤに詳しい人に聞かされたことです。それならわかる。こちらとは問題意識が違うのですから、それで了解できた。それにつけても、ロシヤのいわゆる少数民族はかわいそうだ。形の上では違いますよ。あとで聞いたのですが、モスクワ大学の教授に少数民族出身の女性の方がなっていて、会議などには、その人が代表として出てきます。ちゃんと形はできている。然し実権は依然としてモスクワが握っている。その中味は今言ったとおりだ。わたしは、そういう中身を知ることができた。日本にいれば知らないことを経験できて良かったと考えています。
限られた時間で話したいこともたくさんありますが、この話もこのあたりで終らせていただきます。
ついでながら、この研究もこれからなのです。これはロシア語で書かれたオロチ語の文法書です。これはオロチ語の辞書です。これはオロチ語と英文との基礎単語の対比表です。われわれからみると単語集に近い。英語で書いてある東アジアの考古学の論文などを紹介しておきます。
それと黒曜石のサンプルです。それも見せてくれと頑張ったら、初めはそっけなかったけれども、こちらの熱意が伝わってしっかりサンプルをいただきました。ウラジオストック周辺やアムール川周辺の黒曜石。これらを持って帰りましたが鈴木さんなど日本の黒曜石の専門の研究者に依頼して測定することをお願いしたい。分析したら相手の方にも知らせる。そういうことを約束して帰ってきました。
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著作 古田武彦