天は人の上に人を造らず・・・と云へり 総覧
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資料 和田家文書2 福沢諭吉『学問のすすめ』関係 天は人の上に人を造らず・・・云へリ 総覧

『東日流外三郡誌』(昭和五八年一二月二五日発行)
10,北辰暗国談第二巻 藤井伊予 元禄十(一六九七)年八月 四巻 417〜18

北辰暗国談 第二巻


 わがうましさと東日流をかこみけるよもの海なるかなた、波濤万里起ゆるところに、常に夏なる国、常に冬なる国、また日輪の暮れやらぬ国ありて、これを常世国と曰ふなり。わが荒吐の祖人いでゆきて見屈[届カ]たる国なれば、うたがひあるべからず。
 東日流とは北辰に位せる国なれば、春夏秋冬の候ぞ期季定まりて、人の暮しまたこれに習ふるなり。荒吐の神とは、われら祖人が崇む天地水の三神を太祖神とし、山川野浜に至るものみな神となし、草木、魚貝、苔藻、鳥虫、獣物、人類の万物を生ましむる蘇生の神とぞ崇みたり。
 抑々、生命の源祖を尋ぬれば、世の創めぞ天日の下に空あり、明暗に輪転して地水のなかに生命を蘇生せしむ万物の生命ぞ、かくして起らむものなりと信じ給へてうたがふべからず。凡そ生を授くる者は、素より天地水がわれら人なる身の祖なり。人の造れる生命ぞ、これ人に非ず、天地水一切の恵非ずして生ぜず、よく心得べきなり。
 而るに、人ぞ万物の智恵に達せる生命を心身に存し乍ら、常に争ふるさま今昔絶ゆることぞなし。世にこれぞ明にして暗なるとはこを曰ふなり。
 荒吐族とは、諸族併合の一族なれば、倭族なるごとく人の上に人を置くことぞなく、人の下に人の置けることぞなし。先づ以て、老人を人師として諸事を習ひ、その子は労し親子を養ふは人の道とせり。依て、一汁一食たりとも、われ一人なるものとせず、神なる光明の如くこれを分ち合いて食すは荒吐族が暮しの習へなり。たとひ戦起り、敵ぞ侵さむるに挙ぐる一族の死線に向はむも同じなり。蟻の如く諸事はみな共労の暮しなり。
 荒吐族を蝦夷たる倭人の曰ふは、富貴貧賎の差ありて、従がはしむるための司政にさまたぐるは荒吐族の治世なる故なり。
 まさに暗国論の兆は倭朝の治世にして、わが日の本国ぞ栄ふること久しからずと、ここに余[予カ]言し置くものなり。
  元禄十年八月     藤井伊予


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『真実の東北王朝』(第六章『東日流外三郡誌』を問う)「神は人の上に人を造らず・・・」

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